2016年05月16日

マッカーナ教授の『聖ブレンダンの航海』についての論考 ⇒「薄っぺらな訳」って? 

 本日は Beannachtaí na Lá Fhéile Bhreanainn !! というわけで、今年もぶじに、個人的にはとても大切なこの日を迎えることができまして、感謝( きのうの日曜は復活祭から 50 日の「聖霊降臨祭」で、ラテン語版『聖ブレンダンの航海』では「鳥の楽園[ フェロー諸島? ]」の挿話が意味深長に関連づけられている祝日 )。

 で、先日、 2004 年 5 月 21 日に満 77 歳、日本風に言えば喜寿の歳に亡くなったケルト学の権威、ユニヴァーシティコレッジ・ダブリンのプロインシャス・マッカーナ教授の代表作と言える著作 Celtic Mythology についてヨタ話めいたことをすこし書いたりしたんですけど[ この件についてはまた後述 ]、そのあとふと、そうだ、マッカーナ先生は聖ブレンダンについてなんか書いているのかな? と思って手許の The Legend of Saint Brendan を眺めていたら、Atlantic Visions という 27 年も前に出た本に収録されていることを知った。で、さらに静岡県内の公共図書館を串刺し検索できるサイトで調べてみると、なんとなんと( ってこればっかで申し訳ないですけど )、世界文化遺産のひとつ「三保の松原」近くの東海大学海洋学部の図書館にこの本が納本されている事実が判明 … むむむ、この本はこのワタシをいまのいままで待っていたのだ、こりゃ行かない手はないずら、というわけで、いつぞやの静大附属図書館のときのように、喜び勇んで馳せ参じたのであった( ついでに三保の松原にもはじめて行ってみた )。

 驚いたことにこの本、1985 年 9 月、ダブリン市やブレンダンゆかりのケリー州で開催された「第 1 回 聖ブレンダン協会国際会議( !¿! )」の紀要だそうで、そんなもんやってたんか、と思って、本が入ってた書架( というか、完全に書庫 )のある地下の部屋(!)に、これまたおあつらえ向きに用意されてある机にダークグリーンのハードカバー装丁の原書を開きひとりゆっくりとくつろぎつつパラパラ繰ってみたら、あのティム・セヴェリンの名前も出てくるではないですか( はしがきみたいな短文を寄稿していた )。セヴェリンが参考にしていたらしい「聖ブレンダンはコロンブスより先んじて新世界に到達した最初のヨーロッパ人」説の本の著者とかが言及されているところからしても、そういう学説がけっこう評判になっていた当時の熱気をいくぶんなりとも引きずっていたころに書かれたことを認識させられる、そんな内容でした。参加者の顔ぶれもマッカーナ教授のようなケルト学専門家だけでなく、海事史家、考古学者、アマチュアヨットマン、高校の先生とじつにいろいろ … いちばんビックリしたのはこんなアイリッシュ色に満ち満ちた会議にどういうわけか日本人( !!! )まで含まれていて、巻末の論考に名前を連ねてました( Mr Takau Shimada ってだれだろ? 寄稿文はまだきちんと読んでないけど、江戸時代の踏み絵に関するものらしい[ キリスト教 → 隠れキリシタンということなのかな ] )。

 本題。とりあえず興味をそそられたほかの寄稿文も含めてマッカーナ先生の論考をコピーしたので、それを見ながら以下に要約してみます[ Atlantic Visions, edited by John de Courcy Ireland & David C. Sheehy, Boole, Dublin, 1989, pp. 3 − 16 ]。
『聖ブレンダンの航海』の文学的 / 歴史的源流について

by Proinsias Mac Cana

1. 起源としての『ブランの航海』:
8 世紀初頭に成立したとされる『フェバルの息子ブランの航海』は、先行する古アイルランドゲール語で書かれた一連の「エフトリ( echtrae / echtrai, 異界行 / 冒険譚 )」との共通要素の混入が目立つ。たとえばシーなどの異界から使者(『コンラの異界行』と『ブランの航海』では、女人 )がやってきて、自分たちの住む国へと誘いだす、というモティーフは『クリウタンの息子ロイガレの冒険』や『病のクー・フリン』にも見られ、このような共通項の存在は 90 年も前にアルフレッド・ノットが指摘している。ここでおもしろいのは、旧来の土着宗教組織( ドルイド )は異教として描かれているのに対し、『ブランの航海』における「女人の島」[ Tír Tairngiri ]はキリスト教における「天上の楽園」のごとく見做している、という書き方が意識的になされている点である。この点について、のちのキリスト教の要素が混入していることは間違いないが、カーニーの主張するようにキリスト教など外国由来の要素が起源か、というと不明な点が多過ぎる。異界はつねに「生者の国」、つまり「不死」の王国であり、この概念じたいはおそらくキリスト教化以前の異教由来のものだと思われる。またエフトリでは異界が単一世界であることが暗示されているのに対し、イムラヴァでは実際の航海の経験からか、大洋上に散らばる島々という暗示がある。

2. 『ブランの航海』と『聖ブレンダンの航海』、その他イムラヴァとの関係:
カーニーは『ブランの航海』を、7世紀に存在していたと推定される『聖ブレンダンの航海』の原型から宗教色を取り除いた世俗ヴァージョンだ、と主張するが、これは奇妙なことである。『ブランの航海』と『コンラの異界行』では、異界が一連の島という概念を下敷きにしている。
アダムナーンの『聖コルンバ伝』には、修道院長の許可を得なかった修道士を同乗させたコルマックが「絶海の砂漠」探しに失敗する話が出てくる[ → 関連拙記事 ]。これはのちのイムラヴァに出てくる「余所者」というモティーフの先駆けとなったかもしれない。当時はこのような荒行のような航海についての話が伝説化して流布していたことを示唆してもいる。

 リズモアで編纂されたと推定され、1925 年にチャールズ・プラマーが編集した『アイルランド聖人たちの連祷』には、イムラヴァとしては現存していない聖人による航海が断片的記録として書かれている。そのうち、ブリュッセルのベルギー王立図書館所蔵の「サラマンカ写本」に収められた『聖フィンターン( Saint Fintán / Munnu, d. 635 )伝』にはフィンターンが「約束の地」を訪問したおり、かの地にはコルム・キレ、ブレンダン、[ アハボーの ]ケネクの 3人がいて、自分を招待してくれた隠者に対し、耐え難い試練に遭遇したり誘惑に打ち負かされそうになったときは「石の山」、現在のスリーヴ・リーグ付近に突き出す岬に行ってそこから船出するようにと忠告した。これは『聖ブレンダンの航海』冒頭部[ 聖バーリンドの訪問 ]とも呼応し、フィンターンの「約束の地」における居所の名前も Port Subai、つまり『ブランの航海』の Inis Subai[ 歓喜の島 ]および『航海』の Insula Deliciarum が響く。

 またエムリの修道院長聖エルベに捧げられた「連祷」では、「約束の地」を 24 人の弟子とともに何度も訪問していることが示唆されており、「実をつけた葡萄の若枝」を手にしていたとされる。これは『航海』のあるヴァージョンと、また『ネラの異界行』に出てくる夏の花を持ち帰る挿話とも対応する。

 当時の社会的制裁としての「追放」とこれら修道士による「自己追放」航海についてはたとえば『アングロ・サクソン年代記』の 891 年の記述( 3人のアイルランド人が、オールのない小舟でアルフレッド大王のもとにやってきた … )や、トマス・チャールズ−エドワーズによる論考[ 'The Social Background to Irish Peregrinatio', 1976 ]を参照。

3. まとめ:古アイルランドゲール語で書かれたイムラヴァ / エフトリ、およびラテン語版『聖ブレンダンの航海』との年代順に見た系譜については現時点で判明している史料からでは作成不可能だが、一般的に合意されているのは、『聖ブレンダン伝』のひとつは『航海』より先に存在していたということと、『連祷』に出てくる聖ブレンダン伝説はすべて『ブレンダン伝』から採られたものであって『航海』からではない、ということである。そしてアイルランドゲール語 / ラテン語による「航海譚」は、7 世紀以降に発展していったジャンルであり、9世紀初頭には文学ジャンルとして確立していた、ということも言える。

 そして、土着のキリスト教化以前の要素が含まれている可能性はあるにせよ、これらの「航海譚」はすべて修道院での創作活動から生まれたものであり、黙示録的終末観や聖イシドールの著作、当時の動物寓意譚や鉱物誌からの引用なども自由に取りこみ成立している。ラテン語版『航海』は、他の大半のアイルランド聖人列伝ほどには地域色が強く押し出されていないことから欧州大陸の知識層にもすぐさま受け入れられ、その想像力に訴えかける探求の船旅には尽くせぬ魅力があり、やがてアーサー王もの物語群としてふたたびこのおなじ探求の旅[ つまり、聖杯を探索する冒険として ]が現れることになる。

 → ご参考までに本家サイト「ケルト航海譚について
 … それにしてもこの本、よくぞこの図書館にいてくださいましたってほんとうにありがたく思いました。確率論的に言えば、かぎりなくゼロに近いではないですか。原書じたいとっくに絶版で、しかも名の知れた大手版元から出ているわけでもないですし。こういう偶然も、たまーにはあるものだなあ( これで宝くじでも当たればもっといいけど … )。

 そしてマッカーナ先生の本( Celtic Mythology )ですが、先日ようやく英国から(!)届きまして、中身を見てまたびっくりぽん。なんとこの本、ハードカバーの大判で、一般的な書籍、というより図版がたくさん収録されていてその合間に本文が挟まっているという、りっぱな装丁の本だったんです。しかもこれ初版本なんですけど状態もすごくよくて、おまけに破格の安価で買うことができて、この件に関しても運に恵まれたと思います。

 それにしても … 邦訳本の貧弱さはどうなの、って思ってしまう。カラーを含むオリジナルの図版がすべて使えなかったのはたぶん「大人の事情」ってやつかもしれないが( 版権者が特定できなかったとか )、創元社にもこの手の原書を翻訳した図説本シリーズとかがあるけど、そういう体裁で発行できなかったのかな、と。もっとも翻訳がもうすこしなんとかなっていれば、そんな短所も補ったんでしょうけれどもね。

 原書カバーそでに著者マッカーナ教授の若かりしころのお写真も印刷されてたんですが … れれ、よおく見ると、この先生、どっかで見たような … ってそのときピピっと思い出した! そうだ、かつて NHK の「海外ドキュメンタリー」で放映された、「幻の民 ケルト人」に出演してしゃべってたあの先生じゃなかろうか、と思ってぐぐってみた … が、あいにく映像が出てこない。でもクレジットはされている。というわけでもう手っ取り早く手持ちの VHS ビデオテープを引っぱりだして、20 数年ぶりに録画したものを見てみることにした( 大汗 )。テープじたいは良好でカビも生えてなかったとはいえ、ほんとにひさしぶりにこれ見るもので大丈夫じゃろか、と思ってたけどぶじに視聴できまして、やっぱりそうでした。前にもここで書いたことあるけどそう、「聖ブレンドンの航海」って吹き替えられていた、あのシーンでした( しかしなんでまたブレンドンになっちゃったのかしら、スクリプトくらい持ってたと思うが、まさか耳で聞いた音声から起こしたのかな? ついでながら教授の名前を紹介するキャプションは「P. マッカナ教授」になってました )。

 Celtic Mythology の初版本を眺めていると、いろいろ感慨が湧いてくる … この本が出たころはちょうど自分が生まれたころでもあり、こうしてめぐりめぐって( SW EP7 のラストシーンのように )またマッカーナ先生とこういうかたちで「再会」するとは … なんだかケルト十字架のごとき「円環」を描いているような気もしないわけではない。ぐるぐる、ぐるぐる … というわけで、ニューグレンジ遺跡のあの渦巻き文様なんかの図版も当然あるわけなんですが、それで思い出したのが、どういうわけか近所の長泉町の古墳から 2003 年に出土したという太刀の「柄頭[ つかがしら ]」のこと。2014 年夏に地元紙に掲載されていた記事の切り抜きがこの前、ぱらりと出てきまして、腐食して鉄の塊みたいになっていたこの柄頭を文明の利器、3Dプリンター(!)でレプリカを作ってみたらなんと !! ケルトの渦巻文様そっくりな模様が再現されていた、というもの。どういうつながりかはわからないが、かたや西の海の果ての島国で、かたや日出る国の富士山の麓でまったく似たような文様が出現するっていうのは … キャンベル本じゃないけど、地域も民族もちがうのにおんなじようなイメージが出てくるってほんと不思議ですねぇ。

関係ない追記:
朝、日が出るとすぐ、騎士たちは起きて武具を身に着け、城にあった礼拝堂へ弥撒を聴きに行った。それが終わると、馬に跨り、城主に神の御恵みがあるようにと祈り、城主の昨晩の歓待に謝意を表した。それから城を出ると、前夜相談した通りに、ひとりひとり別々になって、森の中へ、ひとりはこちら、ひとりはあちらと、森がいっそう深そうな方へ、道も小径もないところへと出発した。
―― 作者不詳『聖杯の探索』天沢退二郎訳、人文書院[ 1994 ]、p. 48
 まさかこちらの本までとっくの昔に邦訳が出ていたとはつゆ知らず、急ぎ「相互貸し出し」制度をフル活用していま、読みはじめてます。思っていたより大部で中身の濃い物語で、ちょっと圧倒されてますが … そんな折も折、じつはジョーゼフ・キャンベルが単独で刊行した本としてははじめての著作であり、いまや古典と言ってもいい『千の顔をもつ英雄』の待望の新訳本が、しかもお手頃な文庫本となって不死鳥のごとく復活していた( SW 新作航海、じゃなくて公開にあわせて出版したらしい )。というわけでついでに本屋にも立ち寄って、取り急ぎ冒頭部だけつつっと目を走らせてみますと … ン? こういう表現にドラゴンよろしく唐突に出くわした:

「 … 薄っぺらな訳」

 原文( The Hero with a Thousand Faces, 1949 )はつぎのとおり[ 下線は引用者 ]。
Whether we listen with aloof amusement to the dreamlike mumbo jumbo of some red-eyed witch doctor of the Congo, or read with cultivated rapture thin translations from the sonnets of the mystic Lao-tse; now and again crack the hard nutshell of an argument of Aquinas, or catch suddenly the shining meaning of a bizarre Eskimo fairy tale: it will be always the one, shape-shifting yet marvelously constant story that we find, together with a challengingly persistent suggestion of more remaining to be experienced than will ever be known or told.
Throughout the inhabited world, in all times and under every circumstance, the myths of man have flourished; and they have been the living inspiration of whatever else may have appeared out of the activities of the human body and mind. It would not be too much to say that myth is the secret opening through which the inexhaustible energies of the cosmos pour into human cultural manifestation. Religions, philosophies, arts, the social forms of primitive and historic man, prime discoveries in science and technology, the very dreams that blister sleep, boil up from the basic, magic ring of myth.
 前にも書いたかもしれないですが、この本の初訳本( 1984 )はとにかく評判の悪い本だったようでして、ある意味マッカーナ先生の Celtic Mythology の邦訳本といい勝負(?)だったようです … そこで期待して見てみたら、言い方はよくないが、いきなりコケてしまったような印象。ついでにその下の '... together with a challengingly persistent suggestion of more remaining to be experienced than will ever be known or told.' の訳もどうなのかな、と。ここの箇所は出だしでいちばん重要なくだりと言ってもいい部分で、大げさに言えばキャンベルという学者の根幹となる思想、考え方、ものの見方が垣間見えさえするところなんですけど … みなさんはどうですか、英語に自信があると自認されている先生方なんかとくに? 宿題にしておきましょう( 笑 )。

 ワタシは文字どおりなんにしてもディレッタントな門外漢なんで、とてもおこがましくて人さまのことなんざああだ、こうだとは言えた義理じゃないですけど、すくなくとも thin translation( s )の thin が「薄っぺらな」 になるわけないですよ。揚げ足取りする気なぞさらさらないが、イマジネーション不足じゃないんですか、これ? それこそ薄っぺらい、ぞろっぺいな印象をどうしても受けてしまう。いちおうこれでもキャンベル本は何冊か原書 / 邦訳本で読んでますんで、なおさらそう感じます。

 じつはワタシはこの前、強風のやつにカサを破壊されまして、どうせ買い換えるなら台風にも負けないカサを買うか、と息巻いていたところなので、せっかくの新訳本ではあるがとりあえず買うのはすこし先延ばしにしたので( 苦笑 )、手許に揃えてからまたこの件については書こうか、って思ってはいるんですけどもね … 。

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