−− また、戦争?
あれから 30 数年、個人的にはべつに惰眠をむさぼっていたわけでもないのに、戦争の軍靴の靴音が、はっきりと聞こえるような気がするほどその不安は現実のものとなりつつあるのではないか、と今年ほどつよく感じたことはない。例のミサイル問題や、たがいに応酬しあっている愚かな指導者約二名なんですが、あのとき「また、戦争? 」と訊いていたおばあさん本人だってふたたび「第二の戦前」になろうなどとは、夢にも思ってなかったでしょう。
毎年この時期になると、地元紙にもあいついで戦争関連記事とか特集ものが掲載されるわけなんですが、とくに目についた記事をここでも一部転記して紹介したいと思います。ふだんは意識しなくても、広島・長崎の原爆忌と 8月 15 日がやってくると、どうしても考えざるを得なくなります( 前にも書いたが、ワタシの伯父さんのひとりはいま、戦艦「武蔵」とともに南洋で眠っている )。
まずは詩人アーサー・ビナードさんの寄稿文。「これからを生きる君へ / いま戦争を伝える」と題された文章でして、自身が戦争体験者から聞き書きした本のことを書いたもの。未読の本をあれこれ言うのはまちがっているが、経験上言わせてもらえば、この手の本は社会派なんとかいう肩書きを持つ人の手になるものより、詩を書くことを生業にしている人の書いた本のほうが内容が格段に深いし、物事の本質を突いていると思っている。心打たれるのは、やはり苛烈な体験をした当事者の声の数々。「兵士はけっきょく、機関銃や大砲や戦闘機とおなじなんだ。使えなくなれば捨てられる」、「おなじ日本兵に手榴弾を投げてかんたんに殺し、相手の食べ物を奪う。こんな光景を毎日見ていた」[ 以前Eテレで、日本文学翻訳家のドナルド・キーン氏のドキュメンタリーを放映してましたが、キーン氏が戦場でじっさいに見た凄惨な日本軍敗残兵たちの末路は、まさにこれだった ]。愚かな約二名にはこのことばのもつ強烈な耐えがたき重みがほんとうにわかっているのだろうか、と思わざるを得ない。「全員が力を振り絞って必死に話してくれた。ぼくも持っている想像力や表現力を限界まで使わなければ、ちゃんと向き合ったことにならない[ ビナード氏 ]」。
この記事の結びのことばにまた、心打たれる思いがする。「ひとりひとりの語りに『戦後づくり』の知恵が詰まっている。それはわたしたちが生き延びていくための知恵なんです」。ここにいる門外漢は、これからを生きる者にとってのせめてもの希望はここにあるのであり、けっして「戦後レジームからの脱却」なんかではない、と嘆息したのであった。
いまひとつご紹介したいのは −− そしてちょっとびっくりしたのだが −− 末期癌であることを公表した映画監督の大林信彦氏のメッセージが綴られた「大林信彦監督、映画と平和語る」と題された記事。以下、戦争を知らない世代として年食ってしまった門外漢がつぶやくより、監督の渾身のことばに虚心坦懐に耳を傾けるべきだと思うので、いくつか転記[ 以下、仮名遣いを若干変更して転記。下線強調は引用者で山かっこ内の文言は引用者の心の声 ]。
… 戦争といえば、無意識に、本能的に嫌だ、やめよう、ばかばかしいと思う。反戦じゃないんです。非戦なんです。戦争がないことが一番というのが皮膚感覚としてある。映画や物語といった「虚構」を( もっと言えば「芸術」というものを )、ただの作りものとかまがいものと思っている人は、傲慢だと思う。そういうスキを突いて戦争はやってくる。回想録とか聞き書きとかでよく目にする証言に、太平洋戦争開戦時、気がついたら戦争が始まっていた、というものがある。ドイツの昔話に、「あなた方はどこから来たんですか?」と問う馬鹿に、「平和からだ」と兵隊が返す。どこへ行くのかと問われ、戦争だ、と答える。なぜ戦争へ行くのかと馬鹿に再度問われた兵隊は、「平和を取りもどすためだ」とこたえてそのまま通過する。ひとり残された馬鹿はこうひとりごちる「へぇ、平和からやってきて、平和を取りもどすために戦争に行くとは。なんでもとの平和にとどまらないんだろう?」。
… いろんな情報が瞬時に等価値で入ってくると< たとえば Twitter >、自分にとってなにが大切かわからなくなる。その結果、ぜんぶ人ごとになってしまうんです< 自分ごととしてとらえなくなると、無関心になる。これがもっともこわい >。
… [ 映画という物語にすることについて ]虚構の真実の中に希望が見えると、人はやっぱりその真実を信じて生き始めるんです。
… 平和を手繰り寄せるためには、限りなく、止めどなく努力して、紡いでいかなきゃいけない。夢は見ていると必ずいつか実現する。平和の映画を作っていれば、いつか世界は平和になる。ぼくは映画という道具を使って、人間の夢を、理想を手繰り寄せたいと思っているんです。
これは、人間の歴史が過去からずっと引きずってきた重い宿題であり、とてつもなく重い禅問答でもある。せめてそうならないことを祈るほかない。そのためにはいまこそ「芸術」の持つ力が必要だと思う。またとくにフェミニストというわけじゃないが、やはり男性原理の社会構造から女性原理の社会構造へと転換することも大事かと。そんな折、あのマララ・ユスフザイさんが英オックスフォード大学に進学されるとの報道を目にした。こういうときにこのようなことを知ると、生きる希望がすこしは湧いてくるものだ。
[付記]:この前 NHK-FM で聴いたこちらの番組。ギーゼキング好きの人にしてみれば、いまごろ? と言われそうだが、このピアノの巨匠( 体もでかかった )はなんと、1945 年 1月 23 日夜、連合軍のベルリン空襲のさなかにベートーヴェンの「ピアノ協奏曲第5番 『皇帝』)」の録音( !!! )をやってのけていたことをはじめて知り、文字どおり驚愕( しかも最古のステレオ録音 )。たしかに弱音部では高射砲の爆音が聞こえたりする。この精神的集中はどうですか。ヴァルヒャが空襲下のフランクフルト市民をバッハのオルガン作品演奏会を開いて慰めた、という話もある。「戦争の世紀」だった前世紀が「巨匠の時代」と言われたのもむりからぬ話だと感じ入るとともに、もうこんなことは二度とあってはならないとやはり思う。