そんな折も折、NHK Eテレでそのアニメ作品が全編放映、とあいなって、それならばと見てみることにした。するとこの作品にはいわゆる「教養小説( Bildungsroman )」の伝統があらたな衣装をまとって「駿河湾の片隅の町」に「降臨」した完成度の高い物語だということがわかった。
アニメ作品、とくると、なにか小説や戯曲、実写映画などとくらべて格下のもの、という偏見を持ちがちにはなるけれど、「よいものはよいもの」が信条の人間としてはいやいやどうして! この『ラブライブ! サンシャイン !! 』という物語は細部まで計算された、感動的でさえある「少女たちの成長物語」として認めざるを得なくなった。スクールアイドルユニット Aqours の9人にはそれぞれカラーとシンボルがあるようで、このへんはなんかヴァーグナー作品とかの「示導動機( Leitmotiv )」も想起させる( Aqours というのはなんともけったいなスペリングですが、どうも aqua + our[ s ]ということらしい。ジョイスばりの「カバン語」ですな )。
とはいえ「ラブライブなのか街おこしなのか、よくワカラン」という混沌状態なのが偽らざる現状でして、もちろんファンの方の「聖地巡礼」は大歓迎。けれども問題は、アニメ作品ならば放映期間が終わったあともこれが一過性のブームではなく定着してくれるかどうかにかかっている。以前、市役所が「高尾山古墳」保存と都市計画道路との両立について意見を募っていたから、僭越ながら一市民として意見を書き送った。書いたことはこっちの話でも通じることで、ようするに「回遊性をよくして」ということだ。このあたりはけっこう古墳が多くて、たとえば戸田[ へだ ]地区( 旧戸田村 )の井田というところに7世紀ごろの豪族の墓と言われる「松江山[ すんごうやま ]古墳群」という遺跡がある。高尾山古墳と松江山古墳群の中間地点には深海水族館と食堂街があり、いまは廃止されてしまった( これは前市長が悪い )戸田までの定期船航路を復活させて連絡し、回遊性をもたせたらどうか、ということ。駅の高架化計画が長年の懸案になっているが、もし高架化が実現したら北口にはコンヴェンションセンターがあるので、南口側には高尾山古墳のビジターセンターもくっつけた複合文化施設 ―― 図書館機能の一部をここに持ってくればなおよい ―― にしてほしい、と思っている。
物語の主人公の高海千歌( ちかっち )がこんなことを言う場面があります。「しかもこんななにもない場所の、地味アンド地味、アンド地味! ってスクールアイドルだし」。「そして町には … えっと町には …… とくになにもないです![「それ言っちゃダメ … 」と同級生に切り返される ]」。この科白、なんかいきなり深層意識を突かれた感じがしたのはワタシだけじゃないはず。たんにアニメ作品の「聖地」としてではなく、高尾山古墳や伊豆半島ジオパークつながりでも連携して点と点を結びつけ、定期船航路も復活させてうまいぐあいに回遊性を持たせることが急務じゃないかって門外漢なりに考えております、ハイ。
「物語の効用」、ということでは、つい先日も地元紙にこんなすばらしい話が掲載されてました。記事読んで本質を鋭く突いていると感じたのは、実家の廃工場を劇場へとみごとに再生させた東京学芸大の学生さんの指摘です。「産業の発展は重要だが、それだけでは息苦しい」。しかり !! Couldn't agree more !! 正鵠を射る、とはまさにこのこと。たかだかペイントしただけのふつーのバスやタクシーに乗車してまで「巡礼」するのはどうしてなのか。これこそほんとうに人を惹きつける「物語」の持つすばらしい効用ではないか、と思う。ふた昔前だったら「付加価値云々」なんて言われていたかもしれないが、物語はモノじゃない。人間の精神に直接訴える力を持っているから、しぜんと人がやってくるのだと思う( とはいえアニメ作品ではほぼ完全に女子 / 女性しか登場しないから、あれは一種のパラレルワールドの話なのかって気もしないでもない )。
『サンシャイン !! 』については、すでに熱心な方がたいへんまじめに考察しているサイトとかが複数存在しているから、ワタシなんかが口をはさむ余地なぞなにもないんですけれども、比較神話学者キャンベルの著作や映画 Star Wars シリーズとかとも相通じる思想が透けて見えるのはおもしろいところ。たとえばちかっちが「いちばん大切なのはできるかどうかじゃない。やりたいかどうかだよ!」言う場面では即座に「エピソード5」の 'Try not. Do. Or do not. there is no try. ' と修行中のルークを諭したヨーダ師匠の科白が脳内反射していた( ちかっちのほうが個人の自由意志を尊重しているのに対し、こちらはどちらかと言えば運命論的ではあるが )。あ、そういえば寺の娘の国木田花丸という子は、いちおう設定では「浦の星女学院」の聖歌隊員( !!! )だそうだ。どんな歌声なのかしらって Aqours のみんなといっしょに歌ってるずら( 文学少女で図書委員、という設定も個人的にはたいへん気に入っている。脱線失礼。ついでに花丸ちゃんが学校の図書室で手にしていたのは太宰治の短編集『お伽草紙』だったが、ちかっちの実家モデルになったのはもちろんその太宰が滞在していた老舗旅館で、『斜陽』の1、2章はここで書かれた )。
最終話にも思いがけず、 13 世紀はじめごろにフランスのシトー会修道院で書かれたと考えられている『聖杯の探求』に出てくる「森のもっとも深いところ、道も小径もないところへとめいめいは出発した[ つまり、「めいめい、すでにだれかが通った道ではない、おのれの道を進んだ」]」と通底するような印象的な科白がまたまたちかっちの口から出てくる ―― 「 μ's のすごいところって、きっとなにもないところを、なにもない場所を、思いっきり走ったことだと思う。…… 自由に走るってことなんじゃないかな … 全身全霊! なんにもとらわれずに! 自分たちの気持ちに従って!」。このへんなんかキャンベルのモットー、「自分の至福に従え( Follow your bliss. )」そのまんまって感じさえする。
アニメ作品も今月から第2シーズンが始まるので、こちらもますますにぎやかになりそう。いずれにせよ若い人たちがたくさんやってくるのはいいことだ、とくに作品の主要舞台である内浦や西浦木負(「にしうらきしょう」と読む )地区あたりとか。でもオトナの事情( ?! )なのか、せっかくほぼ忠実に現実の街並みとか描かれているのに、第6話で駅南口の「井上靖 詩碑」がそっくり別物に変えられていたのにはいささかがっかり。あのへんもサンシャインファンの方が「のっぽパン」とか食べながらくつろいでいたりするけど、碑に刻まれた「いまこそリアル」な文字もよーく見てちょうだいね。いちおう転記すると、
若し原子力より大きい力を持つものがあるとすれば、それは愛だ。愛の力以外にはない[ If there is something more powerful than atmic power, it is love ; nothing other than the power of love. ]。
先に挙げた太宰はじめ、井上靖に芹沢光治良、そして若山牧水と文人墨客に縁の深い土地でもあり、井上靖つながりでは映画化された『わが母の記』の撮影地でもある( 牛臥山公園とか )。Aqours と書かれた文字をたまたま見つけてそれをユニット名にしたという設定の島郷海岸はすぐその先に広がってます、ということでこのへんもご参考までに。
追記:最終話で花丸ちゃんが「黄昏の理解者ずら」とつぶやく科白。これは英語の of とおんなじで、「理解者」は発言者本人ともとれるし、相手、この場合は津島善子( 否、堕天使ヨハネか? )ともとれるけど、ワタシは前者ととりたい。「ありがとね」と予期していなかったことを言われ、ふだんは「ラグナロク( 苦笑 )」だの「リトルデーモン( 苦笑x2 )」だの、「あるナハト( nacht, なぜドイツ語 ?? )」だのとワケわからん「堕天使ワード」連発のある意味問題児の同級生は、じつはわかってくれていたんだ、と感謝してつぶやいたと考えるほうが文学大好きで想像力豊かな彼女らしい、と思うので。ついでに『サンシャイン !! 』第1シーズンはなんとも不吉な「 13 話」で終わっているけれども、キャンベルによれば 13 という数字は「変身と再生の数字」なんだそうですよ。どうりで第2シーズンが始まるわけだ。もっともこの物語は最初の『ラブライブ!』の主役の μ's の存在が大前提になっているので、いわばふたつの作品は「前奏曲とフーガ」みたいに切り離せない … ということだけれども、最初の作品を見ていなくてもじゅうぶん楽しめる内容にはなっていると個人的には思う。「地上に落とされた堕天使」つながりでは、じつはラテン語版『聖ブレンダンの航海』にも出てきますねぇ( → 拙ブログ記事参照 )。さらに脱線すると
いまひとつ、11年前の8月末に残念ながら沈没した「スカンジナヴィア」、旧船名 Stella Polaris 号の展示とかもしている「海のステージ」さんというカフェがあるんですけど、あるサンシャインファンの方の声かけで
2月、なんとファン数十名が集まって「スカンジナヴィア」の話とかを店主さんから聞いたりして一泊した、なんていう話まで地元紙に載ってました。これも「物語」の力かな。よもやこういうかたちで「スカンジナヴィア」号の記憶が、こうしてこの客船を知らない若い人たちに語り継がれてゆくとは! そういえば最終話だったか、Aqours のメンバーがトレーニングしている学校の屋上からキラキラ光る奥駿河湾の、「スカンジナヴィア」号がかつて係留されていたまさにその入江の水面が描写されていたのを見たとき、なんか感慨深いものがありましたね。