浜松国際ピアノコンのつづき。なにはともあれ、北村朋幹くんの本選出場おめでとうございます!
…3次予選の配信映像を見ましたが、後半のシューマンの曲ははじめて聴くし、シベリウスも全曲通して聴いたことがないので、自分の判断基準はバッハとモーツァルトしかないんですが、とくにモーツァルトは完璧だったのではないでしょうか。バッハ(イギリス組曲)も――だれの校訂版を使用しているのかはわからないけれど――ガヴォットのシンコペーションなんか、ピアノならではの小気味よさ、歯切れよさを発揮した生き生きとした演奏だったような気がします…3次予選終了後に審査委員長が、北村くんは「上品な演奏」を聴かせると講評してましたけれども、まったくそのとおりで、一音一音の「粒」がきれいにそろっていて、典雅というか、洗練された響き。ほかの出場者もみんな弾き方がきれい…と思ったけれども、北村くんの指さばきは見ていてほんとうに美しい。失礼ながら、弾き方のきれいさだったら審査委員長をも凌ぐのではと思ってしまったり…。バッハとモーツァルトを聴いたかぎりでは、ロマン派以降の派手で凝った大規模な作品より、古典以前のほうがご本人の演奏様式にぴったりあっているんじゃないかとも感じました。「出場者中最年少…」ということばがついてまわりますが、こういう世界は年齢の上下は関係ないので、本選でものびのびと、心赴くままに演奏されればそれでよいと思います。ご本人もおっしゃってましたが、演奏を楽しむことがなにより大切ですよね。弾いている本人が楽しければ、聴く側も楽しくなります…芸術活動をしている子ってだいたいみんなおんなじこと言いますね。セントポール大聖堂聖歌隊のコリスターのひとりアンソニー・ウェイも、来日したときやっぱりおんなじことを言ってました。「歌っているぼくが楽しくなければ、聴いているお客さんも楽しくないでしょ?」。歌っている(弾いている)本人がぞんぶんに楽しむこと。すべてはそこからですね。十全に楽しむことが、さらなる解釈の深みとか、もっと高次元のレヴェルを追求することにもつながってゆきます。いやいやではダメ。何事もそうでしょうけれども。
…ほかの出場者の演奏も何名か聴いてみましたが、みなさんいずれ劣らぬ精鋭ぞろいなので、正直、北村くんが本選に残るだろうかとやや不安も感じていました…つまり「差がほとんどない」。かつて仙台で開催されたコンクールで13歳という若さで優勝をさらった郎朗くんみたいに、テレビの前で見ていた自分でも、「あ、この子かな…」と強く感じさせる、飛びぬけた人というのがいないのです。このへんがこの手のコンクールの悩ましいところ。
北村くんは日本ピアノ界にひさびさに現れた大器…と評され、昨年の東京音楽コンクールで審査員大賞受賞後、リサイタルも開いたりと、すでにご自身の演奏スタイルが確立されているような感じがします…でもまだ15歳なので、ほんとうに本領が発揮されるのはこれからでしょう。もうすこし年齢を重ねれば、解釈にもさらなる深みと説得力がおのずとそなわるでしょう。
こちらのインタヴュー記事を見ますと、指揮や作曲にも興味があるみたいですね。エッシェンバッハかアシュケナージみたいになるのかな??
…いずれにせよ日曜の本選ステージではコンクールではなく、ご自身のコンサートと思って、思うぞうぶん「楽しんで」ラヴェルの協奏曲を弾いていただきたいと思います。
2006年11月24日
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なんでもそうだとは思いますが、心の底から好きにならないと、しんどくなったときにあっさり挫折してしまう…気がします。ほんとうに好きだから、楽しいからこそ、多少辛くてもそれを乗り切ることができると思います。…と、そういう自分はなにをやっても中途半端で偉そうなこと言えた義理ではないんですが(自爆)。