…は、かねてから興味をそそられた本。行きつけの本屋にでも行けばあるかなと思っていたけれどけっきょくなくて、長らくAmazonの買い物かごに入れっぱなしにしてあったこの本を取り寄せてみることにした(→こちら)。
著者はときおりTVでも拝見する気鋭の政治学者…なんですが、じつはじつは筋金入りのオルガン好きで、政治学者になる前は指揮者志望(!)で、芸大を受験したほどの実力者。2度にわたる芸大受験のほうはけっきょく小泉和裕氏に競り負けてしまい、慶応大へもどった、なんて書いてあるからこれはすごいつわものだなあ、とまず著者の草野氏その人におおいに惹かれました。
こういうきちんとした素養のある人が書いているので、たんなる「人の揚げ足取り」に終始した本ではもちろんありません…俎上に乗せているのは、みんなの税金で建設された公共施設に納入された大小のオルガンが、どんな経緯を経て選定・購入が決定され、施設に設置されたあと、公共財としての役目を果たしているのか、ということ。このテーマで本をものすきっかけになったのは、バブル以降、日本の音楽ホールににわかに設置されだしたオルガンが、じつはあまり活用されていないことを告発した内容の新聞記事を目にしたことでした。で、サバティカル休暇をもらった著者は、全国の公共ホールを廻って市民の税金で買われたオルガンの実態調査に乗り出した。その結果あぶり出された、いかにも日本的な事象を本書で端的に分析しています。
ただでさえ一般の人には馴染みの薄いオルガンという楽器がどのように公共ホールに納入されたか、徹底的なフィールドワークをもとに報告しているくだりなんか、もうほんとうにおもしろくて一気呵成みたいな感じで読んでしまいました。おそらくここまで楽器購入の舞台裏を明かしたのはこの本がはじめてでは。海外ビルダーのオルガンを買うときの仲介業者としてまず思いつく松×楽器商会とかヤ○ハと、ほとんど「学閥ギルド」といってよい日本オルガニスト協会とのつながりなんか、このへんのhuman interestものが好きな向きにはもうたまらない。そのへんのことがもっとも事細かに書かれているのが東京芸劇大ホールの例の「回転」オルガンの納入ケースでして、こけら落としからすでに故障つづきだったらしい…4月に聴きに行ったイートンカレッジでも、練習中に回転台が途中で止まってしまった…ことがあったようですし。10年前に聴きに行ったオルガンリサイタルでも、前日やっぱり故障してオルガンが回転途中で止まってしまい、技術屋さんが徹夜で修理した、なんて裏話をオルガニストみずから話してましたし。ここのオルガンはいい意味でも悪い意味でもオルガン好きのあいだではつとに有名ですね。楽器の響きじたいは個人的には好きなんですが、もうすこしなんとかならんかねぇ…ついでにホールじたいの設計も、いかにもバブル真っ盛りのころらしくて、防災上の問題も指摘されていますし。
草野氏が言われるごとく、いやしくも税金を使うのだからオルガン導入までの過程をガラス張りにすべきだろうし、楽器の選定委員も、いくらあるビルダーの製作したオルガンが大好きだからって、かならずその特定業者が落札できるよう、本来公正であるべきの入札を事前にお膳立てするというのは、オルガンという楽器の特殊性を勘案したって、非常識と言わざるを得ない――一台何億円もする大オルガンではなおさらです。そしてさらに問題なのは、税金で購入した、本来「みんなのもの(公共財産)」であるはずのオルガンを、選定委員を独占している日本オルガニスト協会員でなければ触わることまかりならぬ、みたいな風潮。個人的にも以前からこの楽器にまつわる「閉鎖性」には辟易していたので、まさにわが意を得たり、と思うことばかりでした。
…しかし日本オルガニスト協会って、もともとNHKホールの大オルガン(旧東独カール・シュッケ社製、なお92ストップと書いてあるのは誤りで、1973年の建造当初は90ストップの楽器。ふたつのストップは1985年の改修工事で追加された分)を団体見学するために必要に迫られて組織された、とはこれまたびっくり。
草野氏は全国各地、40箇所ほどの公共施設に導入されたオルガンから活用事例をいくつか詳述していますが、本来練習用として一括購入すべきポジティフオルガンのない施設がほとんどだとか、一般市民対象のオルガンスクール開催がきょくたんに少ないことも挙げ、もっと多くの市民にオルガンを触れられるようにすべき、とも主張しています。う〜ん、正論ですね。笑えるのが何箇所か、ホールでオルガンに触れようとしたら、「規則なんだから」の一点張りでなんと履歴書を書かされた、という話。自分が聞いたかぎりでは、本場欧州で教会やホールのオルガンを触わるのに履歴書を書け、なんて失礼なことを要求されるなんてことはない。「あなたは聴く人、弾くのは日本オルガニスト協会員のわたしだけ」ではオルガン好きなんて増えるわけがない。クラシック音楽全体で集客力が落ちて四苦八苦、というご時世でそんなことやっていたら、そのうち全国の公共ホールのオルガンは完全に放置されるに決まってます。楽器にとってもこれはゆゆしき事態、不幸この上ないこと。楽器は使って音を出してこそ花でしょう。
…ちょうど1年前、静岡音楽館AOIでコープマンのリサイタルが開かれたときに見かけた、オルガン大好き小学生の男の子でも気軽に参加できるようなオルガンスクールがぜひとも必要だと強く感じます…みんなの公共財を自分たちの占有物のようにカンちがいしているようでは、オルガンリサイタルじたいが先細りになり、かんじんのオルガン好きも増えないし、けっきょく自分たちの活躍の場が奪われる事態にもならないとはかぎらない。面倒でも聴衆の裾野を開拓するよう努力することは、プロの演奏家ならばどんな楽器奏者にとっても避けては通れない共通課題でしょう。
オルガンにかぎらずハード偏重のこの国では、よそに負けない音楽ホールを作りました、見栄えがいいからオルガンも設置しました、でもあとは知らない、良きにはからえ、ということがあまりにも多すぎます…。これにはむろん行政側の怠慢もあるんでしょうけれども。著者は、日本でのコンサート事業におけるオルガンの位置づけはけっきょく「壁に描いた花」みたいなもの、ホールにオルガンがあろうとなかろうとコンサート収益にはさして影響がない…ということを書いたあとで引き合いに出したのが、静岡県に住む者としては鮮烈に記憶している、浜松アクトシティ中ホールの仏コアラン社製のオルガンの最悪の事例。たしか10年ほど前のことだったと思うが、ホールの保守作業にあたっていた警備会社の社員があろうことかスプリンクラーを誤作動させ、オルガンに毎秒2トンもの水がかけられずぶ濡れ(!!)になってしまった…コアラン社長みずから被災状況を調査、修理可能と判断して、その後まる2年かけて腐った木製部品やら金属パイプやらをはずして取り替える、という、オルガンの歴史はじまって以来前代未聞の事態になってしまった。補修費用2億円という金額ばかりが話題になったものですが、ここでコアラン社長が漏らしたことばがやけに印象に残っています。「オルガンにもっと愛着を感じてほしい」。金額でしか価値判断ができず、楽器をたんなる「ハコモノ」としか見ていない日本人にたいする痛烈な批判でした(ちなみに欧州のオルガンビルダーはどこも零細企業で、コアラン社にいたってはわずか12名で切り盛りしているとか)。
…この本を読んで、個人的にもっとも興味を惹かれたのが、だれにでも自由に触れられるオルガンはかくあるべし、という好例として、二子玉川にある松本記念音楽迎賓館のオルガン(9ストップ、ベルギー製)について書いています…ここの楽器のことはまったく知らなかった。おお、しかもチェンバロまである! とあっては行かない手はない(笑)。でもその前にもっともっと練習しないと…せめて手鍵盤だけでも。
この手の本はどうしてもおかたい内容になりがちですが、この本の場合、著者の草野氏ってほんとにオルガンが好きなんだなぁ…そんな熱い思いがひしひしと伝わってくる、読んでいてとても楽しい本でした。政治関係の本なんかまるで読んだことのない自分が、この手の本でこんな楽しい読後感を味わうとは思ってもみませんでした。これだけでも収穫かな。
最後にオルガンスクールについて。静岡音楽館AOIの場合、ホール側はたしかにこの本が指摘するようにオルガンスクールは開催していないけれども、静岡市内の民間カルチャースクールで講師をつとめている女流オルガニストがスクールを開いてまして、ときおりAOIのケルン社製オルガンを使わせてもらっているそうです。
2006年11月25日
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ここは酷いチューハイですね
Excerpt: ここでいっちゃいけないのかもしれないけど、どうせなので書く 都内某所でおばさんに呼び止められてアンケート答えてきた 広告代理店がやってるやつな。昼飯代にはなる チューハイのCMのやつだったんだけ..
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