2019年02月20日

「普通」であることの偉大さ

 航海、じゃなかった、公開中のこの映画作品を先月と今月、それぞれ一回ずつ観てきました。

 はじめに断っておくと、この手の作品 −− アニメ映画 −− は、やはり観る人を選ぶファクターが「実写映画」よりつよいように感じる。以前、ここでも書いた『あなたへ』が遺作になってしまった故高倉健さん自身、監督の「映画を観てもわからない人はいる。わかる人だけわかればいい」という発言を引用されていたこととも通底する。いまひとつは作品の理解、解釈の深さというのはとどのつまり、観る側がいままで蓄積してきた経験なり背景知識なり人生観なりがストレートに反映される、ということ。ひと口にアニメ作品と言ってもピンキリ、イロイロあるのにもかかわらず、なーんだアニメかくだらん、と切り捨てる向きもいるでしょう。それはそれでいい。でもアニメについて識者が語っていた TV 番組で、「観る人の世界観を変えてくれる作品がよいアニメ作品」のような趣旨の発言をしていた人がいまして、この点は不肖ワタシもまったく同意見。というわけで、ワタシが見るかぎり、このアニメ作品(TV シリーズ 26 話と映画作品)は、まさしく「観る人の世界観を変えてくれる作品」だと思う。

 映画版『ラブライブ! サンシャイン!!』のストーリーは TV シリーズ最終話のつづき、として始まるけれども、公式サイトにあるように冒頭場面ははっちゃけたミュージカル仕立て。観光 PV として切り取って使える構成で、いわゆるアヴァンタイトルというやつ。このシリーズの特徴でもある楽曲の冴えもあいかわらずで、たとえ TV シリーズ本編を観ていなくてもここでいっきに作品の舞台世界に引き込まれる仕掛けになっている。

 2回観ても、本編 100 分の物語の展開は TV シリーズと遜色ないと感じました。主人公の高海千歌持ち前の強引さ(?)に、気づいたら自分も『サンシャイン!!』のパラレルワールドな内浦や沼津に引きずりこまれてしまった感もなくなくはないですわ、というのが正直なところではあるけれど、一部で見かけた「ストーリー展開が … 」みたいなことはあまり感じなかった。おそらくこれは、なにかとユング心理学的、キャンベルの比較神話学的思想にどっぷり浸っているがゆえに勝手に感激しているだけなのかもしれないし、逆にそういう感想を持つ向きというのは、「非日常の体験」をどこか期待しているがゆえに展開になんとなくハリがないというか、事件性がないというか、そんなふうに思われてしまったのかもしれない。

 じつは2回目の鑑賞というのが、このシリーズの監督である酒井和男氏、劇伴担当の作曲家・加藤達也氏、そしてシリーズの撮影監督の杉山大樹氏のお三方によるトークイベント付き、というのも理由のひとつ。先行販売当夜、なかなかつながらない映画館サイトにイラつきながらもからくも席をとることができて映画館へ。じつは2回目の鑑賞のほうがトシがいもなく泣いてしまったのではあるが(杉花粉症というのもある)、酒井監督をはじめとするゲストのお話を伺って、ああ、自分が思っていたことはあながち的外れではなかった、ということは再確認したしだい(→ スタッフトークイベントについてもっと知りたい方はこちらの記事をどうぞ)。

 ワタシが酒井監督のお話でとくに感激したのは、「変化していくこの街の風景を作品に残す」という趣旨の発言。映画パンフを買われた方はすでにご存じだと思うが、酒井監督は「3年生が卒業していっても、彼女たちの内浦での日常は変わりません。映画だからっていきなり怪獣が出てくるわけでも、なにするわけでもありません」と書いている。このシリーズはいかにも昭和テイストなスポ根ものの学園ドラマなんかじゃない(「ラブライブは … 遊びじゃない!」by 理亞&ルビィ)。そうではないずら! ここで描かれているのは「変化を受け入れ、肯定し、世界ではなく自分がどう変われるのか」であり、奥駿河湾に面した地区に住む女子高生の日常を描いているようでじ・つ・は、普遍的かつ壮大な視野の世界観を持った作品なのだ。たとえばイタリア滞在中、3年生が抜けて6人となって「再出発」した Aqours について、千歌が松浦果南に率直な不安を打ち明ける場面。そこで果南は千歌の胸に人差し指を当てて、
でも、気持ちはずっとここにあるよ。鞠莉の気持ち、ダイヤの気持ち、わたしの気持ちも、変わらず、ずっと。
と返す。そのとき、千歌のなかでなにかが変わった。古い世界が終わり、新しい地平が垣間見えた瞬間、「エピファニー」の瞬間が訪れる −− 「なんか、ちょっとだけ見えた。見えた気がする!」。後半、浦の星女学院を再訪した Aqours メンバーに対し、千歌は
大丈夫、なくならないよ!  −−浦の星も、この校舎も、グラウンドも、図書室も、屋上も、部室も、海も、砂浜も、バス停も、太陽も、船も、空も、山も、街も。
と語りかける。彼女たちが「変化する現実をすべて受け入れ、肯定し、新しく出発する」ことが、みごとに表現されていると思う。このシークエンスはたとえばキャンベルの「《いまここ》の次元で永遠を経験しないかぎり、他のどんなところでも永遠は経験できない」という発言ともリンクする。この作品に込められた、いわばメタ・メッセージにどれだけビビっとくるかどうかで、観る側の作品理解も当然、変わってくる。

 酒井監督の話を聞いたとき、すぐさま脳裡をよぎったのはジェイムズ・ジョイスが『ユリシーズ』について言ったこと −−「たとえダブリンが滅んでも、『ユリシーズ』があれば再現できる」と語ったという話だった。もちろんリクツは抜きに、もうひとつの主役と言うべき劇伴も含めた音楽が、またいい。そういえば昨年、「今日は一日『ラブライブ!』三昧」を最初から最後までずっと聴いてたんですけど、劇伴以外の挿入歌すべてに詞をつけた畑亜貴さんの歌詞のすばらしさにほんとうにシビれた。なるほど、おっさんでさえこうなんだから、若い人がハマってもなんの不思議はないな、とひとりごちた。この作品にかぎって言えば、音楽はアニソンというジャンルを完全に超越しており、作品と不可分の重要な存在だ(そうです!)。

 今回はもうひとつ「Aqours 3年生組の逃走の舞台」として、これまたうれしいことに小学生時分、美術図鑑でダ・ヴィンチ絵画に親しんでいたあのフィレンツェが出てきた。美術館のシーンとかはなかったけれども(サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂と、その真ん前に建つサン・ジョヴァンニ洗礼堂は出てきた)、あいかわらず精緻な描画で、しかもスクリーンに大写しされるしテンポのよい楽曲はかかるしでこういう演出も最高でしたね。

 撮影監督の杉山氏のお話ではラストの三津[みと]海水浴場の波打ち際に打ち寄せる波の場面、あれが超絶たいへんだった、というのも門外漢からすればすこぶる興味深かった。じっさいには4分弱の長さしかないのに、「レンダリングに1,400時間かかった」という !! ここにも本気度というか、職人気質を感じる。まさしく「神は細部に宿る」ですな。ラクーン屋上庭園での夢の競演のときに香貫山からさっと差す曙光の描写もすばらしい。「神は細部に宿る」ついでに、冒頭部の「僕らの走ってきた道は … 」のメンバーが「びゅうお」とか商店街でダンスするシークエンス、あれよくよく見たらジェスチャーで LoveLive Sunshine[黒澤姉妹が sunshine の S と S を宙に描いている] って書いている振付なんですね、芸が細かい! 

 ラストシーンがらみではよその舞台挨拶で、酒井監督みずから「声のみで姿の見えない女の子ふたりの意味」について語っていたそうですが、小説の結末シーンにはなにげない風景描写で思わせぶりにしずかに終わる、というのが多いように、観る側めいめいが自由に創造の羽を広げておけばよいと思うし、こういう終わり方のほうがこの手の物語のエンディングにはふさわしいとも思う。

 また、『サンシャイン!!』26話 + 映画版「Over the Rainbow」を観てはじめて思い至ったのは、あれほど千歌が否定的に考えていた「普通」ということの大切さというか、人間が生きるうえでなにがもっとも大切か、ということもこの作品は訴えているのかも、ということだった −−「マズっ! このままじゃほんとうにこのままだぞ! 普通星人を通り越して、普通怪獣ちかちーになっちゃう〜って、ガオーッ!!」。だから、映画版を観る前までは「普通怪獣」がほんものの怪獣、持って生まれた潜在能力をぞんぶんに発揮し、輝くというイメージでとらえていたが、けっきょく怪獣に変身するまでもないのだ。その証拠に、すでに TV 版で同級生の桜内梨子が千歌にこう語りかけている。
「自分のことを普通だって思っている人が、あきらめずに挑みつづける。それができるってすごいことよ。すごい勇気が必要だと思う」

「普通」をつづけていける、というのは、よく考えてみればじつに非凡な才能を要求されることでもある。だから、高海千歌は、「普通」のままでいっこう問題ないのだな、と。

評価:るんるんるんるんるんるんるんるんるんるん

付記:この前、地元紙の「社説」に、なんとこの劇場版『サンシャイン!!』が取り上げられてまして、「人気を一過性で終わらせてはもったいない」と書いてありました。で、その社説に、
できることなら、劇場版に登場する印象的なシーンを、声優によるユニットで実現させられないか。
なんてことまで書いてあっておお、この前ワタシがここで書いたこととおなじじゃん、なんて思ったんですけど(「人気を一過性で終わらせてはもったいない」ということ)、これってひょっとしたら南口ロータリーのライヴ場面のことなのかなん? さすがにあの大通りを全面通行止めにするのはムリだと思うけど、「よさこい東海道」のときみたいに駅前のタクシープールの空間を利用してステージ設置してライヴ、ということならじゅうぶん可能かとも思ったし、そんなワタシも「Next SPARKLING !!」のライヴをこの目でぜひ見たいと願っているひとりではある(3人ずつのユニット単位での出演でもかまわない)。「ご当地アイドル」も活躍しているので、いっそのこと Aqours + Saint Snow + Orange Port のジョイントライヴで Hop? Stop? Nonstop! 

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