2019年10月22日

台風が去って思ったこと

 まず、先般のとんでもない台風の大水害および竜巻の被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。ワタシはからくもぶじでしたが ── いくら納期の短い仕事とはいえ、刻々、更新される台風情報を見ながらもせっせと訳出に励んでいた人 ── ウチだって低地ゆえ、いつ被災してもおかしくない。まずは市町村ごとに検索可能な「ハザードマップ」を日ごろから気にしておくことですね。あとできれば「昔から伝わる地名」とかも気にしたほうがいいと思います。んなこと言ったら住むとこなくなっちゃう、とお叱りを受けるのはもっともではありますが、家を建ててからでは … って思いませんか。今回の風水害のものすごさを見て、以前は冗談半分に考えていた、「ハウスボート」というのをちょっと serious に考えはじめています … (たとえば運河の街、アムステルダムにはこの手のハウスボートな家がけっこうあるようです)。もっとも日本の場合関係法令の改正云々 … もあるけど、津波とか火災とか、いろいろと考えなければならない要素があるとは思う。でも自然災害のたびに壊されたんじゃかなわない。ハウスボートなら液状化とかあんまり心配いらない … ような気はする。門外漢の意見にすぎないが。

 前々回の記事では、せっかくのスピーチも「モノは言いよう」で逆効果極まれりではないの? と率直に思うところを書いたんですけど、昔の人ってたとえば日本では「ことだま(言霊)」を信じ、地球の反対側のアイルランドにいたケルト人たちも、「ことばの矢」がほんとうに人間を殺すと信じていたようです。なので、言わんとするところはわかるが、それじゃ通じないずら、ということが言いたかったんです。仲間内で話すんならともかく公の場ですし、ことばの「重さ」というものをもうすこし考えほしい。マララさんのときとは正反対です。

 で、人間のことばって口語体、英語で言えば colloquial ですけど、そういうタメ口ってぽい言い方から、formal な、書きことばにしてもおかしくないような「格調高さ」が求められたりします。英語だってそう。で、たとえば、
Let's work out a good deal! You don't want to be responsible for slaughtering thousands of people, and I don't want to be responsible for destroying the Turkish economy and I will. ...
なんてのを、米国の大統領閣下からちょうだいした「親書」に書かれてあったとしたら、さて相手はどう思うでしょうか ??? ま、相手もさるもの、親書をそのままデスクトップ上ならぬ、ホンモノの「ごみ箱」にポイしちゃったらしい。さすがは Twitter 大好き大統領のなせる業か(「よい取引しようじゃないか」ってのっけからこのノリですわ。そりゃ気分を害されてもしかたない。またこちらのブログでは「吹き出した」ってありますけど、ムリもない。そういえばワタシが子供のころ大統領だったジミー・カーター氏。お元気そうでなによりですが、「アンタは Twitter で遊んでるヒマがあったら、ちっとは米国民のほうを向いて職務に邁進せんかい !!」というのは、まこと正論というほかなし)? *

 そんな折も折、「近代人にあっては、自由も思考能力も低下してしまっている」、「不自由のつぎに過労がある。三、四世代以来、ひじょうに多くの人びとがもはや働く人としてだけ生きていて、人間としては生きていない」、「精神の集中していない人びとの社会が生み出した精神は、わたしたちのなかにはいりこんで、絶え間なく大きな力になりつつある。わたしたちのあいだには、人間についての低い考えができあがり、他人にも自分にも、わたしたちはもはや働く人としての能力しか求めず、その能力がありさえしたら、それ以上はまずなんの能力がなくとも満足する」… これっていまのわれわれのこと? と思ったら、じつは 90 年以上も前に発表された文化哲学に関する論考『文化の退廃と再建(1923)』の抜粋。書いた人は「密林の聖者」と呼ばれた、あのシュヴァイツァー。

 だいぶ前、ここでもちょこっと「われらみなエピゴーネン?」みたいな記事を書いたことがあったから感想じたいはそっちに目を通していただくとして、先日、図書館でユング心理学関係の調べものしていたら、近くに懐かしい『シュヴァイツァー著作集』がボロボロになりながらも「こっちにもおいでよ」と手招きしていたのでフラフラ〜と吸い寄せられ、何年かぶりにまた借りたもの。ひさしぶりに読み返して(自分で書いといて、この論考の内容をほぼ忘れかけていた人)シュヴァイツァー博士ってたしかにスゴい人なんですが、たとえば博士の故郷アルザスとバッハとの関係に関する論考は、かなり偏った内容だとしてその筋では知られていたりする(知らない方もいるかと思いますから補足。シュヴァイツァーはもともと医者じゃなくて音楽家にしてプロテスタント神学者、とくにバッハのオルガン音楽に関しては玄人はだしだった人。その昔、白水社から『バッハ』上中下3巻という歴史的名著が出ていて、同社創業何十周年かの記念で一度だけ「復刊」されたこともある)。でもこの『文化の … 』はさすがと言うべきかその炯眼ぶりは、ほぼ同時期に刊行されたシュペングラーの大著『西洋の没落』にも負けてないかも … って思うほど(やはり以前取り上げたスペインの思想家オルテガの『大衆の反逆』は、シュペングラー批判の立場をとっている)。

 … 「晴耕雨読」とはいえ、今年ほど天候不順な 10 月は記憶にない。さわやかな秋風とほどほどにつよい陽光を楽しみつつ、「読書の秋」を楽しみたいとは思っている。いいかげん本の整理しないと部屋がヤバいのはわかってるけど、ついこの前もほしかったこの本が重版されたと知ってあわてて花丸ちゃん御用達の地元本屋に注文入れたりしているし、あいかわらず「積ん読」な本も転がってるので、そろそろ天候が安定してほしい、今日このごろ。

*… 追記。引用した「親書」の出だし、ちょっと気になって Google 氏に放りこんでみたら、「よくやりましょう! あなたは何千人もの人々を虐殺する責任を負いたくありません。また、トルコ経済を破壊する責任を負いたくありません」と吐き出された[おしまいの「でもオレはやるつもり」がどっかに消えちゃっていたけれども、ほかの機械翻訳サイトにかけたら「大いにうまくいきましょう! あなたは数千人を虐殺する役割を果たしたくありません、そして、私はトルコの経済を破壊する役割を果たしたくありません、そして、私はそうします」としっかり出てきた]。いずれにせよ、いろいろな意味でぶっ飛んでるこんな「親書」なるものをはじめて見た余であった、と『草枕』ふうに。

posted by Curragh at 18:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 翻訳の余白に
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