2020年05月31日

ネット時代のパンデミック

 TV や新聞などで新型コロナ感染症(COVID-19)関連の報道があると、決まって「米ジョンズ・ホプキンズ大学によると」が、枕詞のように出てくる。そのソースとなっているのがこちらの特設サイトで、じつは 3月9日時点の拙記事で張った参照リンクも、じつはココでありました。個人ブログとしては、国内でもわりと早くここのサイトをリンクというかたちではあるが引用したんじゃないかなって思ってます。

 最近、COVID-19 関連で検索すると、「COVID-19 に関する注意」という但し書きがやたらと出現する。それだけデマないし「裏をとってない」信憑性の疑わしい情報源の引用が多い、ということなんでしょうが、統計数字にかぎって言えば、もし上記の同大学特設サイトを引いていないような Web サイトやブログ、ツイートだったら、話半分に聞いておくていどでよい、ということです。

 ところでここのサイト、地元紙とほぼおなじ内容のこちらの記事によると、同大学システム科学工学センターの女性准教授と、中国出身の大学院生のおふたりがたったの半日(!)で完成させ、公開にこぎつけたものだったらしくて、そっちにもビックリした。いまさっき確認したところ、3月投稿時とレイアウトがまったく変わってないことから、特設サイトの完成度もけっこう高かったんじゃないかって気がします。とにかくこれすごいですよ。数字関連で確認したいとき、ここの特設サイトは must です。

 COVID-19 がらみでは、なにかと評価の芳しくない日本の対応。厳格なロックダウン下に置かれたロサンゼルス市内に家がある超有名邦人アーティストには、「[日本は]狂ってる」とかなんとか言われたり。たしかに向こうの基準ではなにやったってそう見えるだろうし、「三密は避けましょう」などと、あいも変わらず曖昧な言い回しで茶を濁すのが大好きな国民性ですので、内心、忸怩たる思いはあるものの、かろうじていまのところは最悪のカタストロフィは回避できてるのかな、と。ただ、「第2波のただなかにいる」と発言している首長さんがおられますが、実態はただの「再流行」的なものであり、未知の感染症エピデミック / パンデミックの「第2波」と同一ではない、ということだけは言いたい。ほんとうの「第2波」は、残念ながらこれから襲来すると思う。高温多湿の真夏の日本でこのウイルスの活動がどうなるのかは神のみぞ知る、としか言えないものの、とにかく「第2波」が来る前にワクチンが開発されるようにと、それだけを祈っている。

 祈ってはいるけれども、ワタシは例の江戸末期の「疫病退散」妖怪ブームについては、なんだかなあ、と思ってしまう。英国発祥という医療従事者への拍手、もいいけれども、もっと大切なところはそこじゃないだろ、と感じてもいる。医療や介護、あるいは物流の過酷な現場で働かざるを得ないいわゆる「エッセンシャルワーカー」に対する世間の人びとの態度もまた、失望させられることのほうが多い。いまさっきも英 Financial Times 見てたらこんな記事があって(下線強調は引用者)、
Other ordinary jobs are suddenly perilous too. Chefs, security guards, taxi drivers and shop assistants are dying at higher than average rates from Covid-19 in the UK. The British government, desperate to revive the economy, has told millions to return to work. Little wonder many are scared to do so.
失職して困ってる人にとってはつべこべ言っていられない、というのが偽らざる気持ちとしてあると思うが、そう、そこなんですよね、この新型感染症のほんとうにコワいところは。この前、いつも行く理髪店で散髪してきたとき、ご主人はマスクだけでしたが、そのうちあのアクリルシールドもかぶらないといけなくなるかもしれないし、こっちもマスクがはずせなくなるかもしれない。あるていどは「新型コロナ禍以前の日常」にもどれるかもしれないが、パンデミック以前の世界は二度ともとどおりにはならんでしょう。こちらの意識を徹底的に変えるほかない。

 最後に、こちらの番組の感想をすこしだけ。気がついたら、未知の感染症パンデミックに世界が覆われていて、いままで当たり前だと思っていたことがつぎつぎと変更を余儀なくされる、あるいはまったく不可能になる。そんな「不安な時代」であっても、やはり人は「パンのみに生きるにあらず」な生き物ですので、どうしても精神を支えてくれるものが必要になる。クラシック音楽家も容赦なくこの感染症禍に見舞われて世界的に仕事が蒸発して、にっちもさっちもいかなくて困ってる人もいれば、自宅隔離状態になっている人もいる。

 でもたとえば、いまはやりの「Web 会議システム」とかを駆使して、活動休止中のオーケストラ団員が指揮者もいないまま在宅で、ロッシーニの歌劇『ウィリアム・テル』の「序曲」を奏でる、というのはなんとすばらしいことだろうか! そしてこれを動画配信サイトで全世界に向けて発信し、いままでクラシック音楽に縁のなかったリスナー層を取り込むことに成功してもいる。

 総じて、社会インフラとしてのインターネットの普及と、それを支える技術の急速な進歩によって、30 年くらい前までは実現不可能だったことがいともあっさりとできちゃったりするから、そういう点ではひじょうに恵まれていると言える。翻訳の仕事だってぜんぶネット経由で訳稿の納品ができますし(というか、紙媒体の納品はありえなくなっている)。その気になればなんだってできると思うんですよね。文字どおり empowerment だと思う。もっともオケなんかはやっぱりコンサートホールのライヴを聴くにかぎるんですが、たとえネット経由であっても、ひとりひとりの「想い」が真摯でパワフルであれば、それは聴き手にもズキューンと伝わると思うのです(個人的には、演奏家の自宅が映し出されるのも新鮮な感覚あり。とくにジャン・ギアン・ケラス氏のフライブルクのお宅の部屋、インスタのストーリーズに公開してもおかしくないほど「映え」てましたね)。

 その音楽はもちろんなに聴いたっていいんですけれども、かつて自分が病気で臥せっていたころは、ヘルムート・ヴァルヒャの弾くバッハのオルガン作品集の LP レコードが心のよりどころで、ヴァルヒャによってバッハ音楽の深淵な世界に誘われた気がする。上記番組では、世界に名だたる演奏家のめんめんがそれぞれの「想い」を胸にベートーヴェンやドビュッシー、フォーレの楽曲を演奏していたんですが、演奏してくれた全 10 曲中なんと 4曲がバッハだった。そう、こういうときこそバッハなんだよ !! 庄司紗矢香氏は「毎朝、瞑想と自分に向き合うために」バッハの一連の『無伴奏』ものを弾く、とおっしゃっていた。ピアノのラン・ラン氏はバッハ弾き、というイメージがあまりなかったんですけど、こんなご時世ではやはり「宇宙を思わせるバッハの音楽」一択、という趣旨のことをおっしゃっていて、バッハ好きとしてはたまりませんでしたね。

posted by Curragh at 03:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 最近のニュースから
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