国家安全保障担当補佐官という仕事には、ありとあらゆる無理難題が目の前に立ち現れる。こんな仕事のどこに惹かれて、私はこの重責を引き受けただろうか? 混乱と不確実性とリスク、大量の情報を処理し、つねに決断を迫られ、とにかく膨大な作業量に終始圧倒される仕事。人間の個性とエゴが国際舞台で、アメリカ国内で衝突し合う。こういったことにおもしろさを見出だせないような人は、ほかの仕事を探すしかない。この仕事にはどう考えてもうまく行かないだろうというときに、パズルの各ピースがぴたりとはまる瞬間がある。そんなときは爽快感さえ覚えるが、この感覚を部外者に話してもほとんどの場合、共感されることはない。いきなり失礼。これはいま全世界で話題(?)の、こちらの本の Kindle 版の第1章出だしから試訳をつけてみたものになります。
トランプ政権の変質について、包括的な説を提示することはできない。どんな説をもってしてもそんなことは不可能だからだ。しかしながら、トランプ政権の軌跡に関するワシントンの紋切り型の常識は誤りだ。知的に怠惰な層にとっては魅力的に映るこのトランプ像は、当時広く受け入れられていたものだ。すなわち、つねに突飛な言動を繰り出すトランプは大統領に就任して 15 か月間、未経験の場所で感じる所在なさと「大人たちの枢軸」に抑えつけられ、自身の行動にためらいがあった。しかし時間が経つにつれトランプは自信を深め、「大人の枢軸」たちも次々と離脱してすべてがバラバラになり、いつしか周囲は 「イエスマン」しかいなくなった、というものだ。
いつものワタシらしくない? そう、つねづね「流行りものは見向きもしない」ことをウリにしてきた人間としては、なんだか不戦敗みたいな、「長いものに巻かれた」ような気もなくなくはない、のではあるけれど、とりあえず第2章途中まで読んでみて、読み物として意外とおもしろいなコレ、というのが偽らざる感想でありました。
米国の現政権については、たとえば要職のひとつであるこの「国家安全保障担当補佐官」にしても、最初に就任したマイケル・フリン氏から現職のロバート・オブライエン氏まで、代行者もいれてなんと6人も入れ代わり立ち代わり交代しているという混乱ぶり。で、その入れ替わり立ち替わりぶりについて、もと「中の人」だったボルトン氏が詳細に記述しているのが、冒頭の章ということになります。全体のプロローグ的な書き方にもなっており、ここだけ読んでもけっこう楽しめるんじゃないかと思われます。
とはいえこの本、当然のことながら、現代の米国政治ものが好きな人向けではある。この前、地元ラジオ局の朝の情報番組でアンカーを務めているキャスターがなんと! 「英語学習の近道として最近、多読がいい、ということが言われていますので、ワタシ、この本予約しちゃいました! で、さっそく読み始めたんですが…」、1行目の 'National Security Advisor' で1分ほど考えていたとか。この手の本を原語で読みたいというその意欲の高さはまことにあっぱれながら、たとえば「ラダーシリーズ」あたりから始めてみるのはどうでしょうか。いきなりコレは敷居が高かったかも …… もっとも話題の本ですし、番組前フリのネタということで紹介したエピソードなんでしょうけれどもね。
ついでにわが国の防衛相殿もこの本を読むのを楽しみにしていたそうなんですが、「売り切れて手に入らなかった」とか。ハテ? Kindle 版ならすぐにでも読めるのに知らないのかな、とかよけいなお世話ながら思ったりもした。
Kindle 本なんで気になったとことかどんどんマーカー入れつつ読み進めたんですが、たとえばまだ副大統領候補だったときに会ったマイク・ペンスは「筋金入りの強力な国家安全保障政策支持者。彼とはすぐ、外交と防衛政策上の幅広い問題について意見を交わした」とあり、ウマが合っていたらしいことが垣間見えたり、最初の国防長官だったマティス氏がオバマ政権時代の元国防次官ミシェル・フロノイ氏を副長官に推していたのは「理解しがたかった」と酷評していたり。また現政権の最初の国務長官だったティラーソン氏が自分を副長官に据えることにとんと無関心だったことについて、「私が彼の立場だったなら、当然、同じように感じていたことだろう[Of course, had I been in his shoes, I would have felt the same way.]」なんて典型的な仮定法の例文みたいな言い回しが出てきたり。
個人的に笑えたのが、「トランプは大統領としてのブッシュ親子と両政権を忌み嫌っていた。そこで思ったのは、こちらが10年近くもブッシュ両政権に仕えてきたことを失念しているのではないか、ということだった。そしてトランプはころころ気が変わる。ケリーの説明にずっと耳を傾けていると、彼はよく逃げ出さずにいられるものだと思った」というくだり。いかにもって感じですな。
こういう確実に売れる本というのは納期がキツくて、いまごろ訳者先生はネジリ鉢巻で訳出作業に当たっていることでしょうが、翻訳書と言えばなんと! ジョーゼフ・キャンベルのこちらの新訳もいつのまにか出ていたんですねぇ、これにはビックリした。まさか新訳が出るなんて予想もしてなかったもので … おそらく原書はこの拙記事で一部を紹介した本だと思う。こちらは近いうちに花丸氏御用達の本屋さんに行って探してみるつもり。