いま、COVID-19 パンデミック以降、ひさびさに定演を再開したこれを聴取してます。
コダーイの『ミゼレーレ』とかもあるけど、ほぼシューマン・プロ。でももっとも驚いたのは、サントリーホールからの生中継後にかかった過去の録音で、エルガー編曲によるバッハの『幻想曲とフーガ ハ短調 BWV 537』が紹介されたことだった。
以前も何度かここで言及したかもしれないが、バッハのオルガン曲の編曲はヴェーベルン、シェーンベルク、リスト、カバレフスキー、レーガー、ケンプといった錚々たる作曲家 / 演奏家が手を染めているけれども、エルガーまで編曲を手掛けていたとは、まったく遅かりし由良之助、な気分(手垢にまみれた喩えで申し訳なし)。
なんでまたエルガーが、しかもこの重厚かつ「バッハ版悲愴」とでも言うべき渋さ全開の「幻想曲とフーガ」をオーケストレーションする気になったのか。本日のゲスト解説者の広瀬大介先生によりますと、ちょうどそのころのエルガーは最愛の妻キャロライン・アリスを亡くしたばかりで意気消沈していた、とのこと。それでこの曲だったのか、とひとり納得したしだい。最愛の身内の者との死別、という当人にしかわからない喪失感を抱え込んでしまったとき、やはり人はバッハへとしぜんと気持ちが向かうのかもしれない。バッハのこの作品は、きっとエルガーにとって文字どおり生きるよすがとなったんじゃないかって思う。
原曲はバッハがヴァイマールの宮廷に宮仕えしていた、1712〜17年に作曲されたと考えられてます。バッハのオルガン作品にはよくあることながら、この曲もまた直筆譜は残ってなくて、バッハお気に入りの弟子だったクレープス父子による筆者譜でのみ伝わってます。幻想曲の出だしはとくに印象的ですが、じつはパッヘルベルにもこれとよく似た感じのオルガン曲があって、いわゆる「ため息音型」と呼ばれる下がっていく音型を伴って進行していきます(下行音型、とくると、青島広志氏が「ららら ♪ クラシック」でベートーヴェンの『第5交響曲』出だしのあの8分音符動機タ・タ・タ・ターを「下・が・る・ゾー!」と言っていたのはじつに的確なるご指摘)。
今週はもうひとつ、NHK-FM の「古楽の楽しみ」でも、個人的に大好きなバッハの教会カンタータ『神の時はいとよき時 BWV 106』がかかってまして、出だしの天国的美しさの「ソナティーナ」で朝っぱらからすでに昇天状態恍惚状態だったわけなんですが、このカンタータについてはぜひ『「音楽の捧げもの」が生まれた晩』という本を読まれたし。この本、タイトルどおりバッハ最晩年の傑作『音楽の捧げもの BWV 1079』が成立するまでを描いたある意味迫真のノンフィクション読み物なんですが、個人的にはこっちの教会カンタータを説明したくだりが最高に筆の冴えたくだりだと勝手に思ってます。楽曲分析の精密さもさることながら、本質をズバリ突いていて、時間のない人は本文 327 ページのこの本のここだけ拾い読みしてもいいくらい。
こういうときだからこそ、じっくりバッハ作品を聴き直すのはまさに至福のひととき、「神の時」だと思うしだい。そういえば何年か前、べつに砂川しげひさ氏のモノマネじゃないけれども、バッハの教会カンタータ全曲制覇(苦笑)をここでも書きました。まだ作品番号 900 番台のリュート組曲とかいくつか聴いてない楽曲がちらほらあるにはあるが、そろそろ作品番号 198 以降の世俗カンタータと呼ばれている一連の声楽作品をすべて聴こうかと思案中。これらの作品を聴き終えたときには、バッハ作品はほぼぜんぶ聴いたことになります──いったい何年かかってんだよ、と思わないこともないけれども。
2020年09月23日
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