…… 少し前の話ですが、あのトランプ大統領の新型コロナ感染のニュースには驚きました。世界中がコロナに悩む中、私も四苦八苦しながら何とか感染から逃れてきました。
皆が早く以前の生活に戻ってほしいと祈る中、「自分だけは大丈夫」と思ったのか、マスクすら着けずに※ 強がりを続けていたトランプさん。やはり対策を軽視していたのではないかと思わざるを得ません。退院後の大統領の発言や行動に、どれだけの人が納得できたでしょうか。
……コロナの恐ろしさは、何と言っても目に見えず、えたいも分からないところにあります。誰が感染者なのか全く分からないこの恐怖感。私なりに生意気を言わせてもらえば、人類全てがこの地球という星の大変化と、何らかの大転換期に「気づきなさい」と何者かに言われているように思えるのです。……
これは 10 月、地元紙夕刊に掲載された、3か月ごとに交代する持ち回り担当の身辺雑記的コラムでして、書いたのはあの国民的歌手の橋幸夫さん。いまちょっと調べたら、けっこう本を上梓しているんですね。まっさん(さだまさしさん)みたいだ。あいにく芸能関係の人の書いた本っていままでまったくといっていいほど興味関心がなくて、橋さんの著書も読んだことないんですけれども、なんかひさしぶりに読んで気分がスッキリしたというか、読後感のなんと爽やかな日本語だろうと思ったんですけれども、みなさんはどうでしょうか。
これは折に触れここで何度も言っていることの何番煎じになるけれども、だれしも「ついーと」できるようになってからというもの、こういう配慮の利いた、読んで気持ちのいい文章ってめっきり少なくなったと感じている。いちおうコレでも人さまの書いた横文字の文章をせっせとタテに直している稼業の人なので、昨今の SNS での断定調の垂れ流しなんか見ていると、だれもが「人さまに読んでもらうための書き方」なんてまるで考えてない文章をバチャバチャ打ち込んで投稿するという行為をなんとも思わなくなって、感覚麻痺を起こしてるんじゃないかっていつも感じている。なのでよけいにこういう文章に出会ったときの喜びは大きくて、陳腐な比喩ながら、「砂漠のど真ん中でオアシス」を見つけたような気持ちにさえなる。もっとも日本語文章のプロ、たとえば校正の人が見たら直したくなる箇所もないわけではなかろう、とは思うが(個人的な話で恐縮だが、いまある本をまるまる一冊下訳していて、めちゃくちゃに直しを入れられてときおり滅入ったりしている。正しい日本語で書く、という行為がいかにタイヘンかをいまさらながら痛飲、じゃなくて、痛感しているところ)、以上を踏まえてこの橋さんのコラムを読むと、ワタシはまちがいなくこれは「名文」だと思う。
ひるがえってじゃあワタシはどうなんだろ、となると、たとえばここでも書きなぐっていて、そうでないところでもライターとして文章を publish してきた身としてはなはだ心許ないが、せめて橋さんみたいな「配慮の行き届いた」日本語文の書き手になろう、とひそかに決意したしだい。
余談:橋さんも書かれているように、今年はほんとうにとんでもないウイルスに翻弄されてきた感があるけれど、そんな年ならではの「新語」も登場したり …… たとえば "covidiot"。英語のわかる人が見ればハハンそうかみたいなカバン語で、co(vid19)に idiotをくっつけた単語。使われる場面としては、たとえば橋さんが書いていたように、マスク着用すべき人が着用すべき場面で平然としていない、そういう人を揶揄した言い方。新語つながりでは、つい最近の地元紙に載っていた "sober curious"。こっちはまったく知らなかったから、とても参考になりました。その記事によると、この単語は「ファッションブロガーや自己啓発の指導者が脱アルコールを先端の生活スタイルとして発信。ソーバーキュリアスは米英発の現象として日本でも紹介され始めている」んだそうな。
下世話な想像ながら、いつぞやの「Twitter 教」を日本で布教した輩みたいに、こっちも我先とばかり飛びついてひと儲けしようなんてもくろんでいる手合いがさっそくいるかもね。ま、勝手にどうぞ。
ヘンなオチになってしまったので、お口直しにふたたび橋さんの名調子に再登場してもらいましょう。本日の地元紙夕刊に掲載されていたコラムから、結びの部分を引いておきます。
私は今年、芸能生活60周年を迎えました。その記念曲として「恋せよカトリーヌ」というラブソングと「この世のおまけ」の2曲を発表しました。人を愛することのすてきさと、熟年を超えた私たちの人生は「おまけ」なんですよ、考え方次第で明るくも楽しくもなりますよ──。そんな歌を元気に歌える自分に感謝しながら楽しく過ごしています。皆さんも暗くならずにお元気で。また来週。
※ …… マスクの効用について、たとえば専門家はこういう発言をしてますが、スーパーコンピューターなどの試算やその他の研究により、使い捨てマスクも含めたマスクの絶大な効用はすでに明らか。なんせワタシなんか、べつに対人恐怖とかじゃないけれども、退職するまでいた職場の都合上、暑かろうが寒かろうが年中、通勤の行き来にもマスクを着用しつづけてきたし、そのせいなのか、風邪もひかなくなった。マスクするのがクセになっているので、欧米人はともかくこのご時世になってもなお「マスクするのがイヤ」とかまず信じられないし、だいいち医療現場で身を挺して働いているエッシェンシャルワーカーの方に失礼だと思わないのか。
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