2020年12月06日

たまにはイジワル爺さんみたいにツッコんでみた話

 いまさっき NHK-FM で「N響演奏会」ライヴやってまして、プログラムはショスタコーヴィチの「5番」とか、伊福部昭の「日本狂詩曲」とか。とくにこの「日本狂詩曲」は昭和のはじめ、米国の指揮者ファビエン・セヴィツキーからの依頼で書き上げて、向こうで初演したら大喝采で作曲コンクールでも賞をとったというのだからある意味すごい逸話付きの作品。で、日本人のくせして日本人作曲家の作品をロクに聴いてこなかったワタシも訳出作業を進めつつはじめて聴いて、日本の伝統的な打楽器を効果的に多用した特有の「作品世界」というか、お囃子の「ノリ」みたいな作風に感嘆したのでありました。

 で、当然、ゲストの音楽評論家先生もそんな感想を述べられてまして、その流れでこんなこと言ってました。「… こういう音楽を聴くと、やはり自分も日本人なんだなァと思いました。こんな音楽を書けるのは日本人しかいない。どうだ、日本人もすごいだろう、と ……」。

 聖ヨハネス・クリュソストモス、またの名「金口イオアン」は「かくして悪魔はこっそりと街に入り火をつける、ありとあらゆる悪意に満ちた歌でいっぱいの、堕落した音楽によって ! 」と警句を吐いていたりする。おらが同胞の音楽の、しかも生演奏の大迫力に圧倒され心奪われたその心情をすなおに吐露する、のはまことけっこうなことながら、同時に危険でもある。音楽にはこういう「悪魔的力」があるのもまた事実だし、さきごろ放送の終わった古関裕而の半生を描いた朝ドラにも、そんな音楽のもつ「負の側面」が描かれていたようにも思えるが、このすなおな心情の吐露にはべつの問題もある──「こんな音楽を書けるのは日本人しかいない」

 こういう発言を耳にして、だいぶ前にここで書いたことをいま一度、引っ張り出したくなった。それはオルガニストの松居直美さんがドイツ留学していたときに、地元のご老人にこう断定されてしまったというこぼれ話──「日本人に、ドイツ・オルガンコラールの演奏はできない」。

 伊福部作品を聴いて感激して思わず口にした発言と、松井さんがドイツ人に言われたことは、じつはまったくおんなじコインの裏と表だ。不肖ワタシはこれ聞いた瞬間、「んなわけない!」って口走っていた。前にも書いたが、米国から日本にやってきて日本人顔負けの尺八演奏家になった人はいるし、お茶のソムリエだったかそういう仕事に就いているフランス人もいる。ガイジンだからとか日本人だからとか「そんなの関係ねぇ」のであります。ややもすれば誤解を招きかねない発言じゃないかって思う。

 もっとも、問題発言ということだったら、またしても亡霊のごとく「NHKの教育(Eテレね)の電波帯を売却しろ」とかなんとか、またそんなアホなこと言ってる人が出てきたりで、ただでさえコロナで鬱々としているところに追い打ちかけられるような気がしてほんとイヤになってくる。

 …… なんて悶々としていたら、そのあとの「鍵盤のつばさ」はなんと! オルガンの話じゃありませんか !! NHKホールのシュッケオルガンの響きもホントひさしぶりに聴けて、うれしかった。プリンツィパール管の積み重ね(8’+4’+2’ のストップを重ねる基本技)から、フルート管族やリード管族との音色の比較や3度管、5度管といった音質そのものを変えるミューテーションストップを同時に使用して鳴らしたりと、オルガン初心者にもじゅうぶん楽しめる内容だったんじゃないでしょうか。MC の作曲家先生「初の」オルガン曲も「初演」されて御同慶の至りではありますが …… なんかトゥルヌミールかメシアンばりの作風でしたね。デジャヴュ感ありあり。

 …… でも、MC の作曲家先生がオルガンのリード管の音色を何度も「オバちゃん」呼ばわりするのは、喩えだからとはいえ、いくらなんでも女性オルガニストのゲストを前に失礼ですぞ。

posted by Curragh at 02:11| Comment(0) | TrackBack(0) | NHK-FM
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/188192486
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック