先週の「古楽の楽しみ」、バッハ好きにはたまらん特集でした。仕事の切れ目が朝になったり夜になったりで毎朝聴取できてないとはいえ、一連の「ブランデンブルク協奏曲」を聴き、案内役の加藤拓未先生のお話に耳を傾けていると、やっぱりバッハという人は稀代の名アレンジャーだったんだな、という思いを強くしたしだい。
これは前にも書いたことで、もはや何番煎じかもわからないけれども、翻訳ってよく演奏行為にたとえられます。しかし、どっちかと言えば翻訳は「編曲」つまりアレンジに近い。「ヨコのものをタテにする」っていう言い方がかつてはありましたが、編曲という行為の場合、原曲(オリジナル言語)があり、それをべつの楽器やべつの編成(ターゲット言語)に変更して「改作」するのだから、まさしく翻訳そのものです。編曲=翻訳ととらえれば、さしずめバッハは歴史に残る名翻訳家だと言えます。
そして、翻訳者に求められる資質とアレンジャーに求められる資質というのもまたよく似ている気がする。まず研究熱心であること。これは分野問わずアートな仕事に関わっている人にはすべて当てはまるだろうが、こと外国語で書かれ、異国の文化から発信されたテキストを日本語に翻訳するのは「〜の公式」みたいに機械的になにかの原理や公式を当てはめてハイ一丁上がり、なんてことにはぜったいにならない。まずもって目の前に広げた原書なり、Web 上の英文なりの「背景」を知らないと話にならない。知らなければ、学習しなければならない。これが嫌いな人は翻訳者に向いてない。たとえばいきなり「グノーシス」だの、「デミウルゴス」がどうのこうの、果ては「イーアイ・イーアイ・オー」とかがなんの前触れもなく出てくるかもしれない(最後の例は、たまたまいま読んでる哲学者ダニエル・デネットの最新の著作にホントに出てくる)。
編曲もまさにそう。1714 年ごろ、バッハは当時仕えていたザクセン=ヴァイマール公国領主の 14 歳(!)だった甥っ子ヨハン・エルンスト公に、ヴィヴァルディとかの当時最新のイタリア音楽様式で書かれた「コンチェルト・グロッソ」を編曲するよう依頼され、さらにまたヨハン・エルンスト自身の作品も編曲するよう仰せつかった。で、ヨハン・エルンストが所望したのは、「これらの協奏曲を、すべてオルガン1台で弾けるようにすること」だった。
バッハがどんな気持ちでこの依頼を引き受けたかはまったく妄想するほかないが、自分がもっとも得意とする楽器のために編曲せよ、というのはもう仕事というよりホビーに近かっただろうと思う。バッハは少年時代から、他人の作品の研究が大好きな人間で、しかもこんどはヨハン・エルンストじきじきに留学先のオランダから持ち帰ってきた、当時最新のイタリア様式の楽曲の出版譜が目の前にあったのだから。仕事として依頼を受けなくてもみずから率先してオルガン用編曲(BWV592 〜 597)に取りかかっていたはずです。若き巨匠バッハにとって、ヴィヴァルディらの楽譜はまさに「宝の山」であり、オルガン用にアレンジして過ごした時間は、文字どおり「至福のひととき」だったにちがいない。
じっさい、そんなバッハの「ワクワク感」は、一連の「オルガン協奏曲」を聴くこちらにもビシバシ伝わってくる。バッハの音楽スタイルに、あらたな生命が宿ったその瞬間に立ち会っている錯覚さえおぼえる。有名な「小フーガ BWV578」など、バッハははたち前後から、それまで猛烈に影響を受けていた北ドイツの幻想様式を脱皮して、「朗々と旋律線を歌わせる」、音楽学者ハインリッヒ・ベッセラーの言う「歌唱的ポリフォニー」へと大きく変化していった。この「イタリア音楽編曲体験」も、そんな時期のバッハと重なっている。結果的に、後年のバッハの音楽スタイルは北ドイツ・南ドイツ・フランス・イタリアと当時の欧州大陸の音楽の流れが注ぎ込む「海」のような独特な混淆様式になっていった。加えて、最晩年にはパレストリーナやフレスコバルディなどの古様式研究の成果も反映された巨大な楽曲群(「フーガの技法 BWV1080」、「音楽の捧げもの BWV1079」、「ミサ曲ロ短調 BWV232」、「14 のカノン BWV1087」など)も生み出されることになる。だからダジャレ好きだったらしいベートーヴェンが、「バッハは小川ではなくて大海」と言ったのは、正直な気持ちの吐露だったのだろう。
バッハの「編曲好き」はヨハン・エルンストによってもたらされた「イタリア体験」後もすさまじく、「無伴奏ヴァイオリンパルティータ BWV1006」の前奏曲を「教会カンタータ第 29 番」のシンフォニアに転用しているし、そもそも「ブランデンブルク」じたいがすべて自作の原曲を編曲・改作したもので、番組ではめったに聴けない「初期稿」ヴァージョンにもとづく演奏まで聴けたりと、興味は尽きない。とくに「5番」の第1楽章の有名なチェンバロ独奏パート、初期稿版はたしかに「そっけない」かもしれないが、いやいやどうしてこっちもおもしろいではないか! 「ニジガク」の侑ちゃんではないけれども、「完全にトキメいちゃった」感じ。こういう多様性、規則だらけに見えてもそれを軽々と超越してあらたな音の世界を作り出していくこのいかにもバロック的な生命力、グールドがかつて言ったようなバッハの「運動性」にこそ、バッハの真の魅力があると思う。ジャック・ルーシェ・トリオがあれだけかけ離れたスタイルで演奏してもやっぱりバッハはバッハでしっかり響いてくる理由も、このバッハならではのヴァイタリティにあるように思うし、それをもたらしたのは、ほかならぬバッハの研究熱心さ、そして一連の「編曲(=翻訳)」作業にあったように思う。有名なマルチェッロの「オーボエ協奏曲」や、そしてなんと! ペルゴレージの「悲しみの聖母(スターバト・マーテル)」まで、バッハは編曲しているのですぞ(BWV1083、前者はチェンバロ独奏用、後者はドイツ語歌詞によるモテットに編曲している)。
バッハが 21 世紀に生きていたら、まちがいなく偉大なアレンジャーになったでしょうね。いまは Mac 系ではおなじみの「GarageBand」という DTM ソフトウェアもあるし、楽譜作成では「Sibelius」などのソフトウェアもある。もちろん無料の DTM ソフトウェアや素材もたくさんあるし、バッハがいま生きていたらいったいどんな音楽を作って、聴かせてくれたのだろうかと考えるだけでも楽しい(↓は、BWV592 の演奏クリップ)。
2021年01月31日
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