2021年05月02日

画家クールベの生き方に学ぶ

 いまさっき見た「日曜美術館」のクールベ特集。率直な感想は、「なんて戦闘的な人だ(汗)」。

 ギュスターヴ・クールベの名前をはじめて知ったのは、小学生のときに親に買ってもらった『美術の図鑑』に載っていた「こんにちは、クールベさん」。当時、この油絵作品(のカラー図像)を見て思ったのは、「自分で自分のことを『クールベさん』って言っちゃうんだ(笑)」と、なんて気さくな人なんだろ、ということ …… だったんですけど、じつは帽子をとって挨拶している相手というのがなんと当時、クールベの生活を支えてくれていた懇意のパトロンその人ですと ?! しかも『ゆるキャン△』に出てくる松ぼっくりよろしく「\コンニチハ/」されている画家クールベといえば、ふんぞり返って、パトロンなのに相手を上から目線で睥睨している。…… あれから 40 ウン年、気さくどころか、ハナもちならぬ男だったことが遅まきながら判明した(微苦笑)。

 でもクールベという人は、見ようによってはハナもちならない、「世界一傲慢な男」だったかもしれないが、こと芸術となると「レアリスム」つまり写実主義を提唱してそれを生涯、ブレずに一枚看板にして画業に励んだ結果、晩年になってようやくサロンにも認められ、まだ 20 代だったクロード・モネ(!)とも仲よくなったりと、時代の先を行っていた画家だったのはまちがいない。加えて、いまで言う炎上商法的なこともやっていたりと、「ドル紙幣をたくさんもらったときだけぐっすり眠れる」と豪語していたサルバドール・ダリもあのギョロ眼をさらにギョロつかせるくらい、そういう方面にかけても先駆者だった。「個展」というのをいちばん最初に開いたのもじつはクールベだという。

 最晩年、政治犯として投獄されたり、釈放後に失意のままスイスに亡命したりという話は、なんか哀れな末路にも思える。もしそんな政治的誘惑に乗らず、おのれの目指す道を独立独歩で突き進んでいたらと思う。そういう反省もあるのか、番組では「わたしはいかなる宗教にも、いかなる流派にも、いかなる組織にもただの一度も属したことはなかった」ということばを紹介して終わっている(ところであのバカでかい『画家のアトリエ』という作品、あれまさかホンモノなのだろうか?)。個人的に印象的だったのは、一連の「海」の連作もの。白い石灰岩の絶壁の景勝地エトルタの海景ってモネじゃなくて、クールベが最初に目をつけて描いてたんですね、知らなかった。

 ある意味孤高の人だったかもしれないクールベさんですけど、ひるがえっていまのアーティストってどうでしょうか。どこの世界も分業化が進んでいるから、なかなかそういうわけにもいかないとは思うし時代も違うから、単純な比較はいけないかもしれない。しかし「われわれアートの世界の人間にも○○の権利を !!」というのは、なんかちがくね? とも感じてしまう。

 そもそもアーティストって反骨の人、権力の対極にいる人のことでしょう。そういうのはほかの方にお任せしたらどうですかね。アーティストがほんとうにやるべき仕事って、ジョイスの言う「エピファニー」を創り出すことだろう。政治的・教訓的芸術ではないはず。クールベだってそうでした。また、SNS でさかんに発信したりするアーティストも多いし、それはそれでけっこうながら、アーティストのほんらいの仕事との比重が狂ってしまっては本末転倒だとも感じている。

posted by Curragh at 11:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 美術・写真関連
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