じつはこの本、そのスジではかなりよく知られ、そこそこ売れているみたいです。じつはワタシも訳書が出るまでそれなりにスッタモンダがあったため、書かれてある苦労談とかはすごくよくわかる。二番煎じになるけれども、書籍を出版する場合って、たいてい書面の契約書はありません。だいたいが口約束で済まされます。ほかの業界だったらまずありえない話ですが、これが長年の慣行ってやつです。
せっかく1冊まるまる翻訳したのに勝手に出版中止にされ、その責任を問うているのに版元に誠意が感じられず、やむなく提訴 …… という話、ワタシも間接的に知っています。訴訟まではいかなかったものの、「悔しくて一睡もできなかった」と精神を病む寸前まで追い込まれたなんて話も聞いたことがあります(この話、けっこう名前の知られた YA ものの翻訳の大家の証言なんですぞ)。
しかも食えない。だから糊口をしのぐため、なにかしら「兼業」するしかない仕事だったりする。おまけに売れる本は売れるでしょうけれども、それ以外は鳴かず飛ばず、重版がかかることなく初版で品切れ絶版、なんてのが常態化してウン十年経っているでしょうか。そんなこともあってか、翻訳者唯一の収入源である翻訳原稿料でさえ、「印税」方式ではなく「買い切り」方式(ケチ…!)もかなり増えている。さらに悪いことにはクラウドソーシング全盛時代、アウトソーシングして翻訳者を募集するのはいいけれど、そんな募集はたいてい名の知れたプロ並みの要求をしてくるくせして相場無視の法外な稿料しか払わないところがほとんどときている(ある意味、ブラック業界化している。1冊まるまる訳すのにいったいどれだけの費用と時間と労力がかかっていると思ってるんですか)。
だから、この本で著者が嘆いているのはホントよくわかるんですが …… ハッキリ言って共感できません。なぜか。文章心理学的に、というか、生理的に受けつけないのかもしれない。
かんたんに言うとこの本、終始一貫、「ワタシは悪くない、被害者だ、悪いのは○○」とこんな調子なんです。それに注意深く読むとこの方、ワタシなんか足許にもおよばない英語力と「翻訳力」があるにもかかわらず、最終的に翻訳稼業から足を洗って警備員になるしかなかったのが、ほかならぬご自身の学習能力の欠如にあるとはまるで思い至っていないのがものすごく歯がゆくも思う。言い方はたいへん失礼ながら、詐欺被害に遭いやすいカモタイプかもしれない。最悪の事態を想定せず、物事はきっと「ご自身に都合よく」回るだろうと考えているフシがある。
ちょっと手厳しいと思うが、とりあえずそんな「書き方」の例を、ワタシの感想(大かっこ内)も混じえて書き出してみる(下線は引用者)。話の内容は、「翻訳品質に関心のない編集者」について。↓
私はすでに旧訳が出ている原書の新訳を依頼されたことが何度かある[ソレハソレハ]。…… ではそういう場合、私は何をするか。私はその機会をうまく利用して自己PR 用の資料を作るのである[ご苦労さまです]。その資料は、私の訳文と旧訳の訳者の訳文が[もうすこしなんとかなりませんかね?]比較できるようにしたものである。ただ、編集者も忙しい人たちであるから、私は新訳と旧訳がすぐに比較が[←トル]できるよう、著しい差が出ている箇所を強調して示している[ちょっと待った。そのすぐ前で「私が翻訳書担当の編集者についてもっとも驚いていることは、彼らが[ママ]翻訳のクオリティーに対する関心があまりにも薄いことである。彼らにとって最大の関心事は売れたか売れなかったかであり、売れない翻訳書は翻訳のクオリティーに関係なく『失敗作』なのである」ってご自分で書いていますよね? せっかく作ったはいいが、ロクに目も通されないことくらい、察したらどうですかね …… その労力をほかに振り向けたほうがよいのではなくて ?? ]。これを見せることで、
(ほら、この翻訳家はここをこう訳してるでしょ。でも同じところを私ならこう訳すのです。この違いがおわかりですか。どちらの翻訳家の訳で読みたいですか)[ある女性編集者のことを「上から目線」とクサしておきながら、あなたも大したものじゃないですか! というかオラにはおっかなくて、とてもじゃないがこんなマネできっこないす。それにこれはズルい。後出しジャンケンみたいで。そもそも編集者が旧訳と比較して判断するなんてことはないでしょう]
と私の翻訳のクオリティーを吟味してもらおうと思っているのである。
と、こんな感じ。
さらにイヤ〜〜な書き方もある。出版翻訳から警備員に転身したいまはきれいさっぱり、「後悔などあろうはずがない」なんてどっかで聞いたような科白を引用するのはよいが、なんとなんと脚注に「本書をお読みの翻訳書担当の編集者で私の自己 PR 用の資料を見てみたいと思う方は喜んでお見せします。ただしなんらかの仕事を私に依頼していただくことが前提です。連絡先は ……」!!! こちとらもう口あんぐり。未練たらたら感満載じゃございませんか。
まだまだある。「売れる本にしたいので、W 先生に監修者になってもらおうと思っているのですが、よろしいでしょうか」と訊いてきた編集者に対し、「出版社はそれでも売れればいいだろうが、それでは私が困るのだ」
とこんな感じで押し問答がひとしきりつづいたあと、「だって○○さんって、なんでもない人じゃないですか」と言われ、深くショックを受けた著者はこう書く。
なんだなんだ、なんでもない人とはなんだ。私はなんでもない人なんかじゃないよ。…… 実際、こっちはイギリスの名門の大学院から修士号を取得しているんだよ。出版翻訳家になるのだってたいへんなんだよ。なのになんで私がなんでもない人なんだよ。そういうあなたはどれだけ立派な人間なんだよ。だいたい、人のことをなんでもない人なんて言う資格があなたにあるのかよ
「つい〜、“sell word”に“buy word”で」と言った小原鞠莉じゃないけれども、こんなの読まされたらついそう言いたくなってしまうじゃないですか。というかこれ「藁人間論法」じゃないですかね。ちなみに監修者として名前の挙がった W 先生は、アーノルド・ベネットの超有名なロングセラー本を翻訳した大先生。さらについでに、「イギリスの名門の大学院」のある大学は、世界ランキング 50 位中の 42 位でした。
それとそのすぐあとにもこの「翻訳品質に関心のない編集者」の話は尾を引いていて、
旧訳を新たに訳し直すときって翻訳のクオリティーを高めて出したいからではないの? もしそうでないのなら、なぜ新訳を出したがっているの?
そのときそうギモンに感じたのなら、その旨直接お伺いを立てればよかったんじゃないですか?
さも自慢(?)話ふうに得々と書いている箇所も多くて、この著者はそうとう粘着質な人と見た。トラブった編集部宛てにファクスを執拗に送りつけて業務妨害スレスレのこともしていますし。こういう暴露本って、だいたい著者の独善ばかりが目につき、ハナにもつくという代物がほとんど。以前図書館で見かけた「元郵便局員」が書いた内輪ものの本とおんなじ臭いがした。たしかにワタシも精神的に不安定になりかけたことがあり、この本を知ったときは「またなんとタイミング悪く、こちらの士気を挫くような本が出たもんだ、それに売れてるらしいし」なんて思ったもんだが、いざ読んでみたら、「いや、待てよ。ひょっとしたらひょっとして(Are you telling me what I think you're telling me?)」みたいな本かも、とも思っていた。で、読んでみたら後者だった。思い込みの強さという点ではワタシも似たかよったかだが、著者もまた思い込みの激しい人であることは、書かれた文章の行間から芬々と漂う。
思うんですが、たしかに翻訳作業って孤独で、とにかく「ひとり」で自己完結しているようなイメージの強い仕事ではある。究極のテレワークと言ってもいいかもしれない。でも1冊の翻訳書を世に出すには、翻訳者がひとりいたってできるわけがない。校正者がいて、編集者がいて、校閲者がいる。発行人がいて、印刷と製本会社の従業員の方々がいる。書店に配送する人に、そしてもちろん、書店でその本を売ってくれる販売員の方々がいる。それを買ってくれる読者がいる。エラソーなこと言ってほんとうに申し訳ないのだけれども、この人にいちばん欠落しているのは、「自分は翻訳出版チームの一員だ」という意識じゃないかって気がします。この手の人は最後までひとりで完結する、Amazon Kindle のような電子本で個人出版すべきだと思う。コレならすくなくとも理不尽な言いがかりをつけられる心配はないですし。
というわけで、こんな内容ですので、この本につきましてはいつもの書評もどきの扱いとはせず、「選外」とさせていただきます。あ、それともうひと言。ここの版元のこのシリーズ? はけっこう評判がいいそうで、新聞広告でもときおり見かけたりします。しかしながら新聞広告出してる本で「読む価値のある本」、「読むべき本」というのは、ワタシにかぎって言えばまずないです。ワタシが読みたい本は、新聞広告に載らない本ばっかなので。