日本語版はずいぶん人を食ったというか、小バカにしたような書名(原題は Future Babble )ではあるが、このカナダ人ジャーナリストの書き方は読んでいるほうがシャッポを脱ぐ(「こうもり」が通じず、「ダイヤル式黒電話」がなにかもわからず、ことばのプロの端くれであるはずのニュースアナウンサーが「軽々[けいけい]に」、「夜店(よみせ)」とかを誤読する世の中なので、こういう言い回しがすでに「死語の世界」入りしていないことを切に願いつつ)ほど、かつてのジェントルマン的潔さと言いますか、とにかく終始一貫、「真摯」で内省的でストイックであり、この点はおおいに見習いたいとさえ感じた。訳がいいから、そのように感じたのだと思う。
この本では古今の専門家による「未来予測がいかに当てにならないか」の多数の実例が俎上に上げられ、アンコウの吊るし切りよろしくスッパスッパと一刀両断といったおもむきで容赦なく批判されている。過去の名だたる学者、たとえばいっとき日本でもすこぶる人気が高かったアーノルド・トインビーに、キャンベル本でもおなじみの『西洋の没落』のシュペングラー、そしてなんとなんと、あのミスミステリー作家のマイケル・クライトンも例外ではない。
で、ここにいる門外漢がいちばん驚いたのが、そのクライトンなんですね。映画化もされた『ライジング・サン』という本。じつはろくすっぽ読んだことがなかったので、この本ではじめて内容を知って愕然とした。こんなこといま書いたら即三振アウトずら! いくら日本人に西洋びいきが多いからって、こんな「無意識下の差別」丸出し小説はイカンやろ、と思ったしだい。
しかし驚くのはまだ早かった。クライトンがこの小説を書いたのは、バブル真っ只中の時代におもに米国で吹き荒れていた「日本脅威論(あるいは、日本スゴイ論)」に乗っかったついでに自作を売って儲けてやろう的な発想があったらしいこと。ようするにあの当時の米国市民にとって、「日本脅威論」はトランプ的な「ディープステート陰謀論」のように、米国社会のトレンドだったということです。これは逆に言えば、「そんなことはない。日本経済なんてそのうち失速する」と主張しようものなら、コテンパンにされかねない時代背景があった、ということ。その証拠に当時、この手の根拠薄弱な「日本脅威論」ものが売れに売れて、そんな本の日本語訳で書店は溢れていたものだ(神保町の某大型書店でもその手の逆輸入された「日本脅威論」本がベストセラーになり、げんにワタシもそんな本の平積みの山を見たことがある。就職氷河期世代以降の人には信じられない話だろう)。
著者によれば、いつの時代も「専門家の予測など当たった試しがない」。1970 年代から 80 年代にかけてはやった「ピークオイル」説にしてもそう(いまも原油は枯渇していないし、昨年のコロナ禍で原油価格は初のマイナスを記録した)。とはいえ人間はダニエル・カーネマンの研究で有名になった数々の「認知バイアス」があるから、「世界が、基本的に不確実で予測不能であること」はアタマではわかっていても、高名なその道の「専門家」を称する人びとの立てる「未来予測」なるものを必要とする「需要」が途絶えないかぎり、この手の「予測本」も消えることはないと書く。では門外漢の一般市民のわれわれはどうすればよいか。
著者によれば、専門家はふたつのタイプに大別されるという。ひとつが「キツネ」型、もうひとつが「ハリネズミ」型。で、未来予測のアテのならなさは両者共通としつつも、参考にするなら(鵜呑みにしていいというわけではもちろんなし)「キツネ型」専門家の予測のほうがまだマシ、と書いています。専門家といっても、確率的には「コイントス」と大差ないようですけれども、「キツネ型」のほうがまだ人間的に信用のおける学者の場合が多いようです。
加えて、専門家には「専門しか知らない」タイプと、キャンベルのような「ジェネラリスト」タイプがいる。個人的にはもちろん、ジェネラリストな専門家の書いた本なり論文なりのほうが一読に値すると思っています。最近、日本にかぎったことじゃないでしょうが、カネの亡者というか、目先の利益にファウストよろしくあっさり魂を売っているような専門家もけっこういるから、要注意です。
それにいまはインターネットもある。専門家といっても昔みたいにウカウカしていられません。真実ではない情報を垂れ流せば、たちどころに奇特なネットユーザーのネットワークが立ち上がって、査読やファクトチェック結果を発表する世の中。300 ページ超のこの本を読み終えて思ったのは、たとえモットモラシイ話に聞こえても、「ほんとうにそうなのか?」とまずは自分のアタマで考えることがいちばん大切、ということです。
ほかにも予測本ものの著者として、これまたベストセラーを連発していたポール・ケネディ、『第三の波』のトフラー、昨年、ユヴァル・ノア・ハラリと NHK の特番に出ていたジャック・アタリ、ポール・クルーグマンなどが出てくるけれども、『不確実性の時代』で有名なガルブレイスは挙げられていなかった。繰り返すけれども、この本はなにも世界的に名を知られる学者や研究者のイイカゲンさをあげつらっているのではなくて、こういうすぐれた頭脳、すぐれた知性の持ち主でさえも間違えてしまうメカニズムとはなにか、それをとことん探った本です。
10 年前のいまごろもそうだったように、いままた「専門家」と呼ばれる人びとが TV のワイドショーとかに呼び出されて、持論を展開している。原発事故と未知のウイルスの共通点は、「専門家でさえわからないことが多すぎる」こと。TV に映し出されている専門家が「キツネ型」か「ハリネズミ型」かにも留意して、注意深く話を聞く必要がある。そして聞きっぱなしではなく、自分のアタマで考えること。言い換えれば、エーカゲンな予測に、そもそもたくましい妄想の産物でしかない「○○陰謀論」にあっさり引っかからないだけの literacy を身につけることこそ、21 世紀のいまを生きるすべての人の責任かと思う。それさえ怠るような御仁は、それこそ自称5歳の女の子に「ボ〜っと生きてんじゃね〜よ!!」と一喝されるでしょうな。
※ 本文最後の一文の訳について。おそらくこれ下ネタのオチでしょうね。Google Books で検索かけても、当該箇所の原文が表示されなかったから、なんとも言えませんけれども。
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