2021年07月01日

「批判的に」考えることの大切さ

 日ごろ、翻訳の仕事でお世話になりっぱなしの Google 先生。この画期的な検索ツールがなかったころは、いまとは比べものにならないほど翻訳の仕事はタイヘンだった(と思う。これは出版翻訳にかぎらず、およそ翻訳と名のつく分野はすべてそうでしょう)。しかし Google 日本語版(ワタシはまだ英語版しかなかったころからのヘビーユーザー)が出現してはや 20 年と少し。さていまの世の中見てみますと、ここにいる門外漢からしても明らかに考える力が劣化している人が増えてきている印象は拭えない。

 昨年秋、ひょんなきっかけでお声がけしていただき、巡り合ったのが、米国発祥の思考法のひとつの Critical Thinking。意味は文字どおり「批判的に考える」スキルのことです。で、これについて書かれた原書の日本語版が、不肖ワタシめの記念すべき初訳書となったのでありますが、もちろんそうすんなりと事が運ばないのが世の中というもので、いっとき出版じたいが頓挫しかけたりしたものの、先月の聖ブレンダンの祝日の前日、つまりブレンダン・イヴの日にぶじに刊行の運びと相成りました。

 この場をお借りしまして、お世話になった編プロの方々と監訳者の先生に厚く御礼を申し上げるしだいであります。で、監訳本というのはほんらい、ワタシみたいな門外漢ではなくて、監訳者の先生が説明すべきことですので、ホント言うと自分も名前を連ねているとはいえ、あんまりしゃしゃり出たくないんですね。でも先日書いたように、やっぱりひとこと、ここでも書いておこうと思った …… はよいが、いざとなると腰が引けて、気がついたらもう7月になっちゃった(苦笑)。

 といっても、この本はたんなるハウツーものではありません(だからそのように書かれた本を読みたい向きにはあまりおススメしないが …)。ではこの本の効用というか、なんのために書かれた本かというと、たとえばこちらのブログ記事のようなこととほぼ同じだと思う。すなわち、
●世の中のことをもっとよく知ること。
●考える力を磨き、自分を、そして自分とつながっている大切な人(家族など)を守ること。悪人どもにかんたんにダマされないようになること。
●バランスのとれたものの見方を身につけること、できればそれを「第二の天性」くらいまで高めること

以上の3点が大切だよ、ということを説いた本になります。この本ではそれぞれ、
○背景の知識を身につけること
○運用の能力を身につけること
○個人の特性となるよう努力すること
とあり、クリティカル・シンキング(以下、CT と略記)の3大要素として繰り返し出てきます。

 この本を書いた人は、おもに学校教育向けに CT 教材を開発したり、CT に関する著作や講演活動をしている教育研究家の先生。そのため、この本もおもに「幼稚園から高校まで(Kー12)の先生たち」の実践に役立つこと、たとえば「授業の現場でどうすれば生徒や学生の CT 運用能力を高められるか」とか、そういう内容が中心になってます。もちろん「序文」で著者が、「教室のなかでも個人でも、学びを実践されているすべての方」も想定して書いたと述べているように、「クリティカルに物事を考えるとはどういうことか」に関心がある読者なら読んで損はない、と思う。

 先日、見たこちらの番組。レイ・ブラッドベリの名著『華氏451度』の回でしたが、番組で案内役の先生がこんなことを述べておりました。
内省的に考えてから行動すること
米国生まれの思考法の CT は、まさにこれを磨くための思考訓練でもある。fake news 全盛時代のいま、ますます重要で必要とされている能力だと思う。

 CT の直接のベースになっているのが、米国の教育学の泰斗ジョン・デューイ(1859ー1952)の著書に登場する「反省的思考(Reflective Thinking、内省的思考とも)」と、プラグマティズム。さらにさかのぼると古代ギリシャの「三段論法」を含む論理学や修辞学にまで行き着くという。章立ては4つしかないから、そんなにタイヘンじゃないだろう、と仕事を引き受けたはよいが……それなりにタイヘンでした。版元から献本していただいた本を手にとったらこれでもしっかり 200 ページ以上ありますし。もっともどんな種類の翻訳だって、タイヘンじゃない仕事などひとつもあるわけないから、こればっかはなんとも言えないんですが。

 でも、けっこうしんどいことの連続だったのに、いざ終わると「また書籍翻訳に携わりたい」と思うから不思議と言えば不思議なもの。ヘタの横好きとかなんとか言われようが、やっぱり自分は翻訳という仕事が好きなんだと思います。もともと人前でしゃべるのが苦手で(悪気はないが、ホントのこと言って相手を怒らせるのが得意技。ただし影でコソコソ人様の悪口をたたいているような人は大嫌い。ようするに口が悪いんです)、紙に向かってペンを走らせる、あるいはテキストファイルをひたすら打ち込むのが性分にあっているほうなので、これからもしぶとく続けていく所存ではある(ピケティ本の翻訳者の先生いわく、「人力翻訳はせいぜいあと 10年くらいが関の山」らしいから、せめてその 10年はがんばりたいと思ってる)。

 ちなみにワタシの翻訳原稿料は「買い切り」ですでに受け取ってますので、今後、本訳書がいくら売れても当方には1円も入りませんので、「ステマ」がどうとか気にされてる読者の方も、どうぞ安心してお買い求めください。

 … そしてどんな本にもたいていは見つかるタイポのたぐいですが、じつはまことに残念ながら、訳者としては放っておけない誤植(p.47 の図版の誤字はワタシのせい。再校ゲラまでチェックしたのにどこ見てたんだろう…)と誤訳(念のため、これは当方のせいじゃないです。あんまり言いたくないが、再々校で勝手に手直しされた結果[このままでいいよってあれほど言ったのに…])がありますので、お買い求めになられた場合、お手数ながらこちらのリンクをご参照の上、しかるべく訂正して読み進めていただきたいと思います。m( _ _ )m 妄評多謝。

posted by Curragh at 00:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 翻訳の余白に
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