2021年10月31日

ハロウィーンの夜に

 本題と関係のないマクラ失礼。日本人ってほんと「喉元すぎれば……」な国民性なんだなと、あらためて思う今日このごろ。今夏の新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の大流行が一段落している(ように見える)だけなのに、もうマスクもしないでぷらぷらしている人のなんと多いことか。

 気管支喘息とかもそうですが、呼吸器の感染症って、罹患した人でないと肌感覚として恐ろしさがわからない。不幸なのか幸いなのか、ワタシはそういう経験、というかはっきり言ってそれで死にかけた経験をしているので、そーいう人がぷらぷらしていたらまず近づかず、相手の顔が向いてない方向を見てやり過ごすようにしている。自衛が第一。わかんない輩にいくら話して聞かせたところで時間のムダというもの。

 ほんとは英国のとあるサイトに「COVID-19 後の世界はこうなる」的な一種の予測を公表したページがあって、そこに書いてあることとかすこしここでも紹介しようかななんて思っていたらいつものごとく時間だけが容赦なく経過(苦笑)。そのことについては近いうちに書こうかと思ってます。

 本題。某オークションサイトにお古の TIME 誌出品しようかと思って、久しぶりにパラパラ繰って名文で知られる「エッセイ」を読んだら、W.B.イェイツの有名な「再臨」という詩の引用が出てきた。「しだいに広がるガイアーを描きながら回り/回り続ける鷹に鷹匠の声は届かず/万物は崩れ去り、中心はおのれを維持できない……」という出だしで始まる、黙示的な内容の作品です。ここに引用した訳は、飛田茂雄先生によるもの[ジョーゼフ・キャンベル『生きるよすがとしての神話』角川ソフィア文庫版]。

 興味が湧いたので、岩波文庫に収録されている版とかも見たんですが、それにも増して他のイェイツ詩にも心惹かれ、仕事の空き時間とかにゆるりとページを繰って眺めてました。「対訳」形式なので、原文と照合できるようになっているのもすばらしい。アイルランドの激動期をアングロアイリッシュという、「半分英国人、半分アイルランド人」のどっちつかずの境界線上にいたイェイツは、ジョイスとはまた違った意味で波乱に満ちた生涯を送った人と言えると思う。「再臨」をはじめ、当時の政治状況や、イェイツが信奉していたという「2千年周期説」なんかが反映された詩文もいいんですが、個人的にはもっと肩肘張らずに読めるもの、たとえば「落葉」、「選択」、「あなたが年老いるとき」なんかが好ましい。

 なにかとかまびすしく、ますます混沌さを増すばかりの世の中、たまにはこの手の作品、つまり詩集を読むのも悪くない、と思ったしだい。英詩特有の韻を踏む形式にすこしは慣れるだろうし、いちばん大きいのは勉強になること。自分も手許に英国人の友人からかつていただいた、第一次世界大戦で夭折した詩人ルパート・ブルックの「グランチェスターの古い牧師館The Old Vicarage, Grantchester)」という詩の冊子があって、いつかこれ訳したいなぁと思いつづけてはやウン年になるので、ちょうどよかったかも。

カンケイない追記:最近手がけた拙訳記事で、心理学者の先生に「宗教儀式の持つ効用」についてインタビューした記事があって、ついこの前までヤフトピで全文が読めたんですが、あっという間に消されてしまった。で、宗教がらみなんでどんなコメントが寄せられているか興味津々で拝読しました。概して、読者の方々はこの記事をなんの先入観もなく、真摯に受け取ってくださっているなと心強く思ったしだい(かなりの数の「学びがある」カウントもあった)。ただ、細かいようだがひとつだけ。「福音派(ファンダメンタリスト)」はプロテスタントなので、「牧師」とは言えても「神父(または司祭)」とは言えないので、老婆心ながら念のため。

posted by Curragh at 23:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 名訳に学ぶ
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