心配なのが、子供たちの思考の過程がアルゴリズム(計算手順)によって支配されつつあることだ。私が子供のころは「自然」対「育成」、つまり遺伝的に(子供が自然に)しつけられるのか、親が(育成の一環で)しつけるのかという問題だった。それがいまや「自然」対「育成」対「技術」の構図になった。
これから10年たてば、アルゴリズムで思考過程が形作られたヤングアダルトの時代が来る。これは世界をもっと深刻な分断に導く。アルゴリズムは模範的な市民を作ろうとしないからだ。
発言者は、政治リスク専門コンサルティング会社ユーラシアグループ代表で、政治学者のイアン・ブレマー氏。ユーラシアグループは、年明けに発表する「世界 10大リスク予測」がよく知られています。聞き手で、このインタビューを訳し起こして寄稿しているのはこの経済紙のワシントン支局長の方。というわけで下線部です。うっかり読み過ごしてしまいそうながら、ちょっとおかしい(いや、だいぶ?)。
子どもの将来の話なのに「自然」だなんて、いくらなんでも唐突で、それこそ不自然。英語がすこしできる人ならブレマー氏の口から出た単語はすぐに察しがつくでしょう。「自然」はもちろん nature で、つぎの「育成」は nurture ではなかろうか、と。だいいち、「遺伝的に(子供が自然に)しつけられるのか」なんて常識的思考ではかなりブッ飛んでます。アリもそうですけれども、ヒトもまた社会的動物で、人間社会からまったく隔絶された環境(=自然)に放り出されたら、昔いたっていう、イヌかネコみたいに顔を皿にくっつけて水をすするような子どもになってしまいませんかね。
いくら nature と発言したからって律儀に「直訳」せんでもええのにって思ったしだい。nature と nurture の組み合わせというのは、一種のことば遊び的要素もあるので。ならどうするか。ワタシなら、「氏より育ち」って諺の変形で処理すると思う。言いたいことはもちろん、「自分が子どものころには〈生まれ(いまふうに言えば、「親ガチャ」に当たったとかハズレたとかっていうやつ)〉と〈どう育てられたか〉の問題しかなかったけれども、いまはそれに加えて AI やアルゴリズムに代表される〈テクノロジー〉の問題がある」です。
私が子供のころは「出自」対「育ち」の問題があった。それがいまや「出自」対「育ち」対「テクノロジー」の構図になった。字数の関係で最後のは「技術」のママでよしとして、これならどんなにそそっかしい読み手でも誤解の余地はないでしょう。「つまり ……」以下の補足部は、おそらく聞き手(訳者)がつじつま合わせで追加したもののように思える(意見には個人差があります)。といっても、補足じたいはべつに問題ない。翻訳における常套手段のひとつなので。
もっともこの経済紙の名誉のために言っておくと、子会社の Financial Times とか、提携? しているのかどうか知りませんが、有名な英国の経済誌 The Economist の長文記事が日本語で読めたりするから、いちおうこれでもそっち方面の仕事している身としてはたいへんありがたく拝読させてもらってます。「Apple の時価総額3兆ドル(約 340 兆円)超え」の理由を説明する記事を訳出しているとき、「理由のひとつに自社株買いがある」とかっていきなり出てきても慌てずにすむ。知ってるのと知らないとでは月ちゃんとスッポンです。ふだんからの、不断の仕込みは大切ずら。
最後にもうひとつ、↓ の記事も、正鵠を射ていると思う。こういうのはさすが新聞だと思う。あきらかな「脱真実 Post-Truth 」は困りものだが、「新聞の持つ情報の一覧性」は、まだまだ捨てたもんじゃありません。