もっともこれは、通称アニガサキと呼ばれているニジガク(『ラブライブ! 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』)のある時点のエピソードを小説仕立て≠ノしたノヴェライゼーションという体裁なので、厳密な意味でのラノベ作品とは言えないかもしれない。それでもワタシにはすごく新鮮だったし、個性豊かなニジガクのスクールアイドル同好会のめんめんの内面をアニメではなく、活字で表現するのもアリだと思った。小坊のころに読んだ(というか学んだ)マンガの描き方指南本に、「マンガは絵で表現するから意味がある。文字で表現したければ、小説を書けばよいのである」とあって、たしかに、と感じたのをつい昨日のことのように思い出す。
小説版には、活字表現ならではの場面描写、各キャラクターの心のひだの奥に分け入った細かな心理描写の妙がある点が良いところ。だからやはりこの作品はあくまで小説版として独立した立ち位置を与えるべきかと思う。ただ、個人的な好みを言わせてもらえれば、オーディオブックとして発売してほしいところではある(高咲侑、上原歩夢、そして本作のヒロインである優木せつ菜/中川菜々の声≠ェ脳内再生されるけれども、やはり声優さんに演じてもらう朗読劇、ないしはオーディオブック版がこの作品についてはとくにふさわしいかと。オーディオブック版なら寝っ転がりながらでもこのアツい物語を楽しめますしね)。
なんといっても唸らされたのは、さすが手練れのラノベ作家さんだけあって、巧まずしてストーリーに引き込むその筆力、そしてアニガサキのメインストーリーとの親和性かな。この小説版は、鎌倉市内の桜坂しずくの家でお泊まり会をした直後の 11月初旬から始まっている。「港区近隣の学生たちが主体となってお台場で行われる文化交流会=vに虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会も参加することになり、演し物について話し合っていたちょうどそのせつな、優木せつ菜が(せつなだけに)部室に飛び込んできて、大人気ラノベ『紅蓮の剣姫(けんき)』のミニフィルムの自主制作と上映会の開催依頼が同好会に来たとみんなに告知する。
つまりこのお話は、お泊まり会−アニメ本編の同好会 Firstライブ直前にすっぽりはまる設定になっている。小説版で描かれた「ミニフィルム上映会」というエピソードがあったからこその Firstライブなのだと知れば、さらにエモエモで尊みはもっと深まる、というわけ。ひとりひとりのキャラクターに関しても、これまでのアニメ本編のエピソードがさらりと引用されて、アニガサキをまったく観たことがない読者にも配慮が行き届いている。それでいてこうした引用はクドくならず、アニガサキをがっつり鑑賞したという向きもなんの違和感なくすっと感情移入できる。このへんはさすがとしか言いようがない。
ただ一点だけ個人的に? がつく箇所は、p.115 の朝香果林の性格描写のくだりくらい。「…… どちらかと言えば物事を理論で考える果林に対して、直感的な[宮下]愛の意見はとても参考になる」。下線部は、テストの成績はいつも赤点すれすれでどちらか言えば学業は苦手らしい彼女にしてはずいぶん知的な言い回しで、才女的な雰囲気さえも感じるところなんですが、ようするに[DiverDiva というユニットを組む相手の]直感的に物事を捉える宮下愛と違って自分はひとつひとつ順序立てて物事を考えるたちだ、ということですから、ここはもっと通俗的な表現でいいような気がする。「論理的」でもまだカッコよすぎる感じがするので、「物事を理屈で考える果林に対して … 」くらいではないかと。
それ以外はとくに違和感なく物語の世界にどっぷり浸れて、フィクションものとしては久しぶりにワクワクしながら読み進めることができた。アニメの小説版という先入観なしに、ふつうの文学作品としても出色の出来だと思う。アニメ世界の感動が、紙の上の活字となってよみがえってくるようだった。なによりすばらしかったのは、『ラブライブ!』シリーズに通底するメタメッセージを小説版でもしっかり伝えている点。たとえば、音楽室でふたりきりになった侑がせつ菜に声をかける場面──
「──あのね、忘れることなんてないよ」ラストシーンの「紅蓮の剣姫」の紅姫(アカヒメ)の心情をどう演じればよいか悩んでいたせつ菜の迷いは、この侑のことばと、その後、同好会メンバーも合流して演奏された「Love U my friends」で消え、剣姫としての紅姫がどんな気持ちでこの世界から消えていったか、そのほんとうの気持をつかむことができた。ここの場面を読むと、どうしても劇場版『ラブライブ! サンシャイン!!』の高海千歌の次の科白が思い出される。
と、ふいに侑がそう口にした。
「え……?」
「私たちが……せつ菜ちゃんのことを大好きなみんなが、せつ菜ちゃんのことを忘れることなんてない。こんな風に、せつ菜ちゃんとの思い出はいっぱいある。ここだけじゃなくて、部室にも、教室にも、屋上にも、中庭にも、たくさんたくさん、もう数え切れないくらい。それは何があったって消えないよ」
(中略)
「だから優木せつ菜≠ヘいつだってみんなの心の中にいる。どんなかたちになっても忘れられることなんて絶対にない。何もなかったことになるなんてない。せつ菜ちゃんの灯は消えないよ。お節介かもしれないけど、それだけはせつ菜ちゃんに伝えておきたくって」
だいじょうぶ、なくならないよ!「変わるものと、変わらないもの」。この小説版では、卒業を控える朝香果林と、下級生の宮下愛とのやりとりにもそれが描かれているが、これはまさに永遠のテーマと言えるもの。「さよならだけが人生だ」と訳したのは井伏鱒二だったか。英語には ❝Life goes on.❞ という言い方があるけれども、人が生き続ける以上、年をとってゆく以上、変化はしかたないこと。し・か・し、それでも変わらないものというのはある。「永遠をいまここで経験しなければ、それを経験することは決してない」と比較神話学者のキャンベルは言った。『ラブライブ!』シリーズにもそれがしっかり描かれているとワタシは思っている。だから人生の教科書だという人もいるし、文字どおり人生が一変したような人もいる。こんな強烈なパワーを秘めた物語(コンテンツという言い方はあまり好きじゃない。もともとの意味は「中が満たされたもの」、字義どおり中身というただそれだけなので)はそうそうお目にかかれるもんじゃないと個人的には思っている。
浦の星も。この校舎も。グラウンドも。
図書室も。屋上も。部室も。
海も。砂浜も。バス停も。
太陽も。船も。空も。
山も。街も。
Aqoursも。
帰ろう!
ぜんぶぜんぶぜんぶここにある。ここに残っている。0には、
ぜったいならないんだよ。
私たちの中に残って、ずっとそばにいる。
ずっといっしょに歩いていく。
ぜんぶ、私たちの一部なんだよ。
本文に添えられた相模氏によるかわいらしい挿絵も良き。巻末のせつ菜のイラストには「虹ちゃんに出会えてよかった」と添えられているが、この本を読んだすべての読者もおそらく同じ気持ちかと思う。
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