2024年03月15日

カザルス弦楽四重奏団によるバッハ「フーガの技法」

 先週の「ベスト・オヴ・クラシック」最後の放送回は、個人的には待ってましたな感ありのバッハ最晩年の大作「フーガの技法」BWV.1080 を取り上げたスペインを代表する弦楽四重奏団のひとつ、カザルス弦楽四重奏団(Cuarteto Casals)の来日公演(2023年 11月2日、浜離宮朝日ホール)でした。カザルス弦楽四重奏団のレパートリーは、ワタシも寡聞にして耳にしたことのないスペインのモーツァルトと称される夭逝の作曲家ホアン・クリソストモ・アリアーガとかエドゥアルド・トルドラといった珍しい作品から、ラベル、ドビュッシー、バルトークなど近現代も手がけるほど守備範囲が広い。

 いまは「らじるらじる」の聴き逃し配信で放送後1週間はぞんぶんに楽しめるので、以前の NHK-FM を知っている人間としてはありがたいかぎり。で、公演とは直接、カンケイないけれどもこの作品の説明で、「……その死をもって未完のまま出版された」作品、と紹介してましたが、たしかにバッハは出版するつもり(おそらく「クラヴィーア練習曲集」の続編のようなかたちで)だったけれども、作品後半の各楽曲の配列にはもはやバッハの意図は反映されていない。はっきり言えば、「このフーガで、対位主題に BACH の名が持ち込まれたところで、作曲者は死去した」なんて息子カール・フィリップ・エマニュエル・バッハが書き込んでいるのも、「せっかく高額な銅板まで彫ったんだからモトはとらないと」という切実な(?)事情のもとにあえて未完のままエエイママヨ的に刊行された、というのがほんとうのところのようです。

 演奏の感想に入る前に、まずこの作品で最大の問題が楽曲配列なのでそのへんを少しだけ。上記のような出版に至る経緯に加え、バッハの死後に出版を急いだ息子たちの手になる「初版」譜と、いわゆる「ベルリン自筆譜」(SBB-PK P200)とで曲の書法そのものが一部違っていること、楽曲の構成がバッハの息のかかっていない後半部に大きく食い違っていること(詳細は拙過去記事。バッハは「コントラプンクトゥス11」までは確実に彫版を監督していたと考えられている)があって、事態をさらにややこしくしている。

 先週の放送でかかった浜離宮朝日ホールでの公演で演奏された楽曲の順番は以下のとおり。演奏者は4声曲では全員参加、3/2声曲では手すきのメンバーは舞台後方の椅子に控える、というちょっとおもしろい趣向も盛り込まれていたみたい。そのためなのか、8 ⇒ 13a という変則的な順番になっているのも、「3人で3声を演奏する」ということで3声部曲でまとめたのかな、と。

プログラム前半:コントラプンクトゥス1, 2, 3, 4[4声], カノン 14, 15[2声], コントラプンクトゥス5, 6, 7, 9[4声]
プログラム後半:コントラプンクトゥス10, 11[4声], 同 8, 13a[3声], カノン16, 17[2声], コントラプンクトゥス12a、3つの主題による3重フーガ[4声], コラール「汝の御座の前にわれはいま進み出で(われら苦しみの極みにあるとき)」BWV.668a


 で、聴いた感想ですが、手許にあるケラー弦楽四重奏団のアルバムのように、弦楽四重奏ならではの弾むような、丁々発止とした各パートのやりとりがまるで生き物のように躍動して、それがこちらにビンビン伝わってくるかのような演奏ですばらしい。音友社のポケットスコア繰りながら神経を集中して聴くと、たとえば初版譜にあるスラーなどの指示書きに忠実だったり、さりげなく装飾音を入れたりフレーズの切り方を変えたりしているので、あまりこの特殊作品≠聴く機会のない聴き手でもわりと容易に主題−応答の入り/原形主題−変形主題(の反行形など)がくっきり立ち上って聴こえてきたんじゃないでしょうか。

 なんでもカザルス弦楽四重奏団がこのバッハ畢生の大作を取り上げる気になったのは、結成 25 周年を迎えるに当たり、さてどんな作品がふさわしいか、と考えたとき、「どんな楽器編成でも演奏可能な作品だったから」(アベル・トーマス氏、Vn.)、「フーガの技法」を選曲したんだそうですよ。

 ただ、全曲演奏とはいえ、「鏡像フーガ」の2曲は基本形 a のみの演奏で、「鏡写しにした」ほうのヴァージョン b は省略してます。ま、基本形のあとにまた最初に戻って「鏡像」形を演奏してもいいんでしょうけれども、ライヴ公演的にはあまり意味のないことかもしれない。「ゴルトベルク」BWV.988 の「繰り返し箇所」を演奏するか/しないか問題のようなもの。

 最後の未完の3重フーガですけれども、「すべてニ長調の和音で終結させているので、それに合わせた」ということで、最後のワンフレーズでふにゃふにゃっと尻すぼみで終わるよくあるパターンではなくて、その少し前、ニ長調の和音になるところでキレイに終わらせています。なので、出だしの4声単純フーガの終結部の食い違いと同様、カザルス弦楽四重奏団が演奏で使用しているのは初版譜にもとづく校訂版かと思われます。

 テンポもやたら感傷的に遅くなったりせず、終始一貫安定しています。そして彼らが演奏で使用しているのはバロック・ボウ。「細かい表情や響きが加わり、モダンの弓とは違った音のつながりを感じることができ、音の息遣いが変わる」(ヴェラ・マルティネス・メーナー氏、Vn.)からというのが理由のようです。

 初版譜つながりで言えば、この未完フーガのすぐあとにオルガンコラール BWV.668a で〆ているのもその証拠と言えそう。メンバーによれば、「この作品には、感謝の祈りのような、解放的な結末が必要だと感じる」(ジョナサン・ブラウン氏、Va.)という理由のようですが。公演のアンコールにはスペインらしく、そして、いまだに各地で戦争が続く現代世界を思ってか、カタルーニャ民謡の「鳥の歌」でした。

posted by Curragh at 21:44| Comment(0) | TrackBack(0) | NHK-FM
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