オッペンハイマーとはじつは少しばかり縁がありまして、まだ翻訳を学ぶ側だったころ、当時の師匠の教室の生徒さんたちと共同で下訳したのが写真の歴史に関する大部の著作で、たまたまワタシが担当した箇所がずばり「広島に落とされた原爆」の写真について考察された章だった。人類史上初の核兵器の話なので、「トリニティ実験」も、そして映画でも何度か登場する『わたしは死、世界の破壊者となりし』という、古代インドの聖典『バガバッド・ギーター』の引用句も出てきた。
映画ではこの引用句が印象的に使用されているのだが、映画の原作にあたるこちらの本(ハードカバー初版本では上巻末尾近く)を見ますと、どうもこれ、オッペンハイマー自身は 1945 年時点で口にしていないって書いてあります。じゃあ初出はいつか、というと、なんと 1965 年(昭和 40 年)、NBC テレビのインタビューだったと明かされている[↓動画クリップ参照]。なので、「きみはわたしのようなジプシーではない」(アインシュタイン)のように、映画に登場する人びとの科白はほぼ原作を忠実になぞっている、と言えそうだが、コレに関してはどうもそうではなさそう、つまり映画の脚色っぽいのです。
そうなると、当時交際していた精神科医のタマゴだった女性がアラレもない姿で本棚から引き抜いた一冊をオッペンハイマーの目の前に掲げて、「このサンスクリットはなんて書いてあるの?」と訊いた云々も史実とは違う、ということになる(ここの箇所は時間がなくて、原作本で確認できなかった。というかこのベッドシーンその他は必要なカットなのか? ただのサービス? もしこうした一連のカットのせいでこの作品がR指定にされたんじゃ、それこそ本末転倒だと思うが。それと文学の出典つながりでは、冒頭近く、オッピー(オッペンハイマーの愛称)の愛読書らしかった T・S・エリオットの詩集『荒地』も一瞬だけ映っていた)。
ただ、それ以外は(確認したかぎりでは)ほぼ原作どおりに進行し(実在した人物の評伝的作品だから、当然と言えば当然ながら)、宿敵ルイス・ストローズ(戦後、米政府原子力委員会トップに就き、オッペンハイマーの公職追放を主導した。彼の視点で語られるときは、モノクロ画面に切り替わる仕掛けが施されている)とのやりとり、アインシュタインとのやりとり、そしてトリニティ実験当日に奥さんのキティと交わした「シーツは入れなくていい」「シーツは入れてくれ」のような暗号じみた電話などは史実を丹念に拾っている。カリフォルニア大学バークレー校教員時代、同僚のひとりルイス・アルヴァレズが理髪店で散髪中、たまたま広げた新聞にとんでもないニュースが書かれてあり、「食い逃げッ!」とばかりに店主が追いかけるも、脱兎のごとく(笑)外に飛び出し、そのまま全速力でキャンパスまでもどり、「オッピー、オッピー! ドイツのハーンとシュトラスマンだ! 核分裂に成功したぞ!」と叫ぶ場面とか、細かいところも史実に沿って描かれている。
トリニティ実験当日のようすも克明に描かれていて、オッペンハイマーが感じていたであろう重圧は観ている側にもダイレクトに伝わってくる。早朝5時30分、やぐらのてっぺんに固定された「ガジェット」に点火。そして──約1分にわたって続く静寂のシークエンス。太陽よりも眩しい閃光。ベース基地にまで届く熱。ややあって猛烈な爆風と轟音。このへんも、実験に居合わせた科学者らの証言をうまく映像化していると感じた。
しかし …… 地球をもふっとばしかねない「プロメテウス的な」強大な破壊力を手に入れたオッピーたち(と旧ソ連、その他の核兵器保有国)をあれだけ克明に描きながら、なぜ被爆直後のスチル写真のカットひとつも入れないのかと、被爆国の人間としては心情的にどうしても感じてしまう。あそこまで真摯に描いておきながら、じつに惜しい気がした。いくら「原爆の父」の視点中心とはいえ、戦後は一貫して、(かつてマンハッタン計画の仲間だった)エドワード・テラーらが推進した水爆開発が米ソの歯止めの効かない核軍拡競争に全世界を巻き込むことになると異を唱え続けた経緯もあるし、それくらいは許容範囲内だったと思う(日本でもかつて邦訳本がベストセラー入りした物理学者R・ファインマンもマンハッタン計画に参加した研究者で、もちろん映画にも登場する)。
オッピーと決別したテラーの "Nobody knows what you believe. Do you?"(「きみが何を考えているのか誰にもわからない。きみもそうだろ?」)のオッピー評を含む登場人物たちの科白の端々に、オッペンハイマーという不器用な男の内面が、自分自身でもどうすることもできない複雑性をはらんでいた、ということもしっかり伝わるように描かれていた点は好感が持てた。3時間という長大な作品だけれども、それでもなお尺が足りないくらいだったかもしれない。トリニティ実験以後の世界はそれまでの世界から永久に変わった世界(人新世)であり、ティム・オブライエンなど、'60 年代の狂った核軍拡競争時代を描く文学作品やアートが次々と生み出されていくことになるのは周知のとおり。
※ 参考:広島原爆に使用されたウランの供給源となった鉱山労働者の話
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