で、書きながら番組観ていたら、マエストロ・井上道義氏が登場して、2月のN響定演で指揮したショスタコーヴィチの「交響曲第 13 番 バビ・ヤール」(バビ・ヤールは、ウクライナの首都キーウ郊外にある峡谷の名)について語った名言をまた聞くことができた。井上氏は自身の指揮活動の掉尾を飾る作品として、この「問題作」を選んだ。では、いまなぜ「バビ・ヤール」なのか、については次のように発言している。
… いま実際に、この音楽で糾弾しているようなことが起こっているじゃない、何万人も死んだりさ。演奏したくないぐらいだよ …… でも若い人にこれ聴いてほしいね。[この作品で]ショスタコーヴィチが最後に何を言いたかったっていうと、「希望はあるか? … 希望はあるか? ないとしたら、おまえのせいだぞ …… そういうことを、心の底から問いかけているから。いい曲だよ。答えはないよ。救いはないよ。救いは、あなたの中にある。そういう内容なんですね。おもしろい、おもしろい。知れば知るほどおもしろいよ」このときはじめて(だと思う)この作品を聴いたけれども、個人的にもっとも心惹かれたのは、「ユーモア」と題された第2楽章。世界の支配階級を引き合いに出した歌詞に、こんな一節が出てくる。
ツァーリをはじめ、地球上の全権力者は閲兵式を指揮できても、ユーモアだけは指揮できなかった ……また例の人(!)が米国大統領に選ばれたから、残念ながらウクライナはもう打つ手がないだろう。しかしユーモアというものは、どんなに弾圧されても死に絶えるなんてことは決してない。似たようなことはジェイムズ・ヒルトンの『チップス先生さようなら』(1934)にも書かれている。そしてこれもまた耳タコかもしれないが、何度でも繰り返して言う。世の中、いくら制度を変えてもリーダーの首をすげ替えても良くはならない。いちばん大切なのは、各人が活き活きとすることだ。活き活きとさえしていれば、どんな世界でもまっとうな世界(ジョーゼフ・キャンベル)なんである。これはラディカルで無政府主義的でニヒリズム的で刹那的で御しがたいしょーもない危険思想に思えるかもしれない。が、ほんとうにそうだろうか。個人的には、これは突き詰めて考えるべき深遠なテーマだと思っている。
ユーモアは永久不滅 ……
ユーモアはすばしこい ……
ユーモアはあらゆるもの、あらゆる人をすり抜けてゆく
ユーモアに栄光あれ!
もっとも、各人がてんでばらばら好き勝手してかまわない、と言っているのではない。公共の福祉の観点が欠けていたら、そもそも人間社会は成り立たない。不利益を被る他者がいるから己が存在する。逆もまた然り。それはつねに留意すべき。大切なのは、コレだけは死んでも譲れない、不可侵の領域を作ること、ようするに「聖地」を持つことかと。
「推し活」という用語が定着して久しいが、依存症と混同されるのは困りもの。アーノルド・ベネットが『文学の味わい方』(拙新訳版も出したけれども)でも書いているように、もし心から共鳴し感動した作品(アート)があれば、現実の人生にそれを取り込むことが大切だと思う。アニメとか文学とかは関係ない。ほんもののアートは、人種も民族も言語の障壁も超越して普遍的なパワーが宿っているものなのだから。趣味嗜好が変わるのは、トシをとってくればそりゃ仕方ないでしょう、自分も含めて。しかしその核となる部分はそうそう変わるもんじゃない。そういう核心部分は失われずに残るものだと思う。
母の緊急入院からグループホームに落ち着くまでの2か月余りは、ちょうど『ラブライブ! スーパースター!!』(スパスタ)の第3期の放映時期と重なった。その間、何度か『虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 完結編第1章』(通称えいがさき)も観に行った。グループホームは、母校の高校のすぐ近くだった。数十年ぶりに母校を眺めた。マルに目がない Liella! のちぃちゃん部長(嵐千砂都)じゃないけれど、自分自身が大きな円環を描いているような錯覚に襲われた。だからスパスタの最終回を迎えたときは感慨深いものがありましたね。来たる年はもう少しまじめに更新しようと思いマス。
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そしてクラッキングされたとのことで、まさに脅威が身近に迫っていることに慄然としております。当方の場合はオリジナルファイルはすべて手許にあるため、万が一、攻撃を受けたとしても表示可能な公開スペースが見つかれば転送するだけで済みそうではありますが、大企業や公的機関だけでなく、一般個人のサイトまで攻撃、あるいは踏み台の標的にするとはまことに嘆かわしく、卑劣な犯行としか言いようがありません。どうか気を落とされませんように。最近はやや放置気味でしたので、定期的にアクセス監視をしていきたいと思います。
なお、Gotoh様のお名前を見て(コメントのご投稿からかなり日数が経過したというのもあって)承認してしまったため、非公開にする旨についてはたいへん失礼いたしました。しかしこれは誰にでも起こりうる災難で決して人ごとではないため、このままにしたいと思いますが、非公開を希望される場合はお手数ながら再度ご連絡をいただければ削除いたします。