2008年09月14日

たんなる盗用は×

 最近、とくにblogにおける「引用」はどこまで許されるか、についてあちこちで議論を見かけるようになりました。けさの地元紙にも、blog発祥の地米国で起きている一連の騒動について報じていました。なんでも今回の一件、AP通信社がある有名ニュースブログサイトを自社配信記事の一部を無断使用しているとして、削除要請に従わなければ法的措置をとると通告してきたことからはじまった。当然、槍玉に挙げられたニュースブログ側も黙ってなくて、双方ともに弁護士たてて(このへんがいかにも米国らしいところ)話し合いに。その間、AP社は多くのニュースブログサイトから表現の自由をめぐって集中砲火を浴びた結果、強硬姿勢を軟化させて具体的な引用指針を提示することで和解した、というもの(→国内関連記事)。

 なにか記事を書く場合、引用せざるをえない場合は必ずあります。どこまでが引用で、どこからが無断使用、つまり盗用なのか。ただ、ここで問題になっているのはいわゆるPC特有の方法――いわゆるコピペによる引用がどこまで認められるか、ということでもある。もちろん人さまの書いた文章をまるまるコピペするというのは論外(AP側もYahooに有料配信している記事のまるまる「コピペ」は不可と言っている)。著作権云々いうより、たんなるplagiarism、盗用にほかならない。また近年、WikipediaなどのWeb上でだれもが利用できる百科事典の記事をそっくりそのまま「借用」してレポートを仕上げる学生もけっこういるとか。調べ物でオンライン事典にあたることじたいはかまわないが、きちんとした資料にあたるにはやっぱり図書館は不可欠。参考資料・参考文献に直接当たる手間隙は惜しんではいけないでしょう。

 コピペ…で思い出したのが、この前たまたま見た「クローズアップ現代」でもこの「コピペ」問題を取り上げてました…ゲストの脳科学者茂木先生(最近露出度高いですな)も、コピペをうまく利用している例として登場していた野口悠紀雄先生も、言っていることはしごくまっとうで、「コピペするのはおもに統計とか数字データ。コピペは入力時間の節約になる。ただしそれをどう料理するかについては自分で考えるべきことだ」。いまの若い学生さんて、そのへんの線引きをきちんと意識している人が少ないのかなと思う。たしかにぜんぶコピペの切り張りでOKならばこんなラクなことはないでしょう。でもそれこそ資源と時間と労力のムダでは? いろいろ資料を読んだり図書館の禁帯出資料をコピーしたりしているうちに、だんだん書きたいこととかテーマとかが煮詰まってくるんじゃないかしら。National Geographicのスタッフライターが、原稿がなかなか書けないときどうしているか、との問いに、急に机周りを掃除するとか整頓する、あるいは散歩に出るとか答えていた記事を見たことがあります。小説家ジェイムズ・ヒルトンの場合、締め切りが近づいているのになかなかアイディアが出てこなかったとき、近所を自転車でぐるぐる走り回っているうちに『チップス先生さようなら』を着想したとか。義務として提出するレポートにしろここみたいに好き勝手に書きなぐっている拙い記事にせよ、なにもない真っ白な画面(原稿)に向かってああでもない、こうでもないと考えをめぐらせているときこそ、いちばん楽しい瞬間ではないでしょうか。人間というのはこういう刺激がぜったいに必要、というか、人間というのは生来creativityを求める生き物だと思うし、ここがヒトとほかの動物とが決定的にちがう点だと思う。まがりなりにも自分で考えてなにかをこさえるからこそ楽しいのです。

 番組では「読書感想文の雛形提供サイト」なるものまで紹介していた(少々番組の趣旨とズレてるんじゃないかと思うのだが)。感想文は自分で書いてこそ感想文じゃないの? とオジサンは思うわけですが、もっとも驚き、あきれたのはこれ開設しているのはなんと物書きのはしくれ(!)らしい。「自由に使える読書感想文〜読書感想文をさっさと片付けて、夏休みをエンジョイしよう!!」、「『読書感想文』から解放された時間で夏休みのすてきな思い出を作ること」。文章心理学的に見ますと、この人、よっぽど読書感想文というものが苦痛だった、トラウマだったようだ。それで仕事がライターというのが笑える。ほかのいわゆる物書き業の人がこれ見たらどう思いますかね? いやしくも物書きともあろう者が、子どもたちに本を読むことなんか時間のムダだ、と言っているようなもの。物語を読む楽しみを教えるべき人がこれですから、これはかなり重症、末期症状ではないでしょうかね。それでいて「パクリ・コピペがばれても、自己責任(悪いのは自分)とし、センセイに思いっきりしかられること」。ほら出た、ご都合主義の自己責任! こんなサイトを利用するほうもほうかもしれないが、子どもたちにすべて責任転嫁するとは言語道断。この人大丈夫? と言いたくなる、まことによけいなお世話ながら。しかもさらにあきれたことに、「読書感想文のパクリがばれたら…『反省文の書き方教室』」まで用意する周到さ!! はっきり言って確信犯で悪質。コンピュータウィルス作者もそうだけれど、その才能、もっとほかの方面で発揮されたほうがいいのでは? 読書感想文については、図書を子どもたち自身でもっと自由に選ばせてもいいと思う。自主性云々と何十年も前から言っておきながら、いまだに「これを読みなさい」みたいなやり方が多いと感じているので、それくらいの自主性はあってしかるべきだと思う。べつになに読んだっていいんじゃない、と思いますがね。

 番組にもどって、学生がなぜ安易にコピペに頼るか、について、なんと「自分ひとりの力では書けないから」。むむむ(頭を抱えて)…上述した「アンチョコサイト」ばかり利用していれば、いずれそうなりますよね。茂木先生は、「いざ書く段になったら、いっさい資料は見ないでいっきに書く」とか言ってました。繰り返しになるが、コピペ問題もようはていどの問題でしょう。数字データとかずらっと並んだ統計データとかを自分の書いた文章に援用するのが目的ならコピペという手段ほど便利なものはない。もっとも出典くらいはきちんと明示しないといけないけれども(→関連記事)。

 本家サイトについては、引用は引用として出典を明示してあるし、著作権関係には注意しているつもりではあるけれど、地元紙記事に書いてあったように、AP通信社の騒動にしても、「それと気づかずに引用」というケースがほとんど。いまやblogは個人発のメディアとして以前とはくらべようのないほど発言力も増しているわけだし、AP通信社の言うように、やはりあるていどの「ガイドライン」は必要なのかなと思う。なのでAP通信社がどんなガイドラインを公開するのかには興味があります。『朝日新聞の用語の手引き』みたいに業界基準みたいな指針になるのかな? 

 …あとする人もいないとは思いますが、本家サイトの拙文まるまるコピペは厳禁ですぞ、念のため。自分もささやかとはいえ、本家サイトを立ち上げるまですくなくとも10年は文献だのコピーだの、掻き集めてきたのだから…。ネット接続する前なんか、わざわざ某大型書店洋書部まで出向いて、「そのときの為替レート(!)」で洋書を発注し、忘れたころに本が届く、みたいなことやってましたねぇ。

 本日のおまけ。blogをうまいこと活用しているのは聖職者もおなじ。というわけで、こんな記事を見つけました。

posted by Curragh at 23:45| Comment(4) | TrackBack(0) | 最近のニュースから
この記事へのコメント
あ、リンク先の「聖職者」さんのブログを拝見してからコメント入れりゃあ良かった!
まあ、楽しみに読みます。

引用の場合は(音楽なんかもそうですが)一部でも全部でも「引用」たり得るのだそうで、とにかく
・出所が明確であること
・本文が(仮に本文の方が短くても)引用なしには成り立たないことが明らかであること
が、著作権法の求めていることですね。
念頭にはおいているつもりですが、境界ギリギリ、になってるかなー、って、悩むこともしばしばです。・・・とくに2つ目の項目が!

Posted by ken at 2008年09月15日 22:29
Kenさん

↑のように書いておきながら、そのじつ悩ましかったりするquotationですね…。でもあきらかな「丸写し」はだれの目から見てもあきらかですよね。常識の範囲内でいいんじゃないかって思います。いずれにせよわたしたちもいちおうbloggerなので、書くときはいつも意識しないといけないということですね。

じつはイタリアの司祭さんのblog、さんざ探したのですがそれらしいものがなぜか出てきません(これをネタにした記事はいっぱいあるのに)。ひょっとしたらコンテスト開始と同時にblogもオープン、ということになるのでしょうか??? 
Posted by Curragh at 2008年09月16日 03:18
こんばんは。
私も引用が盗用にならないよう気をつけてはいますが、気づかずにアウトになっていることがあるかもしれません。特に美術展に行ったお話をする時には、画像を使えるかどうかとても迷います。ひやひや。

Curragh様の記事の中で読書感想文の話題が出ていますが、私のブログで以前取り上げた本が、今年の課題図書になっていたようです。そのため夏休み中、その書名での検索で訪問された方が大量にいらっしゃいました。
小中学生の感想文など原稿用紙数枚ですから、さっさと読んでさっさと書いた方がよほど早いと思うのですが....。
Posted by すい at 2008年09月16日 19:52
すいさん

お返事遅くなってしまい申し訳ありません。m(_ _)m いまさっきせっかく書いたのに、たまにしか使わないIE6が異常終了しまして、すべて消えました…なので悪態つきながら書き直しです。orz

すいさんが取り上げた本が課題図書に指定されたのですか。ここで取り上げる本にはそんな気遣いはありませんが、「検索してから書く」というのは、時代の流れなのでしょうか。感想文なんだから、まず読んだ自分の印象をありていに、そのまま書いたほうがいいんじゃないかって思います。それが「個性」というものでしょう。

「感想文のパクリ」については、いろいろblogとか見て回ったら、大学の先生があろうことかこんなことを書いてました。感想文もふくめて、学生にレポートを課して提出させるというやり方そのものが時代にそぐわないのではないか。問題を履き違えているというか、お門ちがいもいいところです。茂木先生も言ってましたが、人の書いた雛形を丸写しするという行為にはなんら「頭」を使っていないから問題なのです。レポート提出が時代にそぐわないのではなくて、それはその先生がただ漫然と課題を課していただけのことでしょう。学生の質の問題ではなくて、教える側の質の問題です。

それでも最近、小学校によっては始業前の小一時間、なんでもいいから持参した本を児童に読ませる時間を設けているところがあります。これはひじょうにいい取り組みだと思います。小学校の英語教育云々…がさかんに論じられていますが、「考える力」と「他者にたいする想像力」を養うのにもっともかんたんな方法がすぐれた物語作品を読むことだろうと思います。英語で書かれたリーダーを読む以前に、まずもって日本語で書かれた本をきちんと読み通せることのほうが先ではないかと思うのです。
Posted by Curragh at 2008年09月20日 09:37
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