1). 今月26日は伊豆半島、とくに口伊豆と呼ばれる狩野川流域に甚大な被害をもたらした1958年の通称「狩野川台風」襲来からちょうど半世紀の節目の日になりました。旧修善寺町熊坂地区や旧大仁町白山堂、旧中伊豆町筏場(いかだば)などは大量の土石流と洪水に人家も田畑もすべて呑みこまれ、東日本の台風災害では最悪の被害だったと言われています。図書館で伊豆半島の郷土史を綴った本とかに掲載された当時の報道写真とか見ますと、ほんとうにひどい、言語を絶する惨状です。いま手許に地元紙朝刊の特集記事があるんですが、当時の修善寺中学校など、校舎が完全に消滅している。伊豆半島だけで死者1千人以上も出しています。ちょっと脱線するけどその2年後、1960年夏に小説家三島由紀夫(三嶋大社にちなんだペンネームらしい)が当時の定期船「竜宮丸」に乗船して黄金崎(こがねざき)の断崖を見ながら安良里(あらり)漁港にやってきて、「宝来屋旅館」に二週間逗留、この漁村を舞台にした新聞連載用の長編『獣の戯れ』を書いています(作品はいまも新潮文庫から出ていて、はじめのほうに出てくる黄金崎には三島の父親が揮毫した文学碑がイソギク群落に囲まれて建っている)。
それにしても思うのは、戦後間もないこの時期には「超」がつくくらいの大型台風が集中的に日本を襲っているということ。伊勢湾(1959)、第二室戸(1961)、アイオン(1948)、洞爺丸(1954)…ちょうどこのころは大気圏内でさかんに核実験が行われていた時期でもあるし、なにか関係でもあるのだろうか。地震も多かった。1923年の関東震災以降、1930年の北伊豆地震(「丹那断層」が30km以上にもわたって出現)、1944年の昭和東南海地震、1946年の昭和南海地震…と活動期だったことがわかる。たしか「東海地震説」の先生がバブル期に刊行した『大地動乱の時代』という新書があったと思うけれども、ここ数年、大きな地震が多いし、気になる点ではある。
自分は狩野川台風を知らない世代ではあるけれど、2004年にひやりとした経験をした。たしか10月はじめごろだったと思うけれども、西伊豆町堂ヶ島海岸付近に上陸、あっという間に伊豆半島を西から東へ駆け抜けていった平成16年第22号台風(→関連記事)。戦後上陸した台風では史上最強と言われたあの台風は、奇しくも狩野川台風とおんなじ22号、しかもそのルートまでよく似ていた。その数日後に西伊豆に出かける用事があったのですが、道路はあちこちで寸断されたままでした。台風通過のスピードがあまりに速かったため、童謡「みかんの花咲く丘」にも歌われた伊東市宇佐美(うさみ)地区では山側から吹き降ろす猛烈な突風被害がひどかった。鉄砲水による被害もあったし、神社がまるごと倒壊したりもした。いまの狩野川には内浦湾に排水する放水路があって、警戒水域を越えると、ゲートを全開して増水した分を排水するようになっているから、放水路完成後、狩野川流域では甚大な洪水被害は起きていません。とはいえ昨今のゲリラ豪雨による突発的な出水はそれこそ毎年のようにあって、大場川流域とか沼津市大平地区とかは浸水被害の常襲地帯。思うんですが、「雨水浸透枡」のたぐいをもっともっと普及させたほうがいいのではないのか。もっともこれは上流の市町もいっせいに設置しないとあんまり効果はないとは思うが、なにもしないよりはましだと思う。そういえば2004年の22号台風被害の大きさをあらためて感じたのは、翌年春、見納めのヤマザクラの写真を撮りに船原(ふなばら)峠に登ったときのこと。バスはバイパス経由なので、旧道(国道136号)をのんびり歩きながら写真を撮っていたのですが、「頼朝の運試し石」からそのまま歩いて旧道を下って伊豆市側に出ようと思っていたら、突然バリケードが道をふさいでいて通行止め。看板を読んでみたら、22号台風の災害復旧工事のためだと知って驚いた。半年ほど経過してもまだ復旧してなかったのです。旧道はどうもこの先で道路ごと崩落していたらしい。どうりでいまさっき峠を登っていった通過車両がまた引き返してきていたわけだ。ついでながら伊豆市土肥新田地区の国道地すべり崩落現場については、いまはまだ片側交互通行の仮橋ですが、今年中には完全復旧するみたいです。それにしてもここのソメイヨシノ並木は強いな! 道路とともにだいぶ下のほうにずるずる落ちてしまっているけれども、ちゃんと花は咲かせていたのだから!
2). 花と三嶋大社…が出てきたついでに、先日、大社に行ってきました。そう、松坂投手が結婚式挙げたところです。ここの境内には樹齢約1200年と言われるウスギモクセイ(薄黄木犀)の大木が鎮座してまして、なんとこの樹、満開の時期が二回あるんです。で、初回は惜しくも逃した(苦笑、すぐ近くにいながらカメラをもってなかった)。秋分の日、ふと思い出して大社サイトをのぞいたら、二回目の満開になりそう…と書いてあったので、デジカメひっつかんで嬉々として出かけました。書いてあったとおりにみごとな満開! そして馥郁とした香りがまた強烈。1200歳の老木がこうして可憐な花を咲かせて、その前で1歳くらいの幼児がたたずんでいる。最近涙腺がめっきり弱くなってしまったので、こういう光景に出会うとかなりぐっときますね…。季節柄か、七五三連れもちらほら見かけました。天気もよくて、「モクセイ日和」でした。ついでに最近、三島の町を歩くと必ず目につくこののぼり。「富士宮焼きそば」もそうだけど、いまは各地でご当地グルメが花ざかり。地産地消という観点からすれば、とても環境にやさしい取り組みだし、自給率も上がるしいいことだと思う。え、みしまコロッケの味ですか? 個人的にはやや微妙…かも(微苦笑)。よく言えば昔ながらの素朴な味、と言ったところでしょうか。それでも先日、三島市内のフレンチレストランの店先で買った「みしまコロッケ入りパニーノ」はちとお高いがお昼にはぴったりかも(→公式サイト)。
2008年09月28日
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