2008年11月15日

プーランクの宗教声楽作品

 いま聴いている「名曲のたのしみ」。今宵はプーランクの宗教声楽曲。1936年に親しい友人を交通事故で亡くすという不幸に見舞われたプーランクは、このとき以降、敬虔な祈りと内省的感情に満ちた宗教的声楽作品を書くようになったという。プーランクの音楽とくると、すぐ「エスプリの効いた軽妙洒脱な音楽」というイメージが湧くのですが、たとえばいまはじめて聴いた「ロカマドゥールの黒衣の聖母への連祷」という作品ではまるで別人かと思うほど純朴な和声で、深い祈りに満ちた音楽でした。もとはオルガンと女声合唱という構成だったが、その後伴奏に管弦楽も追加した稿に書き改めたといいます。そのあと1937年、父親が亡くなって20年目の年に作曲された8声の「ミサ曲 ト長調」がウィンチェスター大聖堂聖歌隊によるア・カペラでかかりました。曲の最後が、静かに消えいるかのようなボーイソプラノで厳かに終わるのもいいですね。プーランクの宗教声楽曲では、たしか「アヴェ・ヴェルム・コルプス」も以前どこかで耳にしたような気がします。以前公演会場で買ったオックスフォード・ニューカレッジ聖歌隊のクリスマスCDにも「羊飼いたちよ汝らの見たものを語れ('Quem vidistis pastores')」というラテン語歌詞の小品が入っています。プーランクは、「ロマン派の宗教声楽曲はあまりに仰々しい書き方をしている。だから素朴な響きの音楽として書いた」という趣旨のことを言っていたそうです。63歳で亡くなるまで「悲しみの聖母」とか書いていますが、こういう作品を聴くきっかけとなるのはやっぱりFMラジオ放送ということになる。こういう機会でもなければまず聴くこともなく、知ることもなかった作品というのはけっこうな数になります。以前、iPhoneを買ったから「バロックの森」はもう聴く必要がなくなった、という方の文章を読んだことがありますが、自分の場合はそんなことはなくて、あいかわらずFM波で流れる音楽は貴重な情報源だし、自分の手持ちの音楽しか聴かないというのは、せまい入江の中でくるくるとボートを漕いでいるようなものではないかと思います。もっともどんな聴き方をしたって個人の自由なので、しょせんこれは野暮というか、余計なお世話のたぐい。でもひとつだけ、海とちがって音楽のいいところは、自分のまるで知らない水域に乗り出しても、ひっくり返ることも浸水沈没する心配もないことです。

 その「バロックの森」、今週は冒頭にルネッサンス時代の声楽曲がよくかかってました。ジョスカンの「聖母ミサ」、オーランド・ラッソの「悲しみの聖母」、オケヘムのミサ曲「わたしは苦しんで」、パレストリーナ(フルネームはジョヴァンニ・ピエルルイージ・ダ・パレストリーナ)のミサ曲「マリアは天に上げられ」とか。そしてこれは関係ないことながら、クラシック音楽、とよくひとくくりにされるけれども、ひと口にクラシックと言ったってグレゴリオ聖歌からデュファイ、ラッソ、ジョスカン・デ・プレあたりの音楽とバッハ、あるいはそれ以後の古典派、ロマン派とは構造において、あるいは発想において音楽世界そのものがまるでちがいます(中世までは音楽は数学系4科目のひとつと考えられていた、とか)。だから「どんな音楽を聴くの?」という質問を受けたときは、「バッハの鍵盤作品が中心だけど、来るものは拒まず、洋楽でもなんでも聴きます」とこたえることにしております。

posted by Curragh at 22:59| Comment(0) | TrackBack(0) | NHK-FM
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