2009年01月24日

The Inaugural Address

 第44代米国大統領に就任したオバマさん。20日の就任式は、おそらく全世界の人が、どんなことを話すのかと注目していたのではないかと思います。

 いろんな報道サイト上でオバマ新大統領の就任式演説全文が掲載されていますが、NYTimesサイトにももちろんありますので紹介しておきます。はじめこれを一読したとき、就任式の演説というより、まるで一編の叙事詩でも読んでいるかのような錯覚をおぼえました。なんでも2か月くらい前から20歳も年下のスピーチライターと練りに練った原稿だったとか。そういえば今夜、NHKのTVでもこのときの演説を原語のままで放映してくれるみたいですね。

 20日付け夕刊各紙にもオバマさんの演説が全訳されて掲載されていました。新聞紙面に掲載するものなので、すこし飛ばしている箇所があるのはしかたないとしても、あきらかにミスだと思われたのが、'The nation cannot prosper long when it favors only the prosperous.'の訳。「繁栄だけを望んでいると国家の繁栄は長くつづかないことを再確認させた」となっていますが、これは、すぐあとに'The success of our economy has always depended not just on the size of our gross domestic product, but on the reach of our prosperity; ...'とつづくので、やっぱり「富める者だけを優遇する国家の繁栄はしょせん長続きしない」ということだと思う。演説冒頭では――そういうならわしなんだろうと思うが――前職の労をねぎらったオバマ新大統領も、ここではちくりと前職の政策(いや失策?)を批判しているわけ。そう思ってほかの訳を掲載したサイトを見たらそうなってました(→全訳掲載サイトがいまひとつありました)。でもこのていどならまだまだ許容範囲。通信社の記者・特派員さんたちはつねに時間との勝負、ものすごい速さで大量の配信文を翻訳しないといけないわけで、すくなくとも20日付け夕刊用に配信された訳文はこれ以上ないくらい簡潔で無駄な言い回しがなく、かつオバマさんの言いたかったことがほぼ確実に訳出されているという点でたいへん好ましい訳文だったと思います。おみごと、という感じ。上記誤訳は、言ってみればうっかり、ないしは上手の手から水というやつですが、目に留まったので念のため(苦笑)。

 演説文で印象に残った箇所をいくつか挙げてみます。

And because we have tasted the bitter swill of civil war and segregation and emerged from that dark chapter stronger and more united, we cannot help but believe that the old hatreds shall someday pass; that the lines of tribe shall soon dissolve; that as the world grows smaller, our common humanity shall reveal itself; and that America must play its role in ushering in a new era of peace.

下線部はいざ訳すとなると意外とむずかしいところ。使われている単語がかんたんなものほど、こういう場面がある。ようは、わたしたちはおなじ人間なのに、民族という「線引き」で歴然と区別されている、その線が消えてなくなる…ということだと思いますが、「民族間の隔たりは解消され…」という20日付けの訳はうまいと思います。またこの前の、'our schools fail too many;...'は、自分だったら「学校は欠陥だらけ」とするかな(追記:深夜の放映番組では「学校は荒廃している」になってました)。

For us, they packed up their few worldly possessions and traveled across oceans in search of a new life. For us, they toiled in sweatshops and settled the West, endured the lash of the whip and plowed the hard earth.

For us, they fought and died in places Concord and Gettysburg; Normandy and Khe Sanh.

Time and again these men and women struggled and sacrificed and worked till their hands were raw so that we might live a better life. They saw America as bigger than the sum of our individual ambitions; greater than all the differences of birth or wealth or faction.

こういうふうに簡潔ながらも具体的に先祖のたどってきた道を列挙して聴き手の想像力を喚起するのもうまい人だと思う。また'This is the journey we continue today.'とか'So let us mark this day with remembrance, of who we are and how far we have traveled.'、'...; let it be said by our children's children that when we were tested we refused to let this journey end, ...'とか、'As we consider the road that unfolds before us, ...'みたいに「旅」にたとえた表現も好きみたいですね。

We will harness the sun and the winds and the soil to fuel our cars and run our factories. And we will transform our schools and colleges and universities to meet the demands of a new age.

All this we can do. All this we will do.

「〜できる」のお決まりのポジティヴ表現登場ですね。もうひとつの決め台詞のほうは

And to those nations like ours that enjoy relative plenty, we say we can no longer afford indifference to the suffering outside our borders, nor can we consume the world's resources without regard to effect. For the world has changed, and we must change with it.

で使われてました。どちらも効果的な使われ方ですが、後者は'What is required of us now is a new era of responsibility...'という、新大統領がもっとも力説したかったであろうくだりへ聞き手を導くような意味合いで使われていますね。世界が変わったんだから、みんなも変わらなくてはいかんよ、それがいまを生きる者すべての果たすべき役割ないし責任なんだ、というふうに。

For as much as government can do and must do, it is ultimately the faith and determination of the American people upon which this nation relies.

It is the kindness to take in a stranger when the levees break; the selflessness of workers who would rather cut their hours than see a friend lose their job which sees us through our darkest hours.

It is the firefighter's courage to storm a stairway filled with smoke, but also a parent's willingness to nurture a child, that finally decides our fate.

こういう市井の人に立った視点があちこちに散りばめられているのがこの人らしいところ。そして、

This is the meaning of our liberty and our creed, why men and women and children of every race and every faith can join in celebration across this magnificent mall. And why a man whose father less than 60 years ago might not have been served at a local restaurant can now stand before you to take a most sacred oath.

こう言ったときの心情はどんなだっただろうとつい思ってしまう。黒人が米国の大統領になるということが、いかに茨の道であったのかを感ぜずにはいられない。今年は奇しくも、大統領就任式がキング牧師記念日(1月第三月曜日)のつぎの日だったというのも、なんだか不思議な縁を感じる。米国大陸にアフリカからはじめて黒人奴隷が連れてこられたのが1619年だというから、ブクステフーデもまだ生まれる前で、オランダでスヴェーリンクが活躍していた時代です。長く、険しい道のりだった…'For us, they toiled in sweatshops and settled the West, endured the lash of the whip and plowed the hard earth.'という一文に、黒人もふくめた先人の歩んだ歴史への思いがこめられていたのかもしれない。

 民放のTVニュースで、観衆のひとりが感慨深げに、たしかこうつぶやいていました。「わたしは61年、彼に会うために生きてきた」。このひと言に、米国市民の声が凝縮されているようにも思う。またある黒人青年は就任式演説をどう思ったかと日本のTVクルーから訊かれたとき、感極まって泣いてしまった。「理屈じゃないんだ、彼のことばは。心の琴線に触れたんだ」。ことばのもつ力の大きさを、あらためて教えられた日でもありました。いずれにせよこの日は歴史に残るでしょうね。

 …そんな就任式演説とは関係ないけれど、オバマさんの好きな音楽は、スティービー・ワンダー、ジョン・コルトレーン、マイルス・デイヴィス…とこのへんはわかるけれども、じつはバッハも好きだという!! おお同志よ! Man alive!! とまたひとりで勝手に感激して終わり。

追記。TV中継されて流されたヨーヨー・マさんたちの演奏が、じつは「事前録音」だったことが判明したことはNYTimes紙はじめ、各紙が報じているとおりですが、記事を見るかぎりではいたしかたなかったのかも(記事冒頭では'It was not precisely lip-synching, but pretty close.'なんてこと書かれてはいるが)。零下5度ですよ。たしかに合唱団とか海兵隊の軍楽隊はきちんと生演奏を流していたらしいけれども、弦楽器系はなにが起こるかわからない。そうとうな重圧だったんじゃないだろうか。またヨーヨー・マ氏がこんなことも言ってます。

Mr. Ma said he had considered using a hardy carbon-fiber cello, but rejected the idea to avoid distracting viewers with its unorthodox appearance.

カーボンファイバーのチェロって、あの真っ黒の骨組みの上に弦を張ったちょっと異様な電子楽器だと思うが、たしかにあれではね…酷寒対策にはそっちのほうがよかったんでしょうけれども。それにしてもうしろのスタインウェイはよくもちこたえましたね。演奏者は指先のない手袋をはめて弾いていたのが、なんだか痛々しかった。自分でも思うのだけれども、ふつうの人は10度以下になると指先がかじかんでまともに弾けませんよ。それでもきちんと弾いたのは、さすがプロと言いたい。それよりもむしろ、

The conditions raised the possibility of broken piano strings, cracked instruments and wacky intonation minutes before the president’s swearing in (which had problems of its own).

のほうが問題だったと思う。たかが言い回しのちがいとはいえ、先唱者がトチれば復唱者は「?」って一瞬思いますよね。なので前代未聞の「宣誓やり直し」とあいなったことはご承知のとおり。ちなみに「事前録音」は、以前から不測の事態に備えておこなわれていたらしい。パールマン氏もこう釈明。

'It would have been a disaster if we had done it any other way, This occasion’s got to be perfect. You can’t have any slip-ups.'

ふつうの演奏会ではこんなことやったら演奏家生命にかかわることではありますが、強風と酷寒のなか、ぜったいに失敗の許されない式典での演奏ということを考えれば、責められる問題ではやはりないと思いますね。また掲載画像をよく見ればわかりますが、演奏者は全員、イヤフォンをつけています。録音にあわせて演奏していたんですね。ご苦労さまです(記事には伊・モデナでの演奏会で故パバロッティ氏がlip-syncしていたことまでさらっと紹介してあるけれど、そんなことがあったんか)。

posted by Curragh at 17:32| Comment(8) | TrackBack(0) | 最近のニュースから
この記事へのコメント
さすが、Curraghさん、分析が早くて鋭いですね!

私は、まだゆっくり読んでいないのですが、the prosperous のところは、朝日の全訳ではちゃんと「富者を引き立てるだけでは、国は長く繁栄できない」と書いてありましたよ。
これは、Curraghさんもご存知のように、文法的には、the + 〜(形容詞)で 〜 peopleの意味を表すもので、実際かなり文語的響きがあると思うのですね。こういうのをちょろちょろ散りばめるのもセンスがいいですね。
Posted by Keiko at 2009年01月25日 10:53
もう一言、、、

Curraghさんもおっしゃるとおり、ジャーナリズムの第一線での翻訳というのは、時間との戦いであって、納期の短さという点では、おそらくわたしの分野より遥かにきついと思います・・・ですので、「上手の手から水」というフォローがまたCurraghさんらしくてよかったです。私も石井さんその他のプー訳の批評についてはそういう気持ちなのですが、、、愛するあまりつい、あらさがし・・??(笑)
Posted by Keiko at 2009年01月25日 10:59
Keikoさん

いろんなブログを見ましたが、朝日の掲載した全訳が最も正確だと評しているところが多かったです。the+形容詞というかたちは、わりとよく見かけますね。オバマさんの演説はcolloquialな表現の宝庫で、現代米語の勉強になります。『オバマ演説集』の版元は就任式演説を収録した第二弾で二匹目のドジョウを狙っているみたいですが、第一弾のつくりがよかったので、買って損はないと思いますね。とにかく勉強になります。

『くまのプーさん』関連ですが、続編が出るそうですね。

http://www.afpbb.com/article/life-culture/culture-arts/2556618/3672730

Keikoさんがブログで書かれている擬音語のシャレないしは聞きまちがいなど、翻訳者泣かせの最たるものですね。『不思議の国のアリス』とかもそうですが、児童ものは意外とむずかしいんですね。『赤毛のアン』なんかもそうだと思いますが…。「薄謝贈呈」はさすがですね! もしここがあやまる場面だったら、「チーン! しゃぞうてい?」くらいかななんてくだらないことをつい思い浮かべてしまいました。
Posted by Curragh at 2009年01月25日 13:37
えっ!!!プーさんリターンの話なんか知りませんでした!!すごい情報をありがとうございます。。。。。さっそく我が家に書かねば・・・

ええ、アリスも論じたいのですが、、、

チーン!しゃ・・なるほど、、(笑)
Posted by keiko at 2009年01月25日 14:23
栗恵ままさんの所からきました。オバマの演説はざっときいただけでしたが、正直いえば予想通りでやや失望したという感じでした。ただあちこちに暗号のようなコード(同義復順ですが)が入っているように感じました。最大はやはり佐藤氏も指摘するイギリスを敵国と表現したところでしょう。私が気になったのは我々はキリスト教、イスラム教、ユダヤ教、ヒンズー教、そして信仰の無い人々のくにであるというくだりです。これは全てコーカシアン、あるいは印欧語族の宗教ですね。仏教、儒教もなければユニテリアンもなく、現実には非常に複雑なアメリカの宗教的はいけいをここまで単純に言い切る事に何らかの意図がありそうです。割合から言えば、キリスト教を覗けばユダヤ教がやや多い(といっても1%くらい)あとはいずれも0.数%ですから。文脈からいえばキリスト教徒、ユダヤ教徒、イスラム教徒、ヒンズー教徒以外は無宗教となります。黒人の大統領だからと思われないための配慮が過剰にあるような気がします。特にユダヤ人に。ブッシュへの反動があるにせよ、全ての人に団結を呼びかける政治には怖い物があります。やや、懸念しています。ただ、バッハがすきというのは、理由を聞いてみたいですね。黒人色を消して、プロテスタントであることを強調するための政治的なもので無ければいいのですが。
Posted by Deo at 2009年01月28日 00:34
Deoさん、コメントありがとうございます。

ご指摘されているのは、たとえばこの記事のようなことでしょうか。

http://www.asaho.com/jpn/bkno/2009/0119.html

宗教を列挙した箇所については、そこまで深読みしていませんでした。言われてみればそうかもしれないとも思いました。とくにヒンズー教徒の言及とかは。もっとも就任式演説の原稿には、愛娘さんの意見も大きかったらしいですよ。「感動的な演説を!」とのリクエストだったそうです。最後のトマス・ペインの引用とかは、ひょっとしたら黒人色を目立たなくするという意味もあったかもしれません。

バッハ好きについては…たしかに自分も興味があります。たとえばバッハのどんな作品が好きなのか、とか。

Deoさんとは、たしかKeikoさんのブログで「マタイ」の翻訳についてお話しを伺ったかと思います。「マタイ」の実演は聴いたので、こんどは「ヨハネ」を聴いてみたいです(「ヨハネ」は先週の週末、「オランダ・バッハ協会」来日公演のもようがNHK-FMでかかってました)。
Posted by Curragh at 2009年01月30日 19:24
ぶしつけなコメントに返信をありがとうございました。忙しくて、しばらくこれませんでした。

宗教の並べ方にある種の政治的意味を感じたのは、私だけではないと思います。キリスト教を最初に出す事は、当然としても、アメリカではユダヤ教よりも信者数も少なく、政治的影響力も殆どないイスラム教をユダヤ教の前においたのは、強いメッセージが込められていると想います。

仏教が取り上げられていないのは、それとは違った意味があるのではないかと思います。仏教は、今もカースト制を持つ多神教であるヒンズー教よりも、アメリカでの影響力は強いとおもいます(あくまでもヒンズー教との相対的な話しですが)。アメリカ政界への日系と印度系の進出度の違いからみてもそうおもいます。仏教は、アジア、その中でもとくに日本の象徴です。それが脱落するというのは、彼の潜在意識の中でアジア、とくに日本の優先順位が低いと、はしなくも露呈したということではないでしょうか。世界の三大宗教の一つであり、自分の生まれたハワイや、西海岸を中心に信者が多い浄土真宗系の仏教が実質上は一神教であり、キリスト教に近いということに彼が無知であるとは思えません。また、ビートルズ世代への、鈴木大拙以来の禅の影響もあります。そうすると、後世にのこるべき、そして政治的配慮がされるべき演説で、意図的に仏教国である日本を無視、排除するために「アメリカはキリスト教徒、イスラム教徒、ユダヤ教徒、ヒンズー教徒、そして無宗教者の国である」と断定したとは考えにくいです。彼のハワイでのクラスメートには、父親が有名な僧侶という女性もいたそうですから(永六輔氏談)。

その意味では、仏教の脱落は、オバマ氏の「本音」がついでてしまったミステークだったのではないでしょうか。クリントン国務長官の最初の外国訪問国として日本を選んだことはこのミスを、オバマ氏が訂正しようとしているような気がします。クリントン氏が単独で決めたはずはないですから。言いかえれば、こういうことでもなければ、最初の訪問国が、対イラク戦争の同盟国であるイギリスや、それで摩擦が大きくなった独仏、まして中東やパキスタンだとしてもすこしもおかしくありませんでした。もっとも、「本音」だとすればそれはそれでやはり問題です。とくに日本の政治家は、単なる迎合でも、服従でもなく、心してオバマ氏との距離を詰める必要がありそうです。

独立戦争で敵国であった英国への言及は強いメッセージ性があると思います。英国の労働党政権さえ(自分が反対投票をした)ブッシュ氏のイラク戦争に加担したというのを、彼は、英国のアメリカへの保護者意識と思って、屈折した屈辱を感じたのではないでしょうか。その意味では、私は佐藤氏とは解釈を事にします。彼は、この言及は、かって血を流し戦った敵国でさえ、今は同盟国であるという意味で、オバマ氏の戦闘的平和主義者としてのアピールだといいます。しかし、私は、英国のアメリカに対する保護者(宗主国)意識に屈辱を感じ、真に独立したいと思うオバマ氏からの、ブッシュ政策に対する決別宣言だと思います。

たしかに、私も、オバマ氏がバッハの何を好むか、特にマタイとヨハネのどちらを好きかというのは興味あります。Curraghさんは、ご存知と思いますが、両者はバッハの作曲意図がまったくことなりますす。いわゆる完成稿というものが存在しないヨハネ受難曲は、後世のバッハ協会が4つの判から良いとこ取りをして合成した、バッハ自身が一度も演奏した事も人為的な曲です。そのために、いわゆるベーレンライター版やペーター版ではなく、音楽的完成度が高い初稿譜をあえて演奏する人もいます。

そもそも、バッハの宗教曲はマタイ前と後では、調性の使い方、聖書由来のテキスト部分の扱い方などで、別人ではないかと思うくらいに異質な変化、あるいは進化とも言える発展をしています。それらを知らない人でも、好悪は別としても、聴けば、その違いを無意識にでも感じるはずです。私自身はマタイ受難曲に始まり、ミサ曲ロ短調で結実するバッハのキリスト教思想は、4度も書き直したヨハネ受難曲への悔恨をベースにしていると思っています。

どちらをより好きがでその人のバッハへの想いがだいたいわかります。相対的音楽通の方はヨハネを、宗教的な方はマタイを好きになる傾向があるようです。ただ、厳密に聖書を信仰する人は、原理主義はもちろん、カール・バルトのようなプロテスタントの神学者でさえ、マタイ受難曲を異端として非難しています。

Posted by Deo at 2009年02月08日 20:51
ていねいなfollow-up、ありがとうございます。

イスラム教をユダヤ教より先に言及したのはたしかにメッセージが込められていると思います。日本の優先順位については、オバマ氏のもつ日本観というより、いまの日本の現状を考えると、相対的に優先順位が下がってしまったということなのではないかと思いますが…。以前、大統領選はマケインで決まり、みたいなよくわからない本が売られていましたが、新聞報道を見るかぎり、外務省筋はなかば本気で共和党が大統領選を制すると「予測」していたそうなのです。クリントン氏の訪日については、なんだかんだ言っても日本は――たんなる金づるという認識ではないでしょうが――あからさまにスキップすべきでない、という軌道修正が働いたかもしれませんね。

Deoさんほどバッハの声楽作品は詳しくないので口幅ったいことは言えませんが、半年ほど前にヨハネの「初稿」版の演奏会をNHK-FMで聴きました。またカール・バルトが「マタイ」を異端として非難したというのははじめて知りました。バルトには申し訳ないですが、「マタイ」から「ロ短調ミサ」にいたるバッハ晩年の宗教声楽作品は、ルター派とかローマカトリックとかの表面的な教義のちがいを超えて、イエスの普遍的な教えを音楽で表現しようとした道のりだったと思っています。
Posted by Curragh at 2009年02月14日 23:08
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