2009年02月01日

最古の〜は英国の例が多い?

1). 先週の「バロックの森」は「二重奏・二重唱」特集。月曜日にはまた登場のジョン・ブル作曲「ニ台のハープシコードのためのウェールズ舞曲」、トマス・トムキンズの「ファンシー」がまずかかりました。なんでもこのニ作品は、現存する音楽史上最古の「二重奏」曲なんだとか。英国古謡「夏は来たりぬ」が最古の二重カノンの例で、オルガンが教会に設置された最古の例がこれまた英国ウィンチェスターで、そのウィンチェスターのベネディクト会修道院(いまのウィンチェスター大聖堂。修道院は創設当時から大聖堂として機能していた)にはかつてオルガヌムの現存最古の曲譜集と言われる「ウィンチェスター・トロープス集」があり、またカリヨンが最初に出現したのも英国らしい。というわけで西洋古典音楽関係ではなぜだかわからないけれども、このように「たどっていったらなぜか英国(イングランド)」だったという例が多かったりします…なんでかはいまもって知りませんが。またルクレールの「ふたつのバイオリンのためのソナタ ハ長調」という曲もかかりましたが、最近、ECMのニューシリーズからおなじ演奏者による新譜が出ましたね。そして最後にかかったヨハン・クリストフ・フリードリヒ・バッハの「ヴァイオリンとヴィオラのためのソナタ ハ長調」という曲では、ついに通奏低音が消滅して、旋律線−伴奏声部がはっきりと役割分担された曲想になっています。このへんからいわゆる古典派の音楽になったのかな。木曜には名トレブルとして名を馳せたアラン・ベルギウスの歌ったアーノンクール指揮によるバッハのカンタータ、「目を覚ませと呼ぶ声が聞こえ BWV.140」。音源がAmazonにあるかどうか調べたら、廉価盤として再発されているもよう。さっそく買いましょう(笑)。クープランとかガスパール・ル・ルーなどのフランスバロック作曲家によるクラブサン(チェンバロ)二重奏曲もけっこうかかりましたね。あと本日聴いたばかりのブルックナーの交響曲はよかったなぁ。ついでにブルックナーとベートーヴェンの「第九」は、ともにニ短調。「フーガの技法」とおんなじだ。週末の「リクエスト」ではバッハのオルガンコラール、「いざ来ませ、異邦人の救い主よ BWV.659」もかかりました。演奏者はサイモン・プレストン。BWV.599とならんでこっちも大好きなコラール編曲。そして黄金崎展望台から夕陽を眺めるとき、決まってこの曲が脳内BGMとして流れるのはなぜなんだろう…?? 

2). 「音楽史はじめて」なものが多い印象を受ける英国つながりで、BBC Radio3のChoral Evensong。もうすぐ時間切れだけど前々回放送分のバース・アビイからの中継がよかった(言わずもがなですがBathという地名は当地の温泉に由来)。カンティクルが、個人的に好きな「スタンフォードのイ長調(1880年作曲)」。そして今年が記念の年ということからか、「聖パウロの回心」記念日(1月25日)がらみでメンデルスゾーンのオラトリオ「聖パウロ」から「見よ、われらは至福とともにたたえる」を演奏してくれるという大サービスつき(パウロ[サウロ]の回心については、「目から鱗のようなものが落ちて」視力を取りもどしたエピソードが有名ですね)。そしておしまいのオルガン・ヴォランタリーもメンデルスゾーンの作品で、「ソナタ第三番 イ長調」から最初の楽章。ヴァルヒャはたとえばレーガーのオルガン曲はオルガン曲らしからぬから弾かない、と言っていたけれども、メンデルスゾーンのこのソナタは擬古典調のブラームスのオルガン曲とならんでけっこう好きだったりする(レーガーのオルガン曲のスコアは、たしかにパっと見ではまるで「足鍵盤つきピアノ」譜みたい)。

 今日は聖パトリックともかかわりのある聖ブリジッドの祝日。明日がその昔「聖燭祭」とも呼ばれた「主の奉献日(聖母マリアお潔めの祝日)」。また1922年2月2日はジョイスの『ユリシーズ』初版本がパリで出版された日でもあるらしい。教会暦では来月1日から四旬節の大斎に入りますが、ローマカトリックでは以前は東方教会とおなじく四旬節前の準備期間として六旬節とか七旬節とかがありました(たらふく飲んだり喰ったりのカーニヴァルとかもあったりしますが)。聖職者が典礼のときに着用する祭服の色も、四旬節期間中は紫に変わる。ちなみに降誕日(クリスマス)から顕現日(エピファニー)までは白、そして四旬節最初の日、「灰の水曜日」までが緑。四旬節中は紫で聖週間は赤。復活祭から聖霊降臨祭前日までが白、というのが基本的なパターンです(一部代用色あり→参考ページ)。

 …いつもこの中継聴いていて思うのですが、英国聖公会系の聖職者って、いまイラクやアフガニスタンに派兵されている人たちのために祈りましょうとか、温暖化に言及したりと、いま世界で起きている出来事とか時事問題に言及することが多いですね。イラクやアフガンスタンについては英国も派兵しているから当然といえば当然なんですが、今回も主任司祭がかの地で治安維持活動に従事している兵士たち、そして離れ離れになってしまった彼らの家族のことなどを話してました。本来説教というものはこうあるべきなんじゃないのかと思う。「イエスがこう言ったのはこれこれこういうわけで、ここはこう解釈するのだ」ばっかりではなくて。自分が子どものとき、ごく短い間だったが某プロテスタント系教団の教会に通っていた時期がありました。子ども向けにリライトされた『聖書物語』ではなくて、現物の『新約・旧約聖書』が見たかっただけなんですが…礼拝に参加して聞いた説教はシオニズム剥き出しみたいな、いまにして思えばきわめて原理主義的かつ一字一句額面どおりに受け取る釈義の押し売り一辺倒だったような危なっかしいものだった。よくあんなんで献金受け取っていたものかとも思う(苦笑)。ときあたかも『大予言』シリーズが売れまくっていたころですかね…。もっともみんながみんなこんな説教をしていた、などと言うつもりはなし。プロテスタントもカトリックも聖公会も、ようは説教する側の「人となり」、オバマ新大統領の演説にもたびたび登場する'decent(decency)'があるかないか、ということではないかと思います(聖イグナチオ教会のミサにあずかったときに聞いた説教は、わりとまともでうなづける内容でした)。

posted by Curragh at 21:04| Comment(0) | TrackBack(0) | NHK-FM
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