2009年03月21日

米国の学校司書事情

 学校司書とくると、図書館にこもって年中、蔵書整理に明け暮れているか、児童生徒の質問にこたえて最適な本を見つける手伝いをする、そんなイメージがわいてきますが、いまや司書を取り巻く状況は一変して、とてもそんな悠長なことは言ってられないようです。

 Times紙の文芸評論でよく名前をお見かけするMotoko Richさんの書いたこちらの記事。「読書の未来」と題する一連のルポシリーズで、その第三弾がブルックリン地区の小中一貫校に勤める学校司書さんの話。日本でも子どもたちの本離れが言われて久しいですが、インターネット発祥の地米国でも事情はおなじ。「ただ本を書架に出し入れしているだけの時代は終わったのよ」と語る54歳の図書館司書ロザリア先生にとって、そんな「Web時代」に生きる子どもたちに必要な能力、「情報リテラシー」を身につけさせるのがおもな仕事。たとえば、Web上に無数にある大量の情報を鵜呑みにしないように、あきらかな嘘のまじっているサイトを備え付けのノートブックで閲覧させて体験させるとか。またPowerPointを使ってプレゼンを作らせたり、オンラインゲームを作らせたりする司書さんもいるとか。いやはやたいへんだ。以前、9歳のタイラーくんの事例をここでも紹介しましたが、たしかに生まれたときからWebというものが存在しているいまどきの子どもにとってはWeb、あるいはインターネットは日常生活の一部になっているし、こんなかたちで「正しい活用法」みたいなものを教えてくれないと、たしかに危険だと思う。こういうことを教えられるのはやっぱり情報・知識の専門家である司書がもっともふさわしいかもしれない。

 もともとロザリア先生は旦那さんと美容院を経営していた人で、息子の学校の図書館でヴォランティアとして司書業務にかかわったことがきっかけで大学に入って本格的に図書館学を学び、学校司書資格をとって、同業者のきょうだいの紹介でここの学校に赴任したという。自己紹介のときに、たんに司書ですとは言わずに、「自分は情報リテラシー教師」だと言ったとか。最初のうちは本の見つけ方とかデータベースの使い方、基礎的な調査能力を身につけさせるといったことでしたが、そのうちURL(URI)の読み方とか、Webサイトのコンテンツに書き手の根拠のない先入観があるかどうかという批判的な判断の仕方といったやや高度な内容に移っていったそうです。こういう「情報リテラシー」というのは、やっぱりWebとかデジタルコンテンツのみでは獲得できないと思う。記事中ロザリア先生も似たようなこと言っているけれど、こういうときこそ「紙に書かれた本」の出番、ことばを変えれば古いタイプのリテラシーが身についているかどうかが大きくかかわってくるように感じる。そこでロザリア先生は児童に書評を書かせる。でもいまや学校の宿題もWebで提出し、勉強に関する質問も学校内SNSでやりとりする時代(英国人メル友によると、英国の学校でもいまやオンライン課題というのは当たり前らしい)、生徒の書いた書評は図書館のオンライン蔵書目録に掲載しているとか。

Combining new literacy with the old, Ms. Rosalia invites students to write book reviews that she posts in the library’s online catalog. She helped a math teacher design a class blog. She urges students to use electronic databases linked from the library’s home page.

 ロザリア先生が赴任したとき、この学校の図書館の蔵書はひどいありさまだった。NYCの公立学校で学校司書を配置しているのはたったの三分の一。うち小学校には司書配置義務さえないという。

Before Ms. Rosalia arrived, the library was staffed by a teacher with no training in library science. Some books in the collection still described Germany as two nations, and others referred to the Soviet Union as if it still existed.

たしかにこりゃひどいわ(笑)。で、ロザリア先生は「図書館改革」を断行、どこでもそうだけどすくない予算の割り当てをなんとかやりくりして何百冊もの蔵書をあたらしい本と入れ替えたり、市議会や協賛企業の援助も取りつけて29台のノートブックPCと、電子ホワイトボードも導入した。これだけでもたいしたものですが、NYCらしい問題もありまして、たとえば移民の子は英語の読めない子も多いから、7年生でもじっさいには2年生レヴェルの本を用意しなくてはいけないとか。こういうときは導入した電子ホワイトボードが活躍、ロシア移民の子たちは「イズヴェスチヤ」とか大写しにされると大喜び。またロザリア先生は児童がよく知っているティーンズマガジンのサイトを写したりして彼らの興味を惹こうとする。こんなロザリア先生の取り組みにはまわりの先生も教えられることが多いようで、

Even teachers find that they learn from Ms. Rosalia. “I was aware that not everything on the Internet is believable,” said Joanna Messina, who began taking her fifth-grade classes to the library this year. “But I wouldn’t go as far as to evaluate the whole site or look at the authors.”

 最後のロザリア先生のことばはたしかにそのとおりだと思う。

“You can read magazines, newspapers, pictures, computer programs, Web sites,” Ms. Rosalia said. “You can read anything you like to, but you have to read. Is that a deal?”

「読みたいものを読めるようにすること」――読む媒体はいまや千差万別。活字もあればデジタルコンテンツもある。肝心なのは、ロザリア先生が言っているような「情報を判断する力」だと思う。これを身につけるにはやはりWeb上のコンテンツとかデジタルメディアだけでは不足で、本などの活字媒体も必要不可欠。ようは新旧メディアにはそれぞれ得手不得手があるので、それらをじょうずに使いこなすことが大切かと。どちらかいっぽうを切り捨てるようなやり口というのは根本的にまちがっている。日本ではデシタルコンテンツの活用ばかりが話題になりがちで、たとえば対面授業なのにわざわざ(??)携帯電話を使って勉強させるというような試みをTVで見たことがあるけれど、まったくわけがわからん。通信代をかけてまでそんなことする必要があるのか。もっとも通信業者は喜ぶかもしれませんが。目の前の情報を鵜呑みにしない健全な批判精神を養うという点においても、自分でものを考える力を身につけさせるという点においても、どうしても「本」の活用は必要だと思いますね。

posted by Curragh at 23:58| Comment(0) | TrackBack(0) | Articles from NYTimes
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