2006年12月25日

ヒギンボトム先生の見解

 …先日ちょこっと書いた、雑誌 Gramophone の2002年12月号のcover story(pp.26-9)。記事は、ペルゴレージが「おそらく書いたであろう」と推察される Marian Vespers ( Marian Society なる修道組織が当時のナポリにあったらしい ) をニューカレッジのヒギンボトム先生と音楽学者マルコム・ブルーノ両氏が直筆譜の現存するほかの作品から再構成し、「ひょっとしたらこんな感じの作品」として復元した、という話がメインなんですが、練習のようすを取材した記者が、ニューカレッジの少年聖歌隊員について、「この独特な歌声を引き出すのにどのような取り組みをしているのか」と質問したことにたいしてヒギンボトム先生が答えています。ひさしぶりに記事を見ると、この前自分が書いたこととも重なっている部分があるように思えたので、こちらでも紹介しておきます。ヒギンボトム先生がどんなことを念頭において聖歌隊員を指導しているのかが垣間見えます(注 : 書き手の備忘録でもあります … ) 。

 …「少年たちの声をどう訓練したらよいのかまるで知らなかったときでも、けっして彼らを大聖堂のフクロウみたいにはしたくありませんでした。いまでこそ少数派ではありますが、もっとも高い音域から始めてじょじょに低い音域へ落とすやり方には長い伝統があります。頭声とかファルセットとか呼ばれるもので、これじたいは軽んじるべきではありません。むしろ健全な方法ですし、声をつぶすこともないからです。でもこのやり方では声から色彩とか力強さを引き出す点において限界があります」

 … 「わたしの方針は昔から変わっていません ―― 子どもたちはもっと完璧な声の楽器、つまりひじょうによく訓練された胸声をもっているものだ、ということです。フランスのメディアによる英国の聖歌隊評には、まるで生身の体をもたない幽霊みたいな声だ、と書かれる場合がいまだ見受けられます。もっと体の底から湧きあがるような熱気がほしい。そうすれば全身で歌うという感覚が真に身につくでしょう」

 … 「もちろんわたしは子どもの個性や発見したことにもとづいて指導法を変えます。始終変えています。決まりきった方式というのはけっしてもちません。ブロンウェン・ミルズという歌唱指導の先生がいて、子どもたちは毎週、ふたりひと組みになって個別に20分ほど歌唱技術の手ほどきを受けます。その後全体練習のとき、わたしがその訓練も生かしつつ指導します」

 … 「なによりもまず子どもたちひとりひとりの能力を引き出したい。そうすれば皆がソリストになり、アンサンブルでもうまくまとまることができる。はじめから子どもたちをひとつにまとめるようなこともしません。ひとりひとりがもてる力をすべて出し切って歌うように指導しています」

 … 「子どもたちはみな完全に独立した存在。ひとつにまとめたいとも思いません。むしろさまざまな変化に富んだ色あいを求めます。わたしにとってご法度なのが、『空気が抜ける』ような声、元気のない声、のふたつです」。

 自分のコンサート経験からしても、たとえばフランスの「パリ木」のはち切れんばかりの元気のよさは別格としても、たしかに英国の大聖堂聖歌隊の少年の歌声はどちらかいえば線が細く、やわらかですがいまいち迫力に欠けるようなところがあります ( WSK あたりもそれは感じますが、今年来日した「ハイドンコア」はわりと力強かったと思います) 。好みの問題と言ってしまえばそれまでですが、もっとパンチの効いた声が個人的には好みです。また「全体の和を優先するか個人の個性を優先するか」についても、ヒギンボトム先生ははっきりと「個人!」と言い切っているところも興味深い。こと合唱となるとふつうは逆のように思えるのですが、「その逆もまた真」ということでしょうか。自分も少々破綻しても元気のある声、個人の「声のカラー」がはっきり聴き取れるほうがよいと思っているので先生の見解はたいへん共感をおぼえます。ひとりひとりがソリストのような意識をもって、頭の先から出す声のみに頼らず全身から声を出して歌うほうがやはりよいように感じます ( 声楽の専門家でもなんでもない、一介の音楽愛好者としての意見 ) 。

 いつだったか VoA の投稿で、「テルツ」のほうが個々の子どもたちの個性が強く、反対に全体のバランス重視なのがたとえば Windsbacher なのだという意見を読んだことがあります ( そう書いたのはたしかカリフォルニア少年合唱団のもと指導者ネスランド氏だったと思う ) 。

 …今年は曜日のめぐりがよかったため、恒例のキングズカレッジによる「 9 つの日課(朗読)とキャロルの祭典」をはじめてネットの生中継で聴取できました。こんなことひと昔前では思いもしなかったこと。ありがたいかぎりです。

 よきクリスマスと年末を ( 蛇足ですが降誕節は 12 月 25 日から年明け 1 月 6 日の「主の公現 Epiphany 」までの2週間。聖公会やルーテル教会では「顕現日」、日本ハリストス正教会系では「主の洗礼祭」または「神現祭」と呼び方がそれぞれにちがうのはなんとかなりません? orz … ) 。

posted by Curragh at 20:53| Comment(2) | TrackBack(0) | 音楽関連
この記事へのコメント
「よく訓練された胸声」ですか(しかも空気が漏れるようなのではなくて)!伝統的なトップクラスのクアイアの指導者にそういう考え方があるとは、、、最初ちょっと驚きましたが、Curraghさんの「頭の先から出す声のみに頼らず全身から声を出して」というご説明で非常に納得!またまた大変勉強になりました・・・頭声と胸声のメリットを融合させるという感じですかね??

Harryの例のSinger article和訳を私のブログで紹介し直そうとずーっと思っているのですが、、どうコメントを書けばいいのかとひどく悩んでいるのですが(苦笑)、この記事を読ませていただいて、救われるというか、大きなヒントを得た思いがしました・・Thanks!
Posted by Keiko at 2006年12月26日 17:23
Keikoさま

お返事またまた遅くなってしまい申し訳ありません。
m(_ _)m

ハリーくんの記事については個人的にメールしましたのでそちらを見ていただけたらと思います。

それではよいお年を。

Posted by Curragh at 2006年12月31日 09:42
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