2009年03月30日

チャロ――'Journey home'

 チャロの冒険譚、ついに完結! しましたね。最終話見ているうちに、ミュージシャンのジェフ・ジョンソンが『聖ブレンダンの航海』に触発されて制作したアルバム、Prayers of Saint Brendanのスリーヴノートに寄せたトマス・ロウヘッドという作家のことばを思い出しました。'Journey Home'というサブタイトルが暗示しているように、おそらくこのジョンソンのアルバムは、「聖ブレンダン一行は、故国へ帰還するために航海に出た」という点に注目していると思う。そう考えてみればたしかにそう。生きて帰らなければ自分たちの体験したさまざまな驚くべき出来事を修道院で待っていた兄弟たちに語ることもできなかったし、『航海』として編まれることもなかった。また、旅から帰ってきた人というのは、もう旅に出る前とおなじ人ではない。ある意味、つらい長旅を終えてぶじ帰還した人というのは、「生まれ変わる」。四国八十八か所のお遍路さんとか、サンチャゴ・デ・コンポステーラなんかを思い出してみるといい。旅(航海)というのは、未知の世界へ飛び出すと同時に、自分の「内面」への旅に出発(船出)することでもある。旅に出た人はいやおうなしに己と向き合うことになる。そして最後の'Navigatio'という曲にはこんな歌詞が出てくる。

So let my ship sail like Brendan's,
Let it carry me home.

「ブレンダン自身の祈り」というより、もう歌い手であるジョンソン自身の「祈り」みたいな一節です。

 話をもとにもどして…とにかく全50話からなる仔犬チャロの冒険物語にも、どこかこのアルバムと通じるところがあるように感じます。チャロの場合は意に反して遠い異国の地にたったひとり取り残されたわけですが、「翔太のもとに帰る」ための長い長い道のりで、もう迷子になる以前のチャロではなくなっています。大げさな言い方をすればこれは一種の「発展小説」のような気がします。

 また先週、原作者わかぎゑふさんのお話もたいへんおもしろかった。わかぎさんはチャロの物語を書き進めるうちに、「英語の勉強用の話なのに、なぜここまで書かなくてはならないのか」とふと疑問を感じたということも正直に述べていました。たしかにそうかもしれない。でも、高名なさる先生も書いていたように、日本人の英語にたいする学習態度というのはあまりに「冷淡」すぎる、と思う。tree=樹、face=顔とただ機械的に置き換えて表面的に暗記しているようでは、わかったことにはなりません。「気持ちをこめる」ことこそ肝心なのです。なのでこの「チャロの英語講座」はそういう点でも大成功していると思います。げんに「英語学習ではじめて感動した!」とか涙したとか、感情移入に成功した聴取者の投稿をたくさん見ました。チャロ…とくると、ひとつ気になったことが。わかぎさんは言及してなかったけれども、急に売れはじめた小説家のエイミー・チャンって、あれ実在の小説家エイミ・タンのもじりですよね(笑)? それと、もと警察犬シリウスの吹き替えって、「新感覚☆わかる使える英文法」に出てきたズッコケ捜査官ジャックを演じていたマイケル・ネイシュタットさんだったんですね、いまごろ知った(笑)。

 …突然ですがここで――長いあいだずっとほったらかしにしたあげく、なんですが――先日のクイズのこたえを書いておきます。

1). Quite a few people wanted to hear what she had to say. 後半部を言い換えると、'something she had to say'、もとどおりの文章に直すと、'she had something to say'となります。関係文でひっくりかえっているだけ。意味は、「彼女の言い分を聞きたがっている人もけっこういた」。

2). 英語で「ポチ」にあたるのは'Fido'。「忠犬」といったところです。

3). こういう場合は、'Almost enough!'という言い方が便利です。enoughというのは、「必要最低限のものがある」ということ。けっしてplentyの意味ではないので注意。enoughと同義語でラテン語起源のかたい言い方として、sufficientという形容詞もあります。

4). ヒントにも書いたとおり、「時計の打つ時間が長い」から午前零時前の数時間は'the long hours'と言います。 

 もうひとつ。'Jane ran over to Tomoko, who was still standing there.'で、「なぜコンマが必要なのか」というようなことも書きました。ここはもちろん付加情報、つまりあってもなくても意味が通じるから、というのと、もうひとつは固有名詞がくる場合はすでにわかりきっていて対象を限定する必要がないため、「制限用法」ではなくコンマつきの「非制限用法」になります。関係詞の「制限用法(限定用法)」というのは、たとえばつぎのような場合です。

“I found some videos that gave me pretty good information about how it mates, how it survives, what it eats,” Tyler said.

これは先日、ここでも紹介したタイラー少年の科白なんですが、that以下を省いたら文意が成立しない。「どんなビデオなのか」を説明する部分で「特定」しないとわけがわからないからです。あるいは、'This is all that is left.'(残っているのはこれだけ)みたいな場合。これもthat節以下を取ったら具体的にはわからない(anything, all, somethingなどにつづく関係詞はthatになることが多い)。また、

I like candies, which are sweet.

という場合は「キャンディはみんな甘い」から、非制限用法で書かないとまずい。'I like candies that are sweet.'とは書けない。こう書いてしまうと、キャンディには甘いのや辛いのがあるようなイメージなってしまうのでおかしい。慣れないと使い分けのむつかしい関係詞の「制限用法」と「非制限用法」のお話でした。おあとがよろしいようで。

おまけ: こんな動画も見つけました。

posted by Curragh at 23:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 語学関連
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