2009年04月20日

パトモス島とラクイラ

 いまさっき、たまたま見たNHK総合の「世界遺産への招待」。アクロポリスやデロス島のアポロン神殿とかも出てきましたが(故小川国夫氏の『アポロンの島』も思い出した)、なんといっても印象に残ったのは使徒ヨハネが島流しされたというパトモス島の風景。島の高台のてっぺんには外敵の侵入を防ぐ要塞としても使われてきたギリシャ正教修道院、その修道院につき従うかのように斜面にへばりつく白壁の美しい集落、そして漆黒の雲間から射す光芒…いかにも「黙示録」的な光景が広がってました。いままでTVでここを取材した番組なんてあったのかどうなのか、さだかではないけれども、とにかく自分は神秘的なパトモス島の光景をはじめて見た。もっとも「使徒ヨハネが島の洞穴で『黙示録』を〜」というのは、歴史的にはよくわかっていない。はやくも3世紀に、アレクサンドリアの神学者ディオニュシオスは「第四福音書記者によるものではない」と結論づけているし、また正文批判的に見ても福音書記者ヨハネとはあきらかに使われている語法が異なり、文法上のエラーも散見されるという(ギリシャ語に精通していなかった??)。また内容も承知のとおりおどろおどろしい感じで、そのためか3世紀以降、西方教会で『新約』27文書がほぼ確定したのちもこの「黙示録」は「継続議論」扱いにされたほど。東方教会ではすこぶる評判が悪かった(いつも聴いているChoral Evensongでもごくたまに読まれるていど)し、異端モンタノス派が愛読していたこともあって、この書物の権威について疑問視されることもあったらしい。それはともかくとして、このパトモス島の春は美しい。エーゲ海の夏は50度ぐらいまで気温が上がり、文字どおり焼けるような酷暑だから、野草が咲き乱れる四旬節から復活祭あたりがベストシーズンみたいですね。番組見ているうちに、行ってみたい場所がまたひとつ増えてしまった(苦笑)。

 世界遺産つながりではイタリアもその指定件数の多さで群を抜いています。またイタリアにはある意味日本人以上に古い時代の遺産にこだわり、それを大切に守っている風土があるように思えます。しかしながら国内でも報道されたように、アブルッツォ州の州都ラクイラの震災はそんな文化遺産の多くも灰燼に帰してしまった。先日、NYT電子版にもラクイラにおける歴史的建造物の被害について記事が掲載されてました。美術・写真関連の記事を数多く執筆しているマイケル・キンメルマン氏による現地リポートを読むと、そんな被災地の人々の落胆ぶりがひしひしと伝わってくる。一瞬にして住む家も家族も友人も失っただけでなくて、「心のよりどころ」だった中世以来のバジリカ聖堂など、多くの歴史的遺産まで失ってしまった。キンメルマン氏の記事は、被災したラクイラ市民の悲しみに共感する書き方で、また書き手自身の深い悲しみも感じられた。震災後、イタリア内外から1万人を超える専門家がヴォランティアとして馳せ参じた。うちひとりはこう言っています。

“Without the culture that connects us to our territory, we lose our identity,” he said. “There may not be many famous artists or famous monuments here, but before anything, Italians feel proud of the culture that comes from their own towns, their own regions. And when we restore a church or a museum, it gives us hope. This is not just about preserving museum culture. For us, it’s about a return to normalcy.”

でもなぜもっと早く耐震補強とか、手が打てなかったのだろうか…日本もイタリアもともに火山国で地震国なのに。もっとも耐震補強すべき歴史的建造物の数があまりにも多すぎて、すべては無理だったとしても、です。近郊の村パガニカ(ここでは6名が犠牲になった)では1704年、というからまだバッハが十代だったときの大地震で倒壊して、その後再建されたという聖堂も、今回の震災でドームが崩落した。また1605年創建のべつの聖堂は、1703年の地震ではかろうじて被害を免れたものの今回の地震で被災した。現地の人によると、震源がきわめて浅かったためか、12年前にアッシジを襲った地震より今回のほうがはるかに酷いようです。記事は、通りをふさいだ瓦礫の山にカメラを向けているラクイラの青年の搾り出すような悲痛なことばで締めくくられています。「いくらなんでもあんまりだ。ラクイラが崩れ、粉々になってからはじめてその美しさが理解されるなんて」。

In L’Aquila, Giovanni Berti de Marinis, 24, stood in the sunshine and eerie silence photographing a mountain of debris that made a barricade of what had been his street. It seemed heartless to ask him about lost culture, but he offered anyway.

His voice trembling, he said: “It’s upsetting that people understand how beautiful L’Aquila is only when it’s destroyed.”

It is.

 1997年のアッシジ地震のときは、有名な聖フランチェスコ聖堂のドームが崩落して修道士数名が下敷きになったこともふいに思い出した。…そしてアッシジの地震で個人的に思い出すのが、その数年前にやはりNHKの紀行番組で映し出された現地の子どもたちのこと、とくに腕白だが快活なモレーノ少年とその一家のこととか…あの震災をぶじに乗り切って、いまは元気な青年として過ごしていると信じたい。

posted by Curragh at 23:56| Comment(2) | TrackBack(0) | 歴史・考古学
この記事へのコメント
私は再放送の時かな? ちょうど同じ番組を見て、初めてパトモス島のことを知りました。
どこまで史実なのかなあ〜?と思いながら見ておりましたが、やはりいろいろあるんですね。でも、なんか夢があってワクワクします。行ってみたいと心から思ってしまいました(笑顔)。

地震の方は・・・。何か起きないと予算がつかないのは、どこも一緒なのでしょうが、口惜しいですね。本当に。建物もそうですが、亡くなられた方や災害にあわれた方が心配です。
決して人ごとだとは思ってはいけないですね。なんとかならないものかと・・・考えさせられますね。う〜ん。
Posted by alice-room at 2009年04月27日 22:36
alice-roomさん

あの紀行番組をご覧になったのですね! ほんとうに神秘的で美しい島でした。エーゲ海の島々の美しさは独特ですね。

イタリアも日本も地震国で、過去何度も大地震に見舞われているのにかの地では意外にも耐震対策が遅々として進んでいないようです。建物も、木造ではなく石造りというのもあるかもしれませんが、「貴重な文化財はなるべく手を加えたくない」という国民性もあるのかもしれません。とはいえ「最後の晩餐」みたいに、後世の人の手が加えられすぎてオリジナルが損なわれた、という例もいくらでもありますが(苦笑)。

それと、当方「3世紀以降」と書いたつもりが100年も時代がズレていました。27文書すべての成立はどう考えても3-4世紀にかけてなので、悪しからず訂正させていただきました。m(_ _)m

…ああ、そういえば「阿修羅像」、いま国立博物館に来ているのですよね…新型インフルエンザが気がかりですが、こちらもぜひ見に行きたいと考えています。日本が世界に誇る宝のひとつですからね、きっちり見なくては。前からも、横からも、うしろからも(笑)。
Posted by Curragh at 2009年04月29日 19:46
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