2006年01月23日

NYTimesの記事から

 新年最初の月もはや後半にさしかかってきましたが、米国の読書界では正月明けからこの本の話題でもちきりです。

 こちら、なんと400ページを超える、『ハリー・ポッター』にせまる分厚い本で、MEMOIRと銘打っています。

 autobiographyもmemoirもrecollectionsも日本語にすれば「自叙伝」あるいは「回想録」というジャンルになると思いますが、なんでこの「自伝」が海の向こうで話題になっているかというと、中身の大半が事実ではなかったということです。

 今月11日付NewYorkTimes電子版の記事にもありましたが、いくら一個人の「私見」から書き綴ったものとはいえ、入ったこともないのにムショ暮らしをしただの、犯したこともないのにさもいろんなワルもやってきただの、書くものじゃありません(NYTimesも、「事実の捏造」という点ではあんまり人のことは言えないが…)。

 昨今の米国はブログのみならず「自叙伝」ブームでもあるようで、有名無名取り混ぜていろんな「自叙伝/回想録」が刊行されつづけています…。

 作者の現在の本業は脚本家らしいですが、おなじ出すんならはじめから正々堂々、「これは事実にもとづいた物語です」くらいの但し書きをすべきでした。テレビのトーク番組で、自ら嘘でした、なんて開き直るのはいくらなんでもひどすぎる。「これはわたしの飲んだことのないおいしい赤ワインです。どうぞ召し上がれ」と言うようなもので。

 日本風の「私小説」仕立てならたぶん問題はなかったのではないか…と思われます。書き手以外の第三者の登場人物の扱いについてはまた難しい問題が出てきたりしますが…(あんまり事細かに規制してしまうとこんどはなにも書けない)。

 こんなトンデモ本を買わされてしまった読者のほうも反応がまちまちで、たとえ事実にもとづかなくても物語じたいはすばらしいといった好意的意見もあるにはありますが、釈然としないといった意見も多い。それはそうでしょう、Timesの記事にもおんなじような指摘がありましたが、自伝や回想録の魅力は「書き手がじっさいに体験した事実の記録」が読めることに尽きます。完全な虚構よりも現実に起こった出来事のほうがはるかに想像を超えていて、おもしろかったり逆ににわかには信じられないほど衝撃的だったりということはよくあります。時間が経てば、こんどは第一級の「歴史の証言者」的史料として後世に残る…可能性だってないわけではありません。

 「おもしろければそれでいい」という悪しき風潮がいまや世界的に蔓延しているような気がします。そういえば十数年前、某出版社が「超訳」と銘打ったシドニィ・シェルダンの一連のシリーズ。いまどうなっているかは知りませんが、さる高名な先生が原本と突きあわせて調べてみたら、嘘八百のトンデモ本だった、ということがありました。ついでに原作者がその「事実」を知らされたとき、愕然とはしたものの、けっきょく黙認してしまった、という落ちがついています…。

 売れればそれでいい…出版社も作者も大切なのは読み手ではなくてやっぱりMidas touchなのですかね…。

 「文は人なり」。モノを書く人はこのことばのもつたいへんな重みをいま一度よく噛みしめるべきです。

posted by Curragh at 02:16| Comment(0) | TrackBack(0) | Articles from NYTimes
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