2009年05月06日

'Strunk & White'が50周年

 先月21日付の記事ですが、米国の大学生が必ず(?)贈られる、もしくは読まされる「文章指南書」のThe Elements of Style、通称Strunk and Whiteが今年で出版50周年を迎えた、というもの(ほんとうの初版はストランクの自費出版本で1918年。記事は、コーネル大学でストランクの教え子だったホワイトが改訂した「共著」としての出版から50周年ということで書かれている)。この「英語版文章作法」の本、米国では知らない人がいないくらい有名な本で、記事を見たとき、「ああ、そういえばこんな本あったな…」と念のため調べてみたら、なんといつも行っている図書館に第三版の邦訳本があることまで発見した(笑)。ただ、こっちのほうは長らく絶版だし、英文を書くための心得本というからには、原語で読んだほうがいい、というわけでこれの「初版」がこちらのサイト様にありましたので、ありがたく読ませていただきました…例文の古さ、やや矛盾した箇所など欠点もあるものの、これが20世紀はじめに書かれたものとは信じられないほど、とてもモダンな文章指南本だと思いました。

 ところが…米国の編集者に作家、記者なら一度はみんなお世話になっているはずのこの本、こちらの'Room for Debate'なるページでは英語の専門家とか識者からさんざんこっぴどく叩かれている。むしろコメントを投稿している一般読者のほうが、「『ストランク&ホワイト』叩きはやめろ!」とばかりに擁護的な意見が目立つという、ちょっとおもしろい展開になっています(註:262ものコメントすべてに目を通す時間なんてないから、はじめのほうだけ。でも、ハワイのヘレンさんという方の投稿、'Considering that most high school students can’t even write a simple sentence anymore this is STILL a great book for “Style” and “Grammar.”/ After forcing students to read these books I can finally read their essays without a headache...'というのには、ちょっと苦笑。このへんの事情は日本も米国もあんまり変わりないのかな?)。たしかに識者の言い分もわかるけれども、どちらかと言うと「揚げ足取り」のような印象をぬぐえない。電子メールもなかったころの「文章読本」なので、ほかのこの手の本同様、読者はあるていど批判的に読む必要はあるかと思う。たとえば'six people'より'six persons'のほうがよいとか、三人称単数形の人称名詞を受ける場合はhe一語でいい、なんて主張にはとくに…またshallの用法説明もwillが幅を利かせている現状から見るとたしかに古臭い(ヨーダに逃げ道をふさがれた銀河皇帝の科白も、昔だったら'You shall not stop me!'とでも言ったところ)。とはいえ、いまごろになってはじめてこの有名な「小さな本」初版を読んでみると、やはり英文を書く上でとても役に立つヒントが散りばめられているように感じます。とくに「パラグラフ・ライティング」、段落の展開の仕方および力点の置き方などについては、ほとんど日本では馴染みがないと思うので、「ネイティヴに通じる英文を書きたい」という方は、やはり一読しておいて損はないと思います('III. Elementary Principles of Composition'以下参照)。

 具体的にはすでに上記リンクのサイトにぜんぶ列挙してあるから、丸投げしておくとして(笑)、「初版本」を読んで目についたものだけ備忘録ていどに書いておきます。

 もともとの原著者ストランク教授の言わんとするところは、やはり「簡潔であれ」に尽きます(のちに共著者になるホワイトによれば、ストランク教授は「まちがいよりも優柔不断な書き方のほうがもっと悪い」と思っていたらしい)。wordiness, redundancyは避けるべきとしていて、たとえばわれわれ日本人もよくやりがちな「悪い例」として、関係詞の無用な濫用を戒めてもいます。

×→Trafalgar, which was Nelson's last battle
○→Trafalgar, Nelson's last battle

×→He is a man who is very ambitious.
○→He is very ambitious.

×→he is a man who
○→he

また文意があいまいになりやすい受動態は避けて能動態をとか、notを使わず肯定文で書くように…などの指示も、「人種の坩堝」・米国で自分の言いたいことを過不足なく相手に伝えるためにはあいまいな書き方、わかりにくい書き方はご法度だというストランク教授の強い信念が伝わってきます(もっとも、「正しい例」にもあんまり必要とは思えない[?]受動態があったりしますが)。

×→He was not very often on time.
○→He usually came late.

 セクション18の項目について、すこしだけ補足。英文では「先頭に来るものがいちばん目立つ」から、主語になる語句以外のものが先頭に来た場合のみ、書き手が強調して書いているということ。物語ではよく'Off he went, ...'とひっくり返った語順の文が出てきたりしますが、これも一種の強調表現。また英語散文はふつう散列文(loose sentence)という形ですが、「文意が最後まで読まないと成立しない」掉尾文(periodic sentence)が出てきたときは、そこがもっとも力点の置かれている文章になります。ふつうの語順の文(散列文)では通例「うしろのほう」に力点がくるから、正しい例として挙げられている'Humanity, since that time, has advanced in many other ways, but it has hardly advanced in fortitude.'では、but以下が書き手のいちばん言いたいことになります(付記。'I saw him sing.'は、「黙っているのではなくて、歌っていた」ことに力点が、'I saw him singing.'は「ほかならぬ彼が、歌っているのを見た」ことに力点がある)。

 'Room for Debate'で、Ben Yagodaというデラウェア大学の英語(国語ですね)の先生が、

Broader still is the final chapter, “An Approach to Style,” written by E.B. White himself. He offers a list of guidelines, including “Place yourself in the background,” “Do not affect a breezy manner” and “Do not inject opinion.” “The approach to style,” he concludes, “is by way of plainness, simplicity, orderliness, sincerity.”

White purports to be talking about “style” but is really advocating a particular style. It is a style of absence: absence of grammatical mistakes, breeziness, opinions, jargon, clichés, mixed metaphors, wordiness and, indeed, anything that could cloud the transparency of the prose and remind readers that a real person composed it.

と書いているのを見て、戦中戦後の一時期はやった、バロック音楽の解釈にかんする論争も思い出した(「新即物主義」、Neue Sachlichkeit)。たしかに「書き手は姿を見せるな」とか「意見をはさむな」というのは、むりなことではある。演奏にせよ文章にせよ、書き手の「主観」はどうしても入りこむものだから(下線強調は引用者)。

 以前、米国の政府刊行物および新聞・雑誌のたぐいはPlain Englishで書くのが基本になっているとここで書きましたが、じつはその源流がまさにこの本にあると言えると思う。50周年記念版も出たことだし、いい機会だからこのさい便乗して買って、英文の書き方の基本をしっかり身につけよう、と筆者はかたく決心したのであった(強意構文のつもり[笑])。「英文の書き方本」としては、いまひとつOn Writing Wellという名著もありますね(こっちも2006年で30周年だったらしい)。ついでに最近、Webサイトの文章とか見て気になるのは、書名や誌名などの固有名詞の表記法。ペーパーバックなり英字紙なり見てみればわかるように、本来はイタリックで書くべきところですが、ことWeb上のテキストにかんしては必ずしもこれが守られているわけではないようですね(おなじことが日本語文章にも言える。書名や新聞紙名は本来は『』で囲うもの。また漢字の使用について、無頓着な人が多すぎる)。

 …brevity、ね。さしずめいつもここで綴っている駄文は、『ストランク&ホワイト』に言わせれば悪文の見本市ないし展覧会ですな。いっつも脱線してばかりいて、なに言ってんだか本人もよくわかってなかったりしているし(苦笑)。

posted by Curragh at 21:46| Comment(20) | TrackBack(0) | Articles from NYTimes
この記事へのコメント
大変参考になりました。英語は得意ではありませんが、今度医学英語なる授業を担当することになりまして頭をかかえております。勉強しなくては。。ところで、来週レオンハルトさんの演奏会があるので楽しみです。
Posted by cepha at 2009年05月07日 01:02
おおーっ! そういえばたしか来たる13日に'Kitara'でレオンハルト大人の公演があるのですね! 鍵盤楽器奏者としてのcephaさまの視点からのコンサート評をぜひぜひぜひ書いてください! 

医学英語ですか、すごいですね! 当方、医学関係の英語といえば、せいぜい'-itis'=「なんとか炎(dermatitisとか)」、くらいの知識しかありませんから…。
Posted by Curragh at 2009年05月07日 02:58
いろいろと大変興味深いご教示ありがとうございました。Elements of Styleが50周年とは知りませんでした。。。

13年も前になりますが、初めて翻訳学校に行き始めたとき、最初に習った先生が、パラグラフライティングを大変重視する方で、随分訓練を受けたのです。その先生は、翻訳というより、テクニカルライティングを身につけることの有用性を説いておられまして・・

PWの理論は、工業英検などを取得するには役立ちましたが、実際に翻訳業に就いてみると、顧客の書いた日本語原稿の構成をこちらで変えることは嫌がられますので、なかなか理想どおりにはいかないです。(特許翻訳は、とりわけ特殊でオタクめいた世界なので、よけいdiscourageされてしまうのですけどね、、苦笑)

でもCurraghさんのこの記事を読んで、初心に返らねば。。という気分になりました。

ところで、、

'I saw him sing.'は、「黙っているのではなくて、歌っていた」ことに力点が、'I saw him singing.'は「ほかならぬ彼が、歌っているのを見た」ことに力点がある)。

知覚動詞の補語の形の違いで、そういうふうに意味が違うのですか?そういう比較をしたことがなかったので、ちょっと戸惑っています(「ほかならぬ彼が」というところにですが)よく言われる、原型ならその動作をするのを最後まで確認したということで、進行形なら、その一瞬を見ただけで最後まで確認したかどうかは不明というのは、学校文法レベルでしたか?

もっと書きたいこともあるのですが、、仕事が・・・orz

Posted by keiko at 2009年05月07日 20:22
Keikoさん

おお! パラグラフ・ライティングをきちんと学ばれていたのですね! さすがです。それにひきかえ当方は、それを悪用(?)して、時間のないときは「段落の頭とシッポだけ」に目を通すという飛ばし読みをしたりしてお茶を濁しています(苦笑)…これをパラグラフ・リーディングと言うのかどうか(例として挙げた'Off he went...'は、ただたんに「語呂合わせ」の場合もあったりしますが、いちおう強意のかたちなので、書いておきました。もっともほかにもっといい例文を見かけたら、そちらに差し替えるかもしれません)。

ご質問ですが、Cに原型動詞がくる場合は話者の視点は動作に重点をおいています。進行形の場合はおっしゃるとおり、「見かけたとき、彼がたまたま歌っているところだった」ので、その後どうしたかまでは問題にしていません。つまり「だれが歌っていたのか?」という質問が前提になっているので、「ほかのだれでもない彼」が歌っていた、ということになります。というわけで、この手の構文を厳密に区別すれば、

'I saw him run.'→「走っている彼を見た」

'I saw him running.'→「彼が走っていた」

という感じになりますが、じっさいにはそれぞれの文脈のなかで最適な訳を探ることになるので、ここで書いたのはあくまでも原則論です。たしか「ハートで感じる英文法」でも大西先生がおっしゃっていたように記憶していますが、進行形は基本的にそのときかぎりの動作に限定されるもので、インパクトが弱いのです。そのかわり、'I love you!'と言われたときのインパクトは強烈です(現在時制の宣誓用法)。昨今の学校での教え方はあまりに会話偏重ですが、おかげで「基本五文型」をきちんと理解していない人が多いように思われます(散列文・掉尾文問わず、どんな英文もすべて五文型のいずれかでできている。学生さん向けに書きますと、'I saw him sing'はSVOCの文型)。と、せっかくなのでここでまたまたクイズです(特許翻訳もされているプロの方にこんなこと訊くじたい、僭越ではありますが、お許しください)。

'What do you drink? Bourbon?'と'He races.'、それぞれを訳してください(前者の出典は映画「卒業」から)。
Posted by Curragh at 2009年05月08日 10:30
詳しいご説明ありがとうございます。。なるほど!と言いたいところですが、、恥ずかしながら、私の疑問はやはり解決しません
(笑)、、今、口腔外科と格闘してまして、時間に全く余裕がないので・・(苦笑) 逃げているわけではありませぬーー爆 のちほどまた。
Posted by keiko at 2009年05月08日 16:19
こちらの説明が下手、ないしは舌足らずで申し訳ありません。

いまさっきまで図書館に行ってまして、ついでに気になったから英語関連本の書架も漁ってきたのですよ。…大西本とかあればよかったんですが、いかんせん古いもんばっかで…(苦笑)これという説明をしてくれている本が見当たりませんでした。帰宅してからしばらく米国の小学生が使う英英辞書――国語辞書ですね――とか見たり、「英文正読読本」みたいな本(笑)とか高校生向けに書かれた英文法書とかひさしぶりに(?)繰ってみたのですが、「動詞原形は動作が終わるまでを、現在分詞形ではそのとき進行中の動作のみを云々」くらいの説明しかありませんでした。

くどいようですがOとCは当然、主語述語関係にあるので、'I saw him sing.'と書くと、「確実に歌っていた」という「動作」が話者の言いたいことになります。ここが現在分詞型になると、「自分が見たとき、たまたま歌っているところだった」ことにすぎないので、動作にはあまり重点がありません。よってそのとき歌っていたのがだれか、ということのほうに重点があるから、厳密に訳すとあのようになるのです。動詞の原形か現在分詞形かというちがいはまさにこの「気持ち」に現れています。教える側が、こういうほんとうに大事な勘所を教えてくれないから、「知覚動詞+O+原形不定詞『Oが〜するのを…する』〔最初から最後まで〕、知覚動詞+O+〜ing『Oが〜しているのを…する』〔最中〕」なんていうなんだか判然としない説明でわかったような気になってしまう、というのはおおいに問題ありと思っています。このへんについては個人的にはけっこうこだわっていたりするので、ついでに引っ張り出してきたしだいです。以上門外漢の妄言、平にご容赦を(「新感覚☆わかる使える英文法」テキストにはこのへんの感覚のちがいとかもきちんと書いてあるかもしれません)。進行形ついでに、'He is being kind!'というのもおんなじで、いつも親切な人だったら'He is kind.'だけでじゅうぶんです。進行形になると、「バカに親切だな、なんか下心でもあるのか」みたいな感じになってしまいます。
Posted by Curragh at 2009年05月08日 20:44
ふむ。。。
来週末になってしまうかと思うのですが、、、しっかり反論させていただきますので、お楽しみに、、(笑)

'He is being kind!'例で、「進行形になると、「バカに親切だな、なんか下心でもあるのか」みたいな感じになってしまいます」
これはもちろん同感ですよ。進行形が、主語の強い感情(しかもマイナスの)をあらわすことがありますからね。

とりいそぎ
Posted by keiko at 2009年05月09日 08:36
すみません、ちょっとお尋ねしておきたいのですが、、Curraghさんの、そのこだわりの理論の根拠(出典)はどこでしょうか?(何かの文法書?それとも、Curraghさんご自身がネイティブとのやり取りや英文の多読などで体得されたことですか?)


Posted by keiko at 2009年05月09日 18:19
Keikoさん

両方ですね。もっとも自分は、いわゆる「ネイティヴ信奉者」というわけではありませんが…ネイティヴだからといって、100%正しい英語を書いたり話したりするわけではありませんから。上記例文における「重点が人か動作か」については、一冊だけですがはっきり書いてある本があります。でもこれだけではKeikoさんのdoubtsを解決することにはならないだろうと思っているので、大西先生とか田中先生の本とか探してみるつもりです。

Webでも検索してみましたが、けっきょく「原形の場合は動作の一部始終を見ている」という説明が多いことからしても、自然と話者の視点は動作にあると言えるのではないでしょうか。すくなくとも原形と現在分詞形の使い分けが厳然と存在しているというのは、なにかしら理由があるからです。おんなじだったら、そんな気遣いは必要はありませんから。一見かんたんそうな、colloquialな言い回しほど、じつはむつかしかったりします。
Posted by Curragh at 2009年05月09日 20:02
何度もお返事ありがとうございます。

>ネイティヴだからといって、100%正しい英語を書いたり話したりするわけではありませんから。

はい、同感です。これに反論しているようでは、実務翻訳者のモグリでしょうから(苦笑)「ネイティブとのやり取りの中で」と言ったのは、Curraghさんのお友だちはネイティブさんが多いみたいなので、半ば羨ましい気持ちもありまして、そう書いただけなのです(笑)。

>上記例文における「重点が人か動作か」については、一冊だけですがはっきり書いてある本があります。

それだけでもいいので、具体的な内容を教えていただければありがたいのですが。
Posted by keiko at 2009年05月09日 20:40
松本安弘・松本アイリン共著『翻訳84のコツ』、BABEL刊、1982のpp. 121-2です。でもこの本、いまでも売っているのでしょうか??? 
Posted by Curragh at 2009年05月09日 20:51
あっ、その具体的な記述内容をここにアップしていただければと思ったのですが。。

Posted by keiko at 2009年05月10日 00:09
翻訳技術にかんする本ですので、記述はいたってシンプルですが、基本的には自分の書いたこととおんなじです。「人が重点か、動作が重点か」というセクションで例として挙げられていたのが、上記ふたつの例文です(ただしまったくおなじというわけではありません)。そのあとでこうつづいています。「『〜が…するのを聞く(見る)』という場合には、to hear(see)someone+原形動詞の形と、to hear(see)someone+動詞ingの形の二通りの表現法がある。意味は両者同じであるが、ニュアンスが違う。原形動詞のほうは『動作』のほうに力点があり、動詞ingのほうは『人』に力点がある」。
Posted by Curragh at 2009年05月10日 01:48
うーーん・・・それだけで、実例も挙げていないのでしょうか。松本先生ーー説得力ありませんぞぉ・・

ともかく、後ほどまたゆっくり。m(__)m

Posted by keiko at 2009年05月10日 08:37
ああ・・・最悪、、、orz orz orz

Curraghさん、もうしわけありません・・・

やっと時間ができたので、10時半から書き始めて、あと一息で書き終えるというところまで来て、、、、一瞬どこか変なキーを押してしまって、画面が切り替わりました・・2時間かけて論じた内容が一瞬にして消えてしまいました。。。。

はあ、、、、エディタかなにかで書いてからアップすればよかったなあ・・・

疲れだけが残ってしまって、自業自得ですが、、

また最初から書き直す時間が数日中にあるかどうかわかりませんが、必ず書きますので、今日のところはお許し下さい。。

とほほほ。。。。。大馬鹿者だあ
Posted by keiko at 2009年05月18日 00:53
Keikoさん

2時間もかけて書いていたのですか?! …えらいことになりました…って自分が蒔いた種だから、しかたないとはいえ…お仕事でお忙しいところを、なんだか申し訳ないです。
Posted by Curragh at 2009年05月18日 01:06
また書き直していますが、1週間前に書いた内容よりさらに長くなっていますので、明日か明後日までお待ちください。m(__)m このコメント欄、字数制限ないですよね??(汗)
Posted by Keiko at 2009年05月24日 23:58
Curraghさん、すっかり遅くなってしまい申し訳ありません!
以下私見ですが、お付き合い下さい。

Curraghさんのご教示に反論することになるため、言葉がちょっと断定的できつく見える部分もあると思いますが、お許し下さいね。以前も言いましたように、Curraghさんの、とても海外経験なしとは思えない超ハイレベルでinsightfulな語学力には、畏敬の念すらもっている私ですから、決してあら捜しをしたわけではありません〜(笑)。今回Curraghさんの論にどうしても納得いかないという、私には極めて珍しいことが起こったものですから、できればそのギャップを埋めて、いつものように「そうですね!同感です!」と一緒に盛り上がりたいがゆえに、あえて反論をぶつける次第です。。。

前置きはこれくらいにして・・・

最初に、1週間前に書いたことを繰り返しますが、松本安弘氏の本にあるというその説明は、用例による検証もないので、全く説得力がありません。また、そういう目新しい(奇抜な?)理論が、1982年に同氏が提唱してから、まったく浸透していない事実からみても、やはりそれは、少なくとも日本中の英語学者を納得させるような論ではなかったと言えると思うのです。

Curraghさんが最初に論じてくださったことを順番にみていきましょう。

>進行形の場合は<中略>つまり「だれが歌っていたのか?」という質問が前提になっているの>で、「ほかのだれでもない彼」が歌っていた、ということになります

まず、ここが意味がわからないでのです。前提になっているとどうして決まるのですか?

「私がぱっと見たら誰かが走っていた。それは彼だった」の意味で「ほかならぬ彼」と言いたいのであれば、わざわざIsaw him runnnigなんてSVOC使って言うでしょうか。He was runningでいいのでは?? あるいは、It was Harry who was running.とか、I saw someone running in the park. It was Harry. とかでしょう。 仮にそういう質問が先にあったというコンテクストなら、それはそれでSVOCも可能かもしれないですし、会話ならhimにストレスを置くのでしょうが、、、、そういう質疑応答でも、例えば、Who was running there? Harry was. これが自然ではないでしょうか?

>たしか「ハートで感じる英文法」でも大西先生がおっしゃっていたように記憶していますが、

私は大西先生の本は持ちませんが、ざっと検索したところでは、ネット上にはCurraghさんのおっしゃるような理論は確認できませんでした。大西論に関するサイトで知覚動詞構文を論じているところを2つ見つけましたが、ひとつは使役動詞がらみで原形かto-不定詞かというポイントから論じていて、もうひとつは、こちらですが・・・

http://www.st316.com/hearttikaku.htm

(田中聡一郎さんという方のサイトで、「NHK教育テレビで放送されていたハートで感じる英文法シリーズから、英語を学んで行くページです。大西泰斗さんの説明を元に、英語をしっかりと学んで行きたいと思います・・」と書いてありますね)

田中氏の説明ですと、以下の通りです。

まさに目の前で起こっている、という場合は「ing」を用います。
「〜された」という意味を出す場合は、過去分詞になります。

☆I saw Mary cross the street.

これは「メアリーを見ました」そのメアリーがどんな状態だったのかというと、「通りを渡っている」という状態だったのです。これは躍動感はありません。原形なので、今まさに目のまで起こっている、という感じはまるでありません。では何なのか、というと、平たい感じです。単に通りを渡る、ということを意味しています。目の前で起こっていないので、動詞の原形です。これは動作の最初から最後までを意味すると説明されますが、躍動感がない、ということになります。

Curraghさんも上記を既に読んでおられるのですよね?それでもそのようにOに力点があるとおっしゃっているのでしょうか? だとしたら、やはり、私とCurraghさんの解釈には大きな隔たりがあるといわざるをえません。

>進行形は基本的にそのときかぎりの動作に限定されるもので、インパクトが弱いのです。

「限定」にも「インパクトが弱い」という決め付けにも反論します。田中論でも「躍動感がある」と書いてあるとおり、Cの動詞の内容によっては、私にはむしろインパクトが強いと思っています。 まあ、crossingとかだと、ぱっと見たら、背中が見えた?くらいのもので、刹那的かもしれませんけどね.....singingとかだったらどうでしょうか。 I heard Harry sing Die Schone Mullerin. なら、Harry が水車小屋をうたっていたよ。全曲を通して聴いてきたよ、とリサイタルに行ったことを事実として報告している感じですが、singingになると、「いらだち」とか「さすらい」とか「涙の雨」とか個々の曲のHarryの歌いっぷりを生き生きと思い出しながら話している感じではないですかね?
Posted by Keiko at 2009年05月30日 08:20
(つつぎです↓)

田中論のこの「躍動感」という点を(しかも、crossのような動詞ですら「躍動感」を感じるということができるという感覚を)Curraghさんはどう解釈されるのでしょうか。

つまり私が言いたいのは・・・

Curraghさんもおっしゃるように、確かに、原形なら「始めから終わりまで」現在分詞なら「ある瞬間」と機械的に区切れるものではないですね・・・でも、だからといって、現在分詞の場合、Cが弱いので、その分の力点がOに移動して、Oに焦点が来るというという理論は成立しません。飛躍しすぎです。コンテクストにもよりますが、強弱のバランスでいうなら、むしろOの方が強いことが多いと私は思います。

私がそう思うということだけでは、私の言い分にも説得力がないので、良い例をひとつ挙げます。

Winnie-the-Poohの一節です。 

プーの仲間に、カンガルーの子供の「ルー」という可愛いキャラクターがいるのはご存知だったでしょうか。みんなで遊びに行った際、このルーが川に落ちるのですね。溺れているのではと、みんなが心配してやっと引き上げるのですが、ルーは、もう嬉しくて Did you see me swimmingを連発します。たまたま落ちた結果ではありますが、泳ぐということを初体験して、すごく興奮している子供の気持ちを、ミルンはDid you see me swimming? That's called swimming, what I was doing…と生き生きと表現しており、つまり、OではなくむしろCに力点があるわけです。まさに躍動感!

・・・and Roo, still bubbling proudly, "Look at me swimming," drifted up against it, and climbed out. "Did you see me swimming?" squeaked Roo excitedly, while Kanga scolded him and rubbed him down. "Pooh, did you see me swimming? That's called swimming, what I was doing. Rabbit, did you see what I was doing? Swimming. Hallo, Piglet! I say,
Piglet! What do you think I was doing! Swimming! Christopher Robin, did you see me--"

それと、1人だけですけど、教養ある信頼のおけるネイティブスピーカーの方(イギリス人男性で経済分野のエキスパート)の考えを聞くことができたのですが….原形も現在分詞も日常使う文章としては、意味的には違いはなく、原形はOがCするのを見た、聞いたということ全体をひとつの事実として述べているだけで、現在分詞は基本的には同じだけれど、Cの動作を少し強調している、とのことでした。この方のおっしゃる「動作の強調」は、まさに、田中論の「躍動感」と同じ意味ですよね。

ネイティブは、普段は意識的に使い分けているわけではないようです。ただ、それでも、ノン・ネイティブが学習するための指針として、基本原則が提示されることは必要です。それで、原形なら「始めから終わりまで」現在分詞なら「ある瞬間」という理論が昔から定着しているのですね。

Michael Swanの’Practical English Usage’にある例ですが、

Watch me jump over the stream. (×jumping)

I heard the bomb explode. (×exploding)

こういうのを進行形にすると、まったくおかしな英語になるので、初めから終わりまでか瞬間かという使い分けは、基本的な出発点としては必要です。

それと、進行形のもうひとつの大事な側面は、repetitionをあらわすということですよね。

Isaw him kick/kicking the ball.

kickなら1回ぽーんと蹴った。kickingならぽんぽん何度も蹴っていた。両者のイメージを比べてみると、やはり進行形のほうが躍動感を感じます。

最後に、もう1つ決定的なポイントがあります。I love youの例や、私に出されたクイズの意図からもわかるように、Curraghさんは、進行形に比べて現在形の方が、恒久性、習慣性といった意味合いから、強いインパクトを持つのだと力説されています。現在形がそういう力をもつということ自体は、私もなんら反論するところではありません。ただ、そのことは、ここではirrelevantだと思うのです。なぜなら、「原形」」と「現在形」は別物だからです。原形は、infinitiveというように、「不定」のものなのです。つまり、人称・数・時制・法などの限定を受けていない形態。原形そのものには、なんの力もないといってもいい。真っ白の赤ん坊の状態なのです。

いかがでしょうか。まとまりのない長い投稿で大変失礼いたしました。
Posted by Keiko at 2009年05月30日 08:21
他人様のサイトのコメント欄を、我が物顔で独占する、この投稿者の暴走お許し下さい。。(苦笑)

ちょっとだけ訂正を、、、

「つまり私が言いたいのは・・・」次のパラグラフ(パラグラフといえるものかわかりませんんが・・・笑)の最後の方・・・


「・・・・成立しません。飛躍しすぎです。コンテクストにもよりますが、強弱のバランスでいうなら、むしろOの方が強いことが多いと私は思います。」と書いているところは、「・・むしろCの方が強いことが多い」の誤記です! 肝心のところ間違えてはいかんですね・・・m(__)m

Posted by keiko at 2009年05月30日 10:42
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