2009年05月17日

「鳩のように飛べたなら」

 いま、BBC Radio3 では今年が記念イヤーの作曲家、パーセル、ヘンデル、ハイドン、メンデルスゾーンの4人をひとりずつ取り上げては特集番組を組んだり、関連演奏会を開いたりしているそうです ( →公式サイト)。で、先週放送分の The Choir では、英国の合唱団の大好きなメンデルスゾーン特集。とくにおもしろいと思ったのは、全国から100以上もの聖歌隊/合唱団が参加してみんなでアンセム「わが祈りを聞きたまえ(同名の op.39-1 とはべつの曲)」を歌うという、The Wings' Project。プレゼンターのアレッド・ジョーンズにとっても思い入れ深い声楽作品だけに、'Ah, yes, I remember it well.' なんて言ってましたね。参加合唱団からのメールも読み上げてましたが、ある村の教会聖歌隊の指導者からのメールでは、「 8歳から83歳まで」のメンバー24名がこの作品を歌ったんだとか。微笑ましいかぎりですね。メンデルスゾーンと英国とのつきあいは深くて、はたちのときの1829年に、上流階級の子弟がおこなう教養旅行でロンドンをはじめて訪れて以来、英国王室に気に入られたりしてたびたび再訪しています。有名な「スコットランド交響曲」とか「序曲 フィンガルの洞窟」もこの時代の産物(オラトリオ「エリヤ」初演の地も英国)。メンデルスゾーンが「ヴァイオリン協奏曲」を書いていたころ、ロンドンのウィリアム・バーソロミューから、「手勢の合唱団公演のためにひとつふたつ、オルガン伴奏と独唱つきの宗教声楽曲を書いてほしい」と依頼を受けて書いたのが、この作品番号なしのアンセム(英語で歌われるモテット)「わが祈りを聞きたまえ」だったんだそうです。初演は 1844年1月25 日。SATB の4声部合唱、女声ソプラノの独唱つきのオルガン伴奏による編成。のちにこれを17世紀の宗教詩 人パウル・フレミングによるドイツ語歌詞版に書き直しているとかどこかで読んだことがある。だからこの作品は英語歌詞で歌われたり、独語歌詞で歌われたりするらしい。ドイツの合唱団は、やはり独語版の録音を多く残していますね(当たり前か)。で、英国の合唱団と聖歌隊もすぐこの作品を「十八番」にして、こんにちでも「夕べの祈り」とかでさかんに歌われています。あの切々とした、ひじょうに印象的な独唱パート後半部(「鳩のように飛べたなら」)はもとは少年の声ではなくて、成人女性歌手によって歌われることを作曲者は想定していたのですね。で、今回のプロジェクト一の呼び物として、昨年度の 'Choir of the Year' を受賞した Scunthorpe Co-operative Junior Choir という混声合唱団の少女歌手をメインに大編成の合唱混成チームがこの名曲「わが祈りを ―― 」を披露してました。

 … 後半部の「鳩のように飛べたなら」。原題 ( 'O For the Wings of a Dove' ) を直訳すれば「鳩の翼さえあれば」になりますが、かつて売られていたアレッドの名唱盤の名訳にちなんであえてこちらを採りたい。もともとの歌詞は「詩編 55 番」からで、バーソロミューがアレンジしたもの。

O for the wings of a dove,
Far away would I rove!
In the wilderness build me a nest,
And remain there for ever at rest.

 「鳩のように飛べたなら
  はるかかなたへ飛んでゆけるのに ! 
  荒れ野に巣を作り、
  とこしえに休らうだろうに ! 」

 かつてのアレッドももちろんすばらしかったけれども、BAC 来日公演で聴いたアンドリュー・ジョンソンのソロも感動もので、聴いているうちにいろいろと思い出してしまいました。とにかくこのソロパートだけでも絶品で、メンデルスゾーンは歌曲でも天才的な作曲家だったと思います。また英国人にとって、「わが祈りを ―― 」とくれば、伝説的なボーイソプラノのアーネスト・ラフ氏。ラフ氏のご子息ロビンさんが録音メッセージを寄せていました…なんでも父がこの録音をしたのが15歳のときで、ボーイソプラノとしては遅いくらいだったけれどもおかげで大人の歌手顔負けの表現力と成熟した歌唱技術で歌うことができたとか、この録音のあとでソロを歌った少年聖歌隊員が亡くなったというおかしな噂が流れ、墓に花を手向けに来たというご婦人の前で当の本人がこんなにピンピンしていますよ(alive and kicking)と元気なところを見せて驚かせたとか、当時の録音技術は原始的で、グラモフォン社が開発したばかりの移動式録音機をテンプルチャーチへ持ちこみ、たった一本のマイクで一発勝負で録ったとか、ソリストとバックコーラスの聖歌隊と音が混濁しないように、信徒が膝にあてがうクッションの上に乗って(!)マイクに顔を近づけて歌ったとか、いろいろ興味深い話を披露してもいました ( 当時のテンプルチャーチのオルガニスト兼聖歌隊長はサー・ジョージ・ソールベン-ボール。ただしこちらの Wikipedia 英語版記事では「二冊の大判本の上」に立って録音にのぞんだとある)。アーネスト・ラフ氏は 2000年2月22日、88 歳で天に召されています。( → NYT の死亡記事 )。ついでに英国ではじめて「亜鉛円盤レコード」に録音されたボーイソプラノ、というのは 1898年8月にのちのHMVの前身会社が録ったというジョン・バッフリーなる方のようです。その HMV が 1927年3月にグラモフォンの録音機材を使って録音したのが、かのアーネスト・ラフ氏の歌うメンデルスゾーンの「わが祈りを ―― 」で、これが英国初の「ミリオンセラー」ディスクだったという(リリース後、わずか半年で65万枚が売れたらしい * )。

 メンデルスゾーンの世俗作品ではハイネの詩に曲をつけた「歌の翼に」なんかもひじょうに有名で親しまれていますが、ヴィントスバッハ少年合唱団の歌う「森との別れ」と「霜が降りた」もけっこう好き。このあとで幕間として歌われたのが、以前ここでも紹介した現存最古の二重カノンによる伝承歌「夏は来たりぬ」でした。

追記。来年の春、たぶんまたイースター休暇あたりだろうと思いますが、アジアツアーの一環としてイートンカレッジ聖歌隊が再来日するそうです。

* ... Alan Mould, The English Chorister, pp.265-7. またこの本によると、一躍大ブレイクしたラフ少年は、父親の勧めにしたがって山のように届くファンレター一通一通にお礼を書いていたらしいが、けっきょく書ききれなくなってあきらめたという。

posted by Curragh at 20:58| Comment(4) | TrackBack(0) | 音楽関連
この記事へのコメント
Curraghさん、こんばんはー。(そちらではおはようございます?)
Hear my prayerは本当に素晴らしい曲ですよね。私もAledヴァージョンが好きなのですが、さらにそれを上回るほどだったAndrewの歌声を生でお聞きになったとは、羨ましい限りです!私には想像もつかないです(笑)。
フルコーラスではボーイソプラノが堂々と合唱を引っ張って行き、ダイナミックな盛り上がりと静かな「鳩のように飛べたなら」の緩急の使い分けが素晴らしいですよね。でも私はBACのボーイのみの編曲も好きです。最後のハモリがBACだけでしか聴けないので気に入っています。

メンデルスゾーンのピアノ曲集を持っていますが、彼の作る曲は本当に優しい雰囲気をもったものが多く、いくつものきれいなメロディーが重なり合っています。好きな作曲家の1人です。
でも…余談ですが、大学の卒論でシューマンの歌曲集について書いたのですが、シューマンの一生を追って行ったときにメンデルスゾーンが登場しました。彼はシューマンの良き友であり、シューマンが病気になったときも彼を支え続けたのですが、何とメンデルスゾーンはシューマンの奥様と良い仲になっていたとか。昔の作曲家にはよくある話かもしれませんが、正直ちょっとがっかりでした(笑)。
Posted by Satomi at 2009年05月18日 06:55
Satomiさん

BAC来日公演では、もちろんエド(1999年)のソロもすばらしかったですよ。でももうすこし「芯の太い」歌声が好きなので、アンドリューびいきになってしまいます。^^); そうそう、BACのアルバムヴァージョンもいかにも若々しくて爽快感あふれる編曲で、自分もとても好きです。のびやかに歌うエドのソプラノが心に響きますね…まるで春の心地よいそよ風のようだ…。

メンデルスゾーンのピアノ曲集をおもちなんですか。シューマンの奥さんと恋仲…というのは、クララのことですか? たしかシューマン亡きあと、ブラームスとかなり親密な間柄だった、というのは知ってましたが、メンデルスゾーンまで絡んでくるとは、想定外でした(苦笑)。それにしても「佳人薄命」ですね、自分もいまメンデルスゾーンの亡くなった歳にさしかかってますし(大汗)。それはそうと、バッハ好きにとってもメンデルスゾーンはぜったいはずせません。なんといっても19世紀バッハ復興の立役者がメンデルスゾーンですからね…もちろんブラームスもシューマンも、「旧バッハ協会」設立および『旧バッハ全集』刊行に尽力していますから、もちろん彼らの役回りも重要です。メンデルスゾーンとシューマンとくると、トーマス教会でのバッハ記念碑建立記念オルガン演奏会で演奏された、バッハのオルガンコラール(BWV.654)について、その場にいたシューマンに語ったとされるメンデルスゾーンのことばもけっこう知られています(「もしわたしの人生から希望と信仰が奪われても、このただひとつのオルガンコラールがそのふたつを取りもどしてくれるだろう」)。
Posted by Curragh at 2009年05月19日 02:01
私が持っている曲集は、メンデルスゾーンと言えばこれ!というくらい有名な(?)無言歌集です。「二重奏」という曲が特におススメです。
記憶が定かではないのですが、確かにメンデルスゾーンがシューマンの妻クララと怪しい仲だったはずです(笑)。クララとブラームスとの仲は有名らしいですが、メンデルスゾーンはシューマンがまだ生きていた頃(末期でしたが)だったと思います。卒論用に大学かどこかの図書館で借りた本に書いてありました。でも違っていたらごめんなさいm(__)m
でもホント、佳人薄命ですね。シューベルトやモーツァルト、ショパンなど有名な作曲家はいずれも30代で亡くなっています。もしもっと長生きしていたら、この世にはさらに多くの素晴らしい作品があったかもしれませんね。
Posted by Satomi at 2009年05月19日 02:16
おお、「無言歌」でしたか! そうでした、いちばん有名なものを失念しておりました…。

それから上記拙訳、かんじんかなめの'at rest'がすっぽり訳抜けしていたので、訂正させていただきました。m(_ _)m 訂正ついでに少々追記事項も…。

…それにしても「無言歌」というタイトルはなんだかすごいですね…せいぜい「歌詞のない歌」くらいの意味だろうと思うのですが。これとよく引き合いに出されるのが、「舞踏への勧誘」ですね(苦笑)。こっちはなんだか保険屋の勧誘電話みたいだ(笑)。
Posted by Curragh at 2009年05月19日 04:12
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