今週の「バロックの森」は「バロック時代末の音楽」。月曜日は歌劇作品でして、ペルゴレージの「奥様になった小間使い」などの喜劇風の作品がもてはやされたことなんかを案内役の先生が話してました。この作品はのちにパリでも上演されて大評判になり、そのことがきっかけとなって、イタリアとフランスの歌劇のどちらが優れているかをめぐる大論争まで起きたと言います。そうそうペルゴレージで思い出したけれども、いつだったかアレッサンドロ・スカルラッティの「サルヴェ・レジナ」(?)だったかな、そんなタイトルの声楽曲がかかったことがあって、聴いてびっくり。ペルゴレージのあの有名な「悲しみの聖母(Stabat Mater)」そっくりじゃないですか!! 二重唱のところなんかとくに。スカルラッティのこの作品、ペルゴレージの「悲しみの聖母」となにか関係がありそうな気がします。またフリードリヒ二世の取り巻き音楽家のひとりだったヤニチュという人の作品ははじめて聴きましたが、「伴奏−旋律線」という構成がはっきり出ていて、いわゆる「通奏低音」ではなかったように思う。このへんからだんだんに通奏低音時代、つまりバロックからロココ、古典派へと移行していくんであろうか。でも同時期の英国、たとえば大バッハの末息子で「ロンドンのバッハ」と称され、少年モーツァルトにも影響をあたえたヨハン・クリスティアン・バッハと組んで演奏会を開いたりしていたアーベルの作品、「ヴァイオリン、チェロと通奏低音のためのソナタ イ長調」では、いまだ通奏低音とヴィオールまで活躍しています(英国人のヴィオール好きは有名)。
ところがこの日、さらに驚くべきことが。おしまいに「自然へ帰れ!」で有名な思想家ジャン-ジャック・ルソー作のオペラ、「村の占い師(Le Devin du village)」というのがかかったのですが、これの第8幕「パントミム」で使われた冒頭旋律が原曲だという!! これはもうほんとにぶっとび! ですよ。聴いてみたら、たしかによく似ているわ(ルソーはラモーの音楽を、「旋律が自然ではない!」と批判していたとかいう話も聞いた)。
調べてみたら、こんなサイトが見つかった。なるほど、すでに20年以上も前にモーツァルト研究の第一人者の海老沢敏先生が『むすんでひらいて考 ルソーの夢』なる本を出していたんですね、知らなかった。で、このサイトの説明によると、単純にルソー原曲とはどうも言えないようです。このルソーの「村の占い師」の旋律、二通りのルートで日本に入ってきたことが考えられるという。ひとつはこのルソーの旋律を使った、ドイツ系イギリス人音楽家ヨハン・バプティスト・クラーマー作曲の「ルソーの夢」という変奏曲経由。もうひとつはルソーのこの旋律を使って英国人作曲家が作った「メリッサ」という作品と、それをさらに英国聖公会系で歌われる讃美歌に改作したものから入ってきたという説。またこの旋律は「軍歌」としてもひろく歌われていたため、讃美歌としては使われなくなった(欧米ではいまも現役の讃美歌)。戦後、作者不詳の「むすんでひらいて」の歌詞がつけられ、日本人ならだれでも知っている歌になったということらしい。…「むすんでひらいて」のあのメロディー、直接的ではないにせよ、遡ると行き着くところはルソー作曲のオペラだったとはねぇ。One is never too old to learn. それになんと! 「むすんでひらいの謎」というCDまであるということを教えてもらいました(Kenさんありがとうございます)。
水曜日はリコーダー、ヴィオラ・ダ・ガンバ、チェンバロといった、この時期に衰退していった楽器の特集。ピアノに取って代わられたチェンバロ(クラヴサン、ハープシコード)は、そのまま音楽演奏の場が貴族の宮廷や教会から富裕市民階級のサロンへと移っていった時期と重なってます。おなじころ急速に求心力を失っていった教会音楽とともに、楽器の王様オルガンも楽器から機械への堕落がはじまる。オルガンの本格的復活は、19世紀ロマン派以降になります。
…とそんな折りも折り、なんと音楽評論家の黒田恭一さんが急逝されてしまった。享年71。まだまだ旅立たれるお歳ではないですね…。昨年(?)だったか、どこか手術されたというお話を聞いたような気がするけれども、「20世紀の名演奏」に復帰されたとき、その声のあまりのやつれぶりに心底驚いた。大丈夫だろうかと、心配になったものだ。ところが先週の放送では、それがウソみたいに元気で、歯切れも良くて、「今日は日曜日です。どうぞお気持ちさわやかにお過ごしください。黒田恭一でした」と昔のように語りかけてくれたものだから、ああ、ずいぶん元気になられてよかったなとほっとしていた、その矢先だったのに…。クラシック音楽の評論というと、いきおい辛口で衒学趣味の評論に走りがちで、自分の主観のみで人の演奏に難癖つけたりするのが多いけれども、黒田さんはそんなことはなくてとてもおおらかで、クラシック音楽とはあんまり縁のない人にもこんなおもしろい世界があるよ、聴いてごらんよとやさしく語りかけるタイプの評論家だった。クラシック音楽愛好家の裾野を広げた黒田さんの功績はひじょうに大きい。夕方のNHKラジオ第一放送でも黒田さんを偲ぶ番組を放送していて、多くのリスナーのお便りが紹介されてました。「あの語りがもう聞けなくなると思うと寂しい」、そんな声がほとんどでした。
クラシック音楽の裾野を広げる、ということでは、たとえば「音楽の絵本」というすばらしい団体がいます。チケット屋からもらうDMにもこの「着ぐるみオケ」のチラシがときおり入っていたりするけれども、こういう活動こそ大事だと黒田さんもきっとおっしゃるように思う(「ロバの音楽座」もそうですね)。まだ自分もちょっと呆然としているけれども、とにかくいまはただ黒田さんの冥福を心より祈るほかない。合掌。
2009年06月05日
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黒田さんのご逝去は、さびしいかぎりです。
本記事中の「むすんでひらいて」書籍関連では、CDが出ていますよ。
音と併せてお読みになったら、楽しさ倍増かも!
『むすんでひらいての謎』KING3077
です!
こちらこそご無沙汰しておりました。新年の挨拶もしませんで、その節はたいへん失礼しました。m(_ _)m それはそうと、黒田さんの訃報にはほんとうに驚きました。残念です。
「むすんでひらいての謎」なるCD、いまはじめてAmazonにて確認しました! …むむむこれはすごいですね(汗)、トラックリストを見るだけで、ルソーの「元祖旋律」からこんなにも多くのスピンオフが生み出されていったとは、『聖ブレンダンの航海』も顔負けですね。このCDもぜひ入手したいと思います。情報ありがとうございます。このリンクも拙記事に追記したいと思います。
ところで…以前Kenさんの記事にあった、クライヴ・ブラウンの労作もすごいですね! Amazonサイトにてすこしだけ「立ち読み」してみましたが…音楽演奏においてもっとも基本的なアクセント(指示)にかんする理論と実践の変遷を検証しているようなのですが…素人にはむつかしいです(苦笑)。フーゴー・リーマンとかも出てきますね。たしかに作曲家が自作スコアにこまかな演奏指示を書きこむようになったのは、18世紀後半以降のことだろうと思います。自我意識の拡大とも連動していると思いますが、この時代になると、もはやすべてを「演奏家まかせ」にはできなくて、「わたしはここをこう弾いてほしいんだ!」という意思表示をはっきりさせるために演奏指示を書きこむようになったというのは、同感です。おなじアクセント記号でも、シューマンとシューベルトとではまるで使い方がちがうでしょうし、時代によっても国によってもその意味するところが変わったりします…。こまごまとした演奏指示については、演奏家と作曲家の分離がはじまったあたりから顕著になってきたような気もします。もっともこれは音楽そのものの受容史というのも考慮に入れないといけないので一概には言えませんが、アクセント指示もふくめたこまかな演奏指示というのは、「演奏者と共有していた認識」から、「作曲家の個としての主張をしかるべく解釈した演奏」を求めるスタイルへの変化が、もっとも端的に現れている部分なのかもしれません。
今後もこの本にかんするKenさんの記事を期待しています!