2009年06月14日

「阿修羅展」というより…

 先週末、「国宝 阿修羅展」を見に行ってきました。いちおう、「日本美術関連展示としては過去最高の動員数」ということを知っていたので、あるていど腹を括って(?)、開館時間に間に合うように朝早く出かけました。…上野公園に着いたらあいにくの小雨模様でしたが、国立博物館前にはすでにいるわいるわ、当日券売り場前にも割引券入場者もすでに行列をなしていました。この時点で、すでに西洋美術館の「ルーヴル展」を大きく引き離している(苦笑、「ルーヴル」のほうにも行列はあったにはあったけれども、比じゃない)。当日券売り場受付30分前に来て当日券を求めたあと、割引券をもってる人と合流して並ぶことさらに40分くらい。あまりの盛況ぶりなのか、開館時間が繰り上げ(!)になったほど。おかげでなんとか入館することができました。

 阿修羅立像(りゅうぞう)については、自分みたいに天平時代の仏教美術にまるで疎い者でも知っているひじょうに有名な像で、自分も子どものころ『美術の図鑑』でその写真を見て、もっぱらルネッサンスとか西洋絵画かぶれだったのにこれだけは鮮烈な印象を受けた。三面六臂という異様な姿も印象的ではあるけれど、その顔立ちのなんとも言えない美しさに引きこまれた。…いまこうして本物が見られる、というのはなんともかたじけなくて、これもprovidentiaなんかなあ、と思う。

 阿修羅さんは興福寺の「八部衆立像」のうちの一体で、ほかの「八部衆」さんたちも展示されてまして、こっちももちろんはじめて目にするものだから興味津々。ほかの「八部衆」さんたちは釈迦の「十大弟子」の立像とともに「平成館」二階の第一展示室にありましたが、こちらもガラスケースなし、後ろ側からも見られたので、けっこうな人だかりではありましたが、じっくり鑑賞することができました(→関連記事)。真ん中の通路をはさんで向き合うように展示されていた両者を見て思ったんですが…「十大弟子」のほうはみんな年寄りにこさえてあって、もともと異教の神々でのちに釈迦の守護神として仲間入りした「八部衆」のほうは、鶏の顔をもつ一体はべつとして、なぜみんな「子ども」ないしは「少年・青年」の顔立ちなんだろうか…とくに「沙羯羅(さから)像」なんか、一目見ただけでかわいらしい「幼児顔」だとわかるし…帽子をかぶって、てっぺんにはシンボルの蛇なんかのっけて、取り合わせの妙と言うか、おもしろいと感じました。残念ながら上半身しか現存していないけれど、「五部浄(ごぶじょう)像」の顔立ちはどことなく「阿修羅」にも似ている。解説板によると、作られた当時は鮮やかなブルーの顔だったという。またこれらの立像は、どれも「脱活乾漆造(だっかつかんしつづくり)」と呼ばれ、骨組みに巻いた麻布の上に漆を何層にも塗り固めて作られている。だから軽いのが特徴で、戦災や火災のときは坊さんたちがこれらの立像を担ぎ出して難を逃れたという。そういえばNHK総合でも阿修羅さんの番組をやってまして、その中でもこの「脱活乾漆造」を再現するようすを放映してました。とにかくすごい、の一言に尽きます。きわめて高度な技術です(英語の解説板にはたしか'hollow dry-lacquer technique'だったかな、そんなふうに書いてあった)。

 ひととおり見て、暗い通路を抜けると、いよいよお待ちかねの「阿修羅」さんですが…「受胎告知」のときと同様、部屋に入ると一段高くなっていて、そこからスポットライトで煌々と照らされて、全体的に金色に輝く「阿修羅立像」のお姿が目に飛びこんできて、その美しさにしばらく文字どおり釘付けになりました…ほかの「八部衆」さんたちと大きく異なっているのは、阿修羅さんだけ上半身がほとんど裸で、薄着なこと。ほかのお仲間はみんなごてごてと着こんで、武装しておりました。だからよけいに身体的プロポーションの美しさが際立っているのかもしれない。立像はぐるりと見られるようにはなっているけれども、なんたってものすごい混雑、人いきれ。しばらく「高みの見物」をしたあと、自分もその人だかりの中に入ってみた。本来、時計回りに一巡して見るものらしいが、押すな押すなのものすごい混雑で、とてもじゃないが自由に動けない。おまけに係員は必死の形相で「危ないですから押さないでください!」なんてがなりたてているし…立像じたいはまったくの「静謐」そのものだったが、その数メートル先ではたいへんな騒動。係員の方はある意味気の毒だったかもしれないが、こっちだって持っていたカバンはつぶされてぺっちゃんこ、足は踏まれるわ、この人だかりから脱出しようにも身動きは取れないわ、痛いわ、「受胎告知」のときも人出はすごかったが美術展でこんなに酷い思いをしたのはのははじめてだ。…ようやっとほうほうの体で脱出したけれど、「阿修羅展」というより、さながらデパートの「バーゲンセール会場」ですわ。なにしろ驚いた、というよりあきれたのが、「『阿修羅像』に向かって走り出さないでください!」なんて放送まで聞こえてきたこと。美術展なんだから、順路どうりに静かに鑑賞してくれと言いたい。アイドルのコンサート会場じゃないんだぞ。

 ひととおり見た感想としては、日本人仏師・立像職人の芸の細かさ。『芸術新潮』で阿修羅さんの特集記事を見たとき、モデルになったと言われる朝鮮半島の「阿修羅像」の写真も掲載されてましたが、あのそれぞれの顔の表情の微妙なちがいとか、髪の毛がひとつにまとまっていく造形の細かさには及ばないな、と思った。日本人って、渡来してきた舶来の技術を継承・発展させるのが昔から得意なんですね。

 第二展示室では、もっか復元工事中の興福寺中金堂(ちゅうこんどう)関連の仏像さんたちがいろいろ並んでました。こちらもケースなしの展示。かなり大きな仏像もあって、こちらは迫力満点。運慶作だということが判明した「釈迦如来像頭部」は、頭部のあの「ぶつぶつ」があちこち欠けていて、なんだかおかしかった(失礼)。でもCGで見た中金堂ってすごいな。阿修羅さんが作られたのが734年ごろだから、『リンディスファーン福音書』が作られ、「ウィットビー教会会議」で復活祭日付けの計算方式としてローマ方式が採用されたとか、そのへんかな…アイルランドでは「ケーリ・デ」と呼ばれる霊性刷新運動が盛んになりはじめたころ。欧州大陸ではたとえば聖ボニファティウス(祝日6月5日)なんかが異教徒あいてに宣教している最中で、大聖堂を中心とした都市がまだ出現する前。こういう時期に、日本にはすでにこれだけ壮大な木造建築があったわけで、やっぱりすごいと思う。主役の阿修羅さんについては、これはもう日本が世界に誇る宝ですね。そして日本人って、みんなこの「阿修羅像」が好きなんですね。そのこともよくわかりました。

 帰りは池袋のHMVに立ち寄って、例のごとくCDを漁る(笑)。シュヴァイツァー博士の2枚組CDを買いました。シュヴァイツァー博士のアルバムはLPで一枚だけ持っているけれども、それは戦前の録音。今回、たまたま見つけたのは戦後の1950年代の録音で、こちらのほうはいまだ聴いたことがなかったから、まさにこれは「掘り出し物」でした(追記。阿修羅さんの両脇から細長く突き出していて掌を上に差し出している腕について。あの掌の上には、本来月と太陽を象徴する球が乗っていたらしい)。

posted by Curragh at 19:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 美術・写真関連
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