22日付の記事で配信された、Kodachromeカラーリヴァーサルフィルムの「引退」。自分はもっぱらFujichrome派でたいしてKodachromeは使わなかったとはいえ、今回の報道には一抹の寂しさを感じました(→AFPBBサイト関連記事、USFLサイトの関連記事。国内販売向けコダクロームはすでに2007年に取り扱いが終わっていたことは寡聞にして知らなかった)。
ほかの記事でもそう書いてあったあったけれども、いまコダクロームの現像って米国カンザス州パーソンズにあるDwayne’s Photoのみが唯一、一手に引き受けているらしい。自分が使っていたころはもちろん国内にもコダクローム現像を引き受けるプロラボが「堀内カラー」など、三か所くらいはあったと思う。現像方式が特殊で、発色カプラーがはじめから感光乳剤に含まれているフジクロームなどの「内式」とちがって、現像プロセス中に三色感光乳剤を追加する「外式」。だから現像処理も複雑で熟練が要求され、時間もかかるから当然その分の手間賃も現像代金に上乗せされる。現像が上がってくるまで、すくなくとも一週間以上はかかってました。
Unlike any other color film, Kodachrome, introduced 74 years ago, is purely black and white when exposed. The three primary colors that mix to form the spectrum are added in three development steps rather than built into its layers. Because of the complexity, only Dwayne’s Photo, in Parsons, Kan., still processes Kodachrome film. The lab has agreed to continue through 2010, Kodak said.
↑下線部分はつまり、発色工程が現像してからなので、はじめはただの白黒画像。これにたいしてフジクロームやエクタクロームなどの「内式」は、感光乳剤にはじめから発色カプラーが組みこまれている。
記事にはポール・サイモンの「僕のコダクローム(Kodachrome)」という歌まで出てくるけれども、写真愛好家のみならず、米国人にとってコダクロームフィルムはひじょうに身近な存在だったはず。家族の写真とか旅先で撮った写真。米国ではどちらかと言うと、カラーネガフィルムで撮って同時プリント、という使い方ではなくて、カラーポジフィルムで撮ってスライドとして台紙(!、フジクロームの場合はプラスチックマウント。紙のマウントってフィルム縁部分がケバ立っていて、プロジェクターにかけるとケバ立ちがさらに強調されたりしました[笑])にマウントしてもらい、それをプロジェクターにかけて鑑賞する、という利用法が一般的だったと読んだことがある。日本では一部の愛好家以外はほとんど知られることもないし、「コダクローム? なにそれ?」という向きがほとんどではないかと思う(そのうち「フジクローム? Velvia? なにそれ?」なんてことになっちゃうのかな?)。またコダクロームフィルムには変退色しにくい、経年劣化にひじょうに強いというすばらしい特徴もあります。20年30年経ってもぜんぜんへっちゃらです(もっとも、保管にはカビを生やさないように気をつけないといけないけれども)。
記事に出てくるスティーヴ・マッカリー氏はNational Geographicを読んでいる人なら、だれでも知っている有名なアフガン難民少女(とその後)のポートレイトを撮影した人としてつとに有名ですが、Kodak社からの要請で、手持ちの最後のコダクロームのロールフィルムで撮影したら、作品陽画をすべてイーストマンハウスに寄贈するんだそうです。マッカリー氏の最後のコダクローム作品、いったいなにが捉えられるのか、おおいに興味があります。
ここからは個人的な話。はじめてコダクロームで撮影して、現像があがったフィルムを見たとき、その油絵のごときテクスチュアの細かさに目を見張ったことを覚えています。なにしろはじめて使ったコダクロームというのがKM-25、つまり超低感度にして超極微粒子を誇る「コダクローム25」だったから、よけいに油絵のような質感が感じられたものでした(一般的に風景写真や建物写真では低感度で超極微粒子のフィルムを使う)。たとえばおんなじ風景、黄金崎とか撮っても「内式」のフジクロームとまるで発色傾向がちがってびっくり。KM-25のほうはPKR-64(コダクローム64プロ)より青みがかっていて、個人的にはこの渋さが気に入っていた。PKRのほうはどちらかというと赤みが強く出るフィルムだったので、人物写真のほうが向いているように感じました。海の色も群青色というか、ぐっと深みのある色でしたね。コダクロームフィルムを一言で言えば、とにかく「渋い色のカラーリヴァーサルフィルムだ」ということに尽きるように思う。とくに派手派手のVelviaなんかとくらべると…もっともVelviaで真冬の西伊豆の荒れる海を撮ってもじっさいの風景より発色が鮮やかすぎるくらいなので、なんだかほんわかしていて、「痛いほどの風の冷たさ」とか「海の冷たさ」がいまいち伝わりにくい気はした。コダクロームで撮ったほうがそのへんの情景もうまく表現できたかもしれない(もっとも、作品としての出来不出来はべつにして。参考までにそんなコダクロームで撮った、奥石廊崎海岸沖の時化の海の画像もくっつけておきます↓)。でもコダクロームは独特のクセがあって、自分みたいなアマチュアには撮影がむつかしいように思う。フジクロームのほうが断然、使いやすいですし。そういえば「マディソン郡の橋」という映画で、クリント・イーストウッド扮するロバート・キンケイドなるNational Geographic誌の写真家が、メリル・ストリープのいる農場にやって来て、「フィルムが腐っちまう」とかなんとか言って、人んちの冷蔵庫に箱入りコダクロームをドカドカ突っこんでいた、なんて場面も思い出した(笑)。
Kodakも一私企業だし、なんといってもデジカメの元祖はここで試作されたそうなので、ここまで「デジカメ全盛時代」になってしまうと、コダクロームのようないかにも古臭い、熟練の技が必要で時間もかかる特殊な現像方式を採用するカラーポジフィルムはいずれは生産打ち切りになると思ってました。でもやっぱり寂しいですね。ひとつの時代の終わりを象徴する出来事だと思うし、いよいよ「銀塩写真の終わり」のはじまりなのだろうかと不安も感じる(→Kodak社のコダクローム頌のページ)。
…そんな折りも折り、あの「ポップスの帝王」、マイケル・ジャクソンさんが急逝したというニュースにも驚かされた。黒人初の大統領が登場した、まさにその年に…50歳だったというから、バッハ好きとしてはどうしてもおない歳で急逝したグールド、50代半ばで不帰の人になったカール・リヒターを思い出してしまう。リヒターの場合も心臓発作だったし、ヴァルヒャと組んで共演盤を出した名ヴァイオリニスト、ヘンリク・シェリングもヴァルヒャより若く、70歳でやはり心臓発作で亡くなっている。マイケルさんの死因についてはわからないことが多いけれども、こちらもひとつの時代の終わりを告げたことはまちがいない。ご冥福をお祈りします。
2009年06月28日
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