先日、いつものようにTimesのダイジェストレターを眺めていたら、こんな見出しが目に留まりました。
Issey Miyake: Hiroshima
The clothing designer and Hiroshima survivor on his moral responsibility to speak out against nuclear weapons.
世界的にその名を知られたあの三宅氏がNYTに寄稿している、とあっては読まない手はない。そう思ってコラムを読んで、さらに驚きました。三宅氏も被爆体験をもつひとりだったとは、まったく知らなかったからです(広島生まれということさえ知らなかった。また母親は被爆して3年もたたないうちに原爆の放射線のため亡くなったという)。
寄稿された文章――'This article was translated by members of his staff from the Japanese.'とあるから、たぶん事務所のネイティヴのスタッフか、英語に堪能な日本人スタッフかが英訳したのだろうと察します――を見ますと、「原爆生還者」というレッテルを貼られるのが嫌で、これまで自身の被爆体験を公にすることはなかった。服飾デザイナーの道に進んだのも、被爆体験をなるべく思い出さないようにつとめ、かわりに「創造的で破壊されないもの、美しさと喜びをもたらすもの」を考えていたほうがいい、服飾デザインの世界に引き寄せられていったのも、それがモダンで楽天的な創作形式に思えたからだという。いままではそうやってきたけれども、4月にオバマ大統領がプラハでおこなった「核廃絶」を希求する演説を聞いて、心の奥底深くに沈めていたなにかを呼び起こされた。いまこそ、被爆体験をもつひとりとして、「オバマ大統領の言う『閃光』を生き延びた者として発言する個人的、倫理的な責任があると気がついた」と書き、オバマ大統領に広島原爆忌平和式典への出席を強く求めて締めくくっています(→国内関連記事)。
広島ではオバマ大統領の平和式典出席を求める活動がおこなわれていますが、一読しての感想として、60年以上ものあいだの三宅氏の心の葛藤というか、苦しみというものをひしひしと感じます。押し殺すように吐き出された渾身の叫びだと思う。前にもすこし書いたけれども(後述)、あのチェ・ゲバラが隠密で(!)広島を電撃訪問して、「原爆慰霊碑」にしっかり献花までしてくれていた、という事実を知ったときにはほんとうに感動した。ぜひオバマさんもあとにつづいてもらいたいと切に願います。
それよりも気になるのは、最近の不穏な動きのほうです。やっぱりこれは、「平和ボケ」というやつなんでしょうか…キューバの子どもたちが8月6日と8月9日がなんの日か知っているのに、被爆の当事者であるこの国の若い人のなかにはすでになんの日かわからない人がいるという事実は情けないかぎりだし、また「文民統制」を逸脱した発言を繰り返したあげく更迭された航空自衛隊のトップというのもいましたね。岩石は雨風にさらされて風化し、海蝕崖ならば波蝕を受けてどんどん崩れ、粉々に消えてしまうのは自然の摂理というものですが、64年前の戦争で犠牲になったあまたの魂のためにも、あのような悲惨な戦争は二度と起こしてはならないという思いを日々、あらたにしなければならない。そのためにはどうしても戦争体験を風化させない不断の、普段の努力は怠ってはいけないと思います。しかしながら、沖縄戦や広島・長崎のような「地獄絵」を体験した当事者にとっては、思い出すのもつらくて、ましてやほかの人に話すなんてことはできないと考えている人もまだ多い気がします。それでもやはり、長い沈黙を破って重い、ひじょうに重い口を開いた三宅氏のように、勇気をもって語っていただきたいと思います。そしてそれを聞いたわれわれや、もっと若い世代の人は、こんどは自分たちがそれを語り継がなくてはならない。この努力を怠る、またはこの語りが途絶えてしまったら――そのときこそ岩石の場合と同様、「戦争の記憶」はどんどん風化してしまう。そうなってしまったとき、気がついたら取り返しのつかないところまで来てしまうかもしれないし、そのときこそほんとうに人の世に終わりが来てしまうかもしれない。とにかく「語り」つづけることがなにより重要かと考えます。ことばには力がある。オバマ大統領の発言が、三宅氏の心に届き、長いあいだ抱えこんでいたものを解放して、ようやく重い口を開くことができたのだと思う。これは米国ではしかたないことかもしれないけれども、たとえば「トリニティ」の実験場跡地なんかは観光客でにぎわっている。そんな米国人のなかにも三宅氏のコラムに感銘を受けて、行動を起こす人が出てくるかもしれない。そういえばゲバラがらみの拙記事で、シカゴに住む少年が広島・長崎に落とされた原爆に取材した短編映画を撮ったこととか書きましたが、とにかく彼我を問わず、三宅氏のこの「重い告白と提言」がきっかけとなってよい意味での連鎖反応が、とくに若い人のあいだで起これば確実に世界はよりよい方向へ変わると思う。
2009年07月19日
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