2009年07月25日

なにごともていどの問題かと

 せんだってこんな記事が出てました。日本の「ケータイ」は技術的には世界最先端でも、世界市場には受け入れられていない。なぜか? というもの。

 記者も書いているように、たしかに日本の携帯電話――もはや電話ではないような気もするが――インターネットやメールはもちろん、電子マネーにもカメラにもなり、音楽プレーヤーかと思えば乗車券にも早変わり。TVのワンセグ放送も見られるし、最近ではなんと「鍵」(!)にもなるんだそうな。火付け役となったのは10年前――もうそんなに経つのか――ドコモのi-mode。メールについては、PCでメールというと「私書箱方式」で、メールクライアントソフトを起動して自分からメールサーバーへ取りに行かなければならない。これにたいして携帯電話のメールは、ポケベルの技術を応用してメール受信を直接、受信者の携帯端末にも知らせてくれる、「プッシュ式」というもの…らしい。おかげで(?)日本ではいたるところ、携帯端末でネット閲覧しているような人が巷にあふれるようになる。

Japan has 100 million users of advanced third-generation smartphones, twice the number used in the United States, a much larger market. Many Japanese rely on their phones, not a PC, for Internet access.

 こんなに多機能かつ高性能な「和製」携帯端末がいまだに世界進出できないのは、その進化のスピードが速すぎ(これにはせっかちな国民性もあるかもしれないし、通信会社側にも新機能を追加さえすれば顧客がもっと増えるという思いこみがあるだろう)というのと、i-modeのような「排他的」サービスで顧客を囲い込む商売に走ったというのもあるでしょう。世界では第二世代型携帯が普及さえしていない1990年代に日本ではすでに実用化されているし、第三世代型でも、あのiPhoneでさえ先代でようやく対応した通信技術はとっくに普及していたけれど、皮肉なことに、これが結果的に世界市場から「孤立」していったひとつの原因としている(日本国内の「第三世代型」携帯を使っている人の数は米国の倍だそうだ)。で、そうこうしているうちに、国内市場は飽和状態、新規契約が伸び悩むようになる。数年前からNTTやNECなどが世界市場進出をうかがってはいたけれど、すでに遅かった。いままで急激に伸びる国内市場ばかりに目が行って、世界基準で設計してこなかったツケがまわってきたというわけ。で、いまは欧米でのiPhoneフィーバーを見てもわかるように、世界的に「スマートフォン」が大人気。そういえばオバマ大統領って大のBlackberryファンで、けっきょく側近を説得してホワイトハウス内での携帯使用を認めさせたんだとか。

 ポーグさんの記事なんかもそうだけど、Timesの記事ってどうもiPhone偏向のような気がしないでもない。それでもたとえばUIとか端末のキー配置をとっても、日本の携帯端末はけっして使い勝手がいいとは思えない。何回かあのテンキーみたいなキーボードで入力したことがあるけれど、自分にはとてもむり。よくあれで「ケータイ小説」とか書けるもんだ。たしかに多機能かもしれないが、真に使い勝手をよくしたとか、なにかgroundbreakingなものがない。逆に、「こんな機能、ほんとうに必要なのか?」と疑問に思うことのほうが多い。たとえばカメラ。1メガピクセルの解像度なんてほんとに必要なの? たかが携帯にくっついているレンズに。それだから盗撮魔が増えるんじゃないですか? 秋葉原の事件のときも思ったけれども、携帯カメラって個人的には好きではない。

Then there are the peculiarities of the Japanese market, like the almost universal clamshell design, which is not as popular overseas. Recent hardware innovations, like solar-powered batteries or waterproofing, have been incremental rather than groundbreaking.

 日本のモノづくりって、たとえば昔の「汎用コンピュータ」とかを考えても、ゼロから設計する場合がほとんどで、他社製品との互換性とか、共用できる部分がかぎられているか、まったくない場合がほとんどだったように感じる。これはつまり、開発費用にそのまま上乗せされるわけで、i-mode開発者としても知られる慶応大の先生によると、日本国内での携帯端末開発費用はざっと100億円(!)もかかるそうです。記事に出てくるソフトバンクモバイルの上級副社長さんによりますと、「こうした取り組みは限界に近づいている」。ようするにカネがかかりすぎるのです。

 最近流行りの「ネットブック」。ブームの火付け役は台湾のOEM下請け生産していたAsusとかAcerで、彼らのアプローチの仕方は日本メーカーとはちがっていて、当初から発展途上国も含めた世界市場を視野に入れていた。PC販売最大手のHPとかDellとかは、そんな彼らの安価でWeb閲覧に特化したようなちっちゃい「ネットブック」を冷笑していたけれども、結果的には台湾メーカー側の読みが当たって、いまやPC売り上げではAcerがDellを抜いて世界第二位。縦割りで硬直化した日本のモノづくりと売り方の発想にも問題ありだと思いますね(→NYT関連記事)。

 とはいえ…米国ではかなーりiPhone中毒な方が多いみたいで…たとえばちょっと古いけれどこの記事に出てくる求職中の45歳の方。自分は'a gadget person'ではないと言いつつも、職探しのために買ったはずのiPhoneにハマって、いまや眠れないときなんかもついついいじってるんだとか。

“Basically, I’m walking around with a minicomputer in my pocket,” he said. “And it’s a part of me now, an appendage.”

 前にもこんなこと書いたけれども、自転車乗りながらケータイいじってる女子高生とかいますね。電車やバスでも、ケータイとにらめっこしている人を見ないときがない。ちいさいお子様連れの母親も、子どもよりケータイのせせこましい画面をにらんでいる時間のほうが長かったりする。さんざん携帯端末を売りさばいておいて、いまごろになってなおざりにしてきた「正しい使い方」を子どもたちに教えはじめる携帯キャリアも出てきたり、「学校裏サイト」とか、思いもしなかった子どもたちの使い方(悪用)に待ったをかける動きが出てきたり、いまだにケータイなるものをもってないおっさんは「なんだろうねぇ」と思うわけです。なにごとも節度というか、ていどを超えたらアカンと思います。現首相の決め台詞じゃないけれど、「道具に使われるようではダメ。道具を使うのはあくまでも人間」。そうそう、この前見た地元紙の読者投稿にもこんなのがありましたよ。静岡市在住の86歳の方からでして、電車内で友達と会話しながら一瞬の休みもなくケータイの操作をしている女子高生についてこう書いてました。「…彼女たちからケータイをとったらおそらくなにも残らないでしょう。ケータイに使われてばかりいないで、時には沈黙、思索の時間も持ってください。余計なことかもしれませんが、ケータイは自分の小遣いから買ったのでしょうか(下線強調は引用者)」。これを読んだとき、ただただ頷くほかありませんでした。携帯端末は、スマートフォンもふくめてある意味ubiquitous computingないしはubiquitous communicationを実現させたかもしれない。でもいまの「携帯事情」を見ていますと、ubiquitousということにどれだけの意味があるのか、と根本的な疑問が湧いてきてしまう。まだインターネットも携帯もなかったころに出たマッキベンの本『情報喪失の時代』で赤裸々に書かれていた、「まがいものの情報化社会」をいまだ超えていないのが現実なんじゃないでしょうか。

posted by Curragh at 23:56| Comment(0) | TrackBack(0) | Articles from NYTimes
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