2009年08月09日

A new hope

 けさの「バロックの森」でかかっていた、名門オックスフォード・ニューカレッジ聖歌隊によるウィリアム・バードの'Ave Verum Corpus'に気がついて目が覚めました。64回目の長崎原爆忌を迎えた朝にふさわしく内省的で、敬虔な音楽でした。

 朝刊をひろげると、新刊本書評欄に目がとまる。『ナガサキ 消えたもう一つの「原爆ドーム」』というタイトルの本が紹介されてました。じつは以前から、なんで被爆した浦上天主堂の廃墟は広島の原爆ドームみたいに残されず、早々に撤去されてしまったのかということを不思議に思っていたからです。

 もっともこのことについてはすでに既刊本もあるかもしれない。書評を読むと、取材に詰めの甘さが見られる点が残念としたうえで、「浦上天主堂廃墟の撤去には米国政府の影が見え隠れする」という著者の主張を紹介している。たしかにありがちな話ではあります。「ローマカトリックの教会堂の真上に原子爆弾が炸裂した」のだから。ときあたかも原水爆禁止運動が世界的に盛り上がっていたころ。それを落としたのも――キリスト教会は宗派がたくさんありすぎてどこの信徒かは知らないが――とにかくおなじ教会の信者であるはずの飛行士たちだったろうし。いま、米国人でどれくらいの人が浦上天主堂の悲劇を知っているのだろうか。

 たいてい、落とした側の言い分は「原爆投下により、戦争終結を早めた、これ以上の犠牲者を出さずにすんだ」で片付けるもの。でも核兵器の持つ文字どおり悪魔的な破壊力をもってしては、勝者なんかいません。いま全世界には2万発(!)以上もの「悪魔的」兵器が存在していると言います。64年が経過し、被爆体験者の方の高齢化が進むいまこそ、唯一の被爆国に住む人は、核兵器廃絶の声をますます強くあげなくてはならない。東西冷戦終結時、これで核戦争の脅威も遠のくかも、と楽観的に構えていた人もいたかもしれないが、それから約20年が経過したいまはとんでもない方向へ向かっています。アタッシェケース型の超小型核兵器を持ち歩くテロリスト、というのもいずれほんとうに出てくるかもしれない、とか。冷戦後の「核拡散」問題はいまや一刻の猶予もならない喫緊の課題です。この問題については、大半の核兵器を保有している米国とロシアに重大な「道義的責任」がある。

 でもオバマ氏が大統領に就任してから、米国側の姿勢はあきらかに変わりつつあります。4月のプラハ演説もそうした姿勢の現われかと思うし、ついきのうも、オバマ大統領が来春までに包括的核実験禁止条約(CTBT)を批准する意向だと伝えられましたし。もっとも野党の共和党が上院で猛烈に反対するとは思うが…ここはひとつがんばってもらうしかない。

 そんな折も折り、NHKはひとり気を吐いて、核廃絶を願う人々を結びつける「メディア(medium=仲立ちするもの)」本来の役割を果たしてくれたと感じた。「ノーモア・ヒバクシャ」という特番がそう。核実験場にされた世界各地の「ヒバクシャ」の声をこれだけ集めて伝えたのははじめてだったんじゃないでしょうか。この番組を見て感じたのは、月並みですがやっぱり「みんなで連帯して声を上げること」の大切さでしょうか。こと先の大戦にかんしては、日本人ならだれだって関係あることですし――だれしも親戚の大叔父さんとか、ひいおじいさんとか、戦争で亡くなった人はいるんじゃないでしょうか。あるいは「銃後の守り」で空襲にあって犠牲になった大叔母さんとかおばあさんとか、かならずだれかいるはずです。でも、戦争体験者の話を聞けるのは自分たちの世代で最後になると、いま多くの若い人たちが行動を起こしているのは、まことに心強いかぎり。世界中でこうした行動を起こしている若者がいます。NHKの特番でも、広島で活動している女子高校生とイタリア人の活動家の若者とが広島平和記念公園で初対面したというシーンが流れてました。前にここでも紹介した、米国による原爆投下を取材したシカゴの少年のような例もあったし、願わくばせっかく芽吹いた「あたらしい希望」が大きくふくらみ、世界中を巻きこむ核廃絶運動として各国政府を動かす力になれば、と思う。

 北朝鮮が核実験を強行したとき、一部識者、政治家から「日本も核武装を」という声が上がったときには耳を疑った。なぜ唯一の被爆国としての立場をもっと主張しないのか、と。核兵器をもったところで、なんの得にもなりはしないということを声高に主張すべきだったのに、これはいったいなんということだろう。核兵器のみならず、戦争は絶対悪なのです! 平和憲法じたいが揺らいでいる昨今の不穏な動きはひじょうにこわいものを感じるし、はなはだ遺憾。そんななか、こうした若い人が中心となった活動には心から応援したい。一縷の希望の光かもしれない。

 ファンタジー好きな方は知っているかもしれないけれど、リヨン・スプレイグ・ディ-キャンプ(L.Sprague de Camp)という作家がいました(といっても、自分はこの手のジャンルはたいして読んではいないが)。この人とフレッチャー・プラットが共同で書いた『妖精の王国』という小説に、たしかこんな台詞が出てきます――「ひとりだろうが、百人だろうが、一万人だろうが、殺人は殺人だ」。またこの時期になると、高校時代に副読本で読んだドイツの昔話というのも思い出します――昔、あるところに馬鹿がいた。馬鹿の前を兵隊さんがやってきた。馬鹿は訊いた。「みなさんはどこから来たのですか?」。「平和からだ」。「どこへ行くのですか?」。「戦争へだ」。「なんのために行くのですか?」。「平和を取りもどすためだ」。そこで馬鹿は訊いた。「平和からやってきて、平和を取りもどすために戦争へ行くだなんて、おかしなことを言うものだ。なんで最初の平和に留っていないのだろう?」。そういえばシュヴァイツァー博士はゲーテのこのことばが座右の銘だったらしい。「はじめに行いありき」。たしかにそうですよね。この世界では、doかdo not、行動するかしないかしかない。環境問題などなんでもそうだけれど、まずはできることから行動を起こすことが大切ですね。

posted by Curragh at 11:40| Comment(5) | TrackBack(0) | 日々の雑感など
この記事へのコメント
64回目の長崎原爆忌、Curragh様の素敵なBWV727の演奏で慰められた霊も必ずどこかにいることでしょう。私事にて恐縮ですが、実は今日「心より待ち望んで」いた専門医試験の合格通知が届きました。このような素敵なお祝いを頂いてとても嬉しく思っております。Curragh様にも良きことがたくさん訪れますように。
Posted by cepha at 2009年08月10日 22:40
今日は早朝から地震と大雨のニュース一色ですが、Curragh様はご無事でしょうか。大きな被害の無いことを切に祈ります。
Posted by cepha at 2009年08月11日 08:25
cephaさま

おかげさまでこちらはぶじであります。

…とはいえ台風接近中にこれだけ大きい地震というのは、経験がありません。西伊豆のほうが震度が大きかったので、親戚のほうが気がかりです。とりあえずは大丈夫みたいでしたが。津波も来たようですが、台風の高波に消されているような感じ(?)がします。

ともあれお気遣い、痛み入ります。
m(_ _)m
Posted by Curragh at 2009年08月11日 10:07
テレビニュースの映像を見ますと恐ろしくなりましたが、とにかくご無事でなによりです。当方地震対策は特にしていませんが、家具転倒防止用のつっぱり棒をいくつか用意しています。倒れてきそうな家具は本棚くらいなのでまだ設置していないのですが。。
Posted by cepha at 2009年08月11日 22:05
cephaさま

ありがとうございます。

家具の転倒防止対策…はたしかにしてはいますが、よくよく考えてみたらがらくた(?)のたぐいが多くて、いいかげん不用品はぜんぶ処分してすっきりさせんとあかんなぁ…と反省しております(苦笑)。
Posted by Curragh at 2009年08月12日 00:43
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