2009年08月23日

『アトランティスは沈まなかった』

 以前から目をつけていた本。やっと借りまして、読んでみました(Amazonで探したら、原本はあいにく品切れみたい)。

 著者はスウェーデンきっての気鋭の地理学者・地形学者にして、海底測量のプロでもある(→公式サイト)。なんでもこの先生、1991年にアイスランド南岸沖に浮かぶ比較的あたらしい火山島サートセイ(Surtsey Is.、セヴェリンのThe Brendan Voyageにもこの島の記述が出てくる)にて学術調査をおこなったり、同年にスウェーデンの王立科学協会から「リンネ賞」を授与されたりと、相手にとって不足なし。内容ですが、プラトンの伝える「アトランティス伝説」は、なんとなんとアイルランドがモデルだった?! という衝撃的なもの。…1960年代にサントリーニ(テラ)島の発掘調査をした学者先生の書いた本とかちょこっと読んだ者にすれば、まさにこれは驚きとしか言いようがない。しかも著者は、アイルランド各地に残る「巨石文化遺跡」こそプラトンが描写した「ポセイドンの宮殿」である可能性が高い、なんて言っています――これはほんとうに驚き。たまたま先月、「世界ふしぎ発見!」にてアイルランドにおける巨石文明について見たばかりだったから、いやがうえにも読み手の気分も高揚しようというもの。

 著者はまず専門である地形学的アプローチから、プラトンの記述する「アトランティス」と現在のアイルランドとを比較しています――デジタル地形モデル(DTM)という科学的手法も援用しての検討によると、どちらもきわめてよく似ているという。プラトンの対話篇『クリティアス』によれば、アトランティス島は全体的に海から急角度で高く突き出したような地形だが、町とその周囲は平坦な野で、そのぐるりを丘が囲んでいて、それが傾斜して裾が海に没している…島は細長い形をしていて、中央部で縦の長さ3000スタディオン、幅が2000スタディオンあった、という。「スタディオン」という計測単位を著者はアレグザンダー・トームの提唱する「巨石ヤード」から約166mだと割り出していますが、これを現在のアイルランド島に当てはめると…縦が2932スタディオン、幅2038スタディオンでその差は3%以下!! アイルランドの地勢といえば、真ん中が平野で周囲を丘(山)に囲まれ、それが傾斜して裾が絶壁をなして海に没しているという、ふつうの島とは反対の特徴を持つ。この点もアトランティスの記述とぴたり一致する(ふつうの島は、中央部に山が聳えているもの)! 

 …とまあこんな感じで、自分の立てた「仮説」のまちがいを立証しようとする、科学的に正統な手法にのっとって逐一検証しています。冷静に分析を進める科学者らしい記述はたいへん説得力があり、推論もたいへん刺激的でおもしろい。アトランティスの海没については、紀元前6100年前ごろに発生したとされる「ストレッガ地すべり」による大津波と、その後しばらくして発生した北米大陸における氷河湖の破滅的な決壊と急激な海面上昇(全世界の海面がいっきに30cm上昇したという)、つまりは「津波と洪水」によって、ドッガーバンクにあった浅瀬の島が沈んだという伝説とひとつになったのではないかと書いています。こういうことは古文書ではよくあることで、アイルランド北西部スライゴーにそびえるノックナリという山のてっぺんに鎮座している女王メイヴの石塚とされるものについても、もともと石器時代の遺跡なのに後代の鉄器時代の鉄血女王が埋葬されているというのは奇妙だとして、やはりふたとおりに伝わっていた伝承がごっちゃになった可能性を指摘してもいます(メイヴは、「クーリーの牛捕り」に出てくる伝説的な女王。先月見た番組ではここに「立ったまま」埋葬されているとか言ってましたが、いまだに発掘調査はされたことがないという)。また有名な「ニュー・グレンジ」などの巨石遺跡の集まる「ブルー・ナ・ボイネ」とかの関連については、なるほどと思わせる「仮説」を展開しています。

 ただ…プラトンの著作には謎めいた物質として「オリカルコス(現代ギリシャ語では「真鍮」のことらしい)」なるものが出てきて、これについても詳細に検討していますが、このへんにくるとやや迷走(?)ぎみに。アイルランドはたしかに銅の産地として地中海地方とも交易していたらしいから、なんらかの鉱物を指しているのはまちがいない。ここでは語源的アプローチから検討していますが、アイルランドの古代ラテン語名Hiberniaはアイルランド南部にあった銅鉱山の町ヒベルニスから来ていること、銅の語源はkýpros(英語のcopperもここから)であり、「イベリア」という地名とともにヒベルニアに由来しているのではないか…というのはなんだか強引だなあ(イベリアってたしか川の名前かなんかから由来しているんじゃなかったっけ? ちなみにギリシャ語のÉriuがアイルランドゲール語の国名Éireの語源。Hiberniaは「冬の国」からきているというのが一般的)。最後の二章(「自由な思索は偉大だ」、「神話と科学」)にいたっては、本論からかなりはずれて(?)現代文明批判めいてくるのも気になる。もっとも、mtDNAの解析結果の話はすこぶる刺激的でした…なんとなんと、ヴァイキングよりはるか昔、アイルランドの「船乗り修道士」のはるか以前に、オークニー諸島など北方の島々から人間が北大西洋を(つまり復元船ブレンダン号とほぼおんなじ「飛び石ルート」で)横断して北米大陸へと渡った形跡が見られるという! 解析ではアイルランド本島の人間ではなくて北方の島の人間らしい。『アイルランド来寇の書』に悪者として描かれている巨人のフォモーレ族は、しばらく支配したのち「北の海」へと追放されたという。ドッガーバンクの「沈んだ島」の住人だったのかもしれない。それが津波と大洪水で北大西洋ルートが絶たれ、結果的に「失われた大陸」伝説として残されたのではないか、などなど(蛇足ながら、p.149の「ハプログループXの頻度図」説明文中の「西方諸島」というのはスコットランド西の海に連なるアウター・ヘブリディーズ諸島を指す)。

 破滅的な自然災害が起きれば、当然、それ以前の世代の技術も文化も記憶もすべては途絶え、いったん「無」に帰すものです。この紀元前6100年前に起こった津波と、その後襲った海面上昇(大洪水)によって、「失われたアトランティス」という「物語」が語られはじめたということは、おおいに考えられる話です。『ギルガメシュ叙事詩』とか「ノアの箱舟」というのも、もとをたどれば世界的規模で人類を襲った同一の自然災害の「記憶」にほかならない、と思う。年代的にもほぼ一致すると思うけれど、この点はどうなのかな? 

 また最後のほうで、まがいものの神話(嘘、プロパガンバ)と何千年ものあいだ伝えられてきた「神話」との区別の大切さを問うているくだりはとても共感できる。

「…伝説を理解することは、わざと創られた神話を理解することとは根本的にことなる。なぜなら、話そのものは正確なかたちで保存されてきたとしても、状況のほうが――アトランティスの場合のように地理的状況や、文化的状況等が失われていることも、少なくはないからである。当然のことながら、まず我々が第一に行わなければならないのは、いま自分がどのような種類の神話を扱っているのかということを知ることだ。次に、自分が知らずしらずに持っているかもしれないさまざまな思いこみを意識化し、それを正しく評価しようとつとめなければならないのである(p.185)」。

 読み手にはあくまでも「批判的に」考えることをしきりに強調しているけれども、著者は自分の主張にはかなーり自信があるとみた。あとはほかの分野の専門家が協力して「反証さがし」をすることですね。もしその過程でどうしてもこの野心的なスウェーデン人学者先生の「仮説」がひっくり返せないのなら――そのときはじめてこの大胆な仮説が「定説」となるのかどうか。

 ここでちょっと余談。著者は有名な「タラの丘」の遺構について、「アイルランドの伝説によれば、ここは古代の王たちの宮居だったという(p.104)」と書いているけれども、個人的にはここもやや難ありだと思う。伝統的に「タラ上王(ハイ・キング)」を主張していたのは国土の北半分を支配していたイ・ニール王族のみで、南半分のマンスターの覇権氏族オーガナハト氏族は独自の王権を主張していたようだから、かならずしも「アルスター・コナハト・レンスター・マンスター」と「タラの丘」のあるミーズの五地域に割拠していた王が一堂に会して祭祀をとりおこなったり、だれだれが「上王」だと取り決めたとは思えない。たしかにタラは伝説の民「ダーナ神族」以来、歴代の王の即位の場としても使われてきたらしいけれども、歴史的裏づけに乏しく、その地位についてはやはりイ・ニール側が一方的に主張しているにすぎないように思う。具体的に文書に言及が出てくるのはかなりあとの7世紀ごろ、北イ・ニール族がアルスター・コナハトへと進出して五地域の支配均衡を破ったときからだと思われます。たとえばムルクーはこの急激に伸張してきたイ・ニール王権の中心地だったエヴァン・マッハ、すなわちアーマーにある教会をパトリックが設立したものとして権威づけ、ローマ教会から派遣された正統な使徒パトリックの司教座のあるアーマーを全アイルランド教会に君臨する首位教会として認めるように書いたりしている。ムルクー以外で、「タラの丘」の祭祀の権威性と聖パトリックとを結びつける文書は見つかっていない。またパトリック自身が書いたとされるふたつの文書には、「アーマー」についての言及すら見当たらないから、ムルクーらパトリック伝記作者の言う「アーマー教会の首位権」というのも疑わしい。それと、タラの丘にあったという「運命の石」がスコットランドに移され、最後はイングランドのウェストミンスター・アビイの「戴冠の石」となったという伝説がある(p.114)…なんて珍説、はじめて聞いた(笑)。→A.D.500ごろのアイルランド王権について書かれたサイトを見つけた。ひじょうに参考になりました(追記。ニュー・グレンジ遺跡の入り口前にでんとある渦巻き文様の有名な石。最近、大気汚染? のせいなのか、赤黒く変色してきたという。そういえばTVで見たときも、やや赤っぽく薄汚れていて、こちらのほうも気がかり)。

評価:るんるんるんるんるんるんるんるん

posted by Curragh at 10:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 最近読んだ本
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