土曜の早朝、といってもまだ「丑三つ時」ごろなんですが、例によって「丸太のように」眠りこけつつもときおりNHK-FMの番組でかかっている音楽で目覚めたりということを繰り返していたら、突然、ボーイソプラノが聴こえてきて、ぱっちり目が覚めた(笑)。歌声の主はかつての天才ボーイソプラノ、アレッド・ジョーンズ。歌っているのはヘンデルの「なつかしい木陰」。でもなんか音がちがうぞ。ずいぶんまろやかで、ほんわかしている…包みこまれるみたいな。??? と思って聞き耳を立てていたら、なんとこれいまや超希少品の「真空管アンプ」で再生した音源だという!! 原盤はなんだろ、LP? アレッドが日本デビューした当時(自分もまだ高校生)、Victorによる国内盤はLPとCD、両方で出ていたのかどうか…よくわからないけれども、おんなじ音源でもあきらかに音がちがいます。これが噂に聞いた真空管のすごさなのかと思い知ったしだいです。
このときの「ラジオ深夜便」は仙台からで、音楽ホールをまるまる貸し切って舞台上にデンと真空管アンプや口径20cm以上のこれまた希少な旧チェコスロヴァキアのスピーカー(メーカーはテスラとか言っていた。テスラってたしか軍用真空管のほうが有名だったような気がする)を据えて、そこから醸し出される音楽をじっくり鑑賞しましょう、というなんとも贅沢な内容の放送でした。いやー、もっと早くわかっていれば録音したかったところ(泣)。しゃべっていた人もアレッドのこの音源を「すばらしい。いまどきこういうかたちでの録音ってないですよね(たぶんオルガン伴奏に乗せてボーイソプラノが独唱するというタイプの演奏を指しているんだと思う)」。とか言ってましたが、「これってだいぶ古い録音ですよね…20年前?」ともおっしゃってましたが、たしかあれはアレッドが12歳くらいの録音だから、26年前かな。もうそんなに経つのか…そりゃそうだ、いまは二児の父親ですもの。
なんでも真空管アンプって声楽との相性が抜群らしい。とくに高音域の「ノビ」とか「張り」の再生に絶大な威力を発揮するんだとか。オーディオ関係はからっきし弱いので、このへんなんとも言えないが、FM放送でもたしかにちがいくらいはわかる。デジタルな再生装置だとなんかこうキンキンする高音域も、真空管だととてもやわらかい響きがします…生の人の歌声にもっとも近いブレイバックを聴かせてくれるのが真空管アンプなのかなと感じた。一度でいいから手持ちの音源を真空管アンプで聴いてみたいものだ。高音域のノビがいい、ということは、キンキンしがちなオルガン音楽なんかも相性がいいのかな? オルガンは人間の耳で捉えられる音はぜんぶ出るから、耳の検査にはもってこいですが(16Hz〜2万Hz)、こと真空管アンプのテストとしても使えるかも。反対に、チェンバロやクラヴィコードみたいな繊細な音色の楽器はどうなんだろ、とも思う。今回の放送では声楽中心にかかっていたみたいです。エマ・カークビーの歌うモーツァルトのアリアとか、あと藤田恵美さんという方の音源もかかってました。こちらの歌い手さんは初耳でしたが、なんでもSARS禍さなかの台湾で、「聴くクスリ」としてアルバムが売れに売れた、という「癒し系」の音楽のようで、なるほど真空管アンプで再生されるとたしかにほんわかと心身ともにリフレッシュされますねー。こうしてあたらしいアーティストの名前を覚えられるのもFM放送のいいところ。iTMSが悪い、とは言わないし、あれはあれでおもしろいとは思うが、音楽の世界がどうしても狭くなるように思う。Last FMというサイトも興味あるけれど、そんなに変わりないかもしれない(それと真空管アンプというのは、光るらしい。音楽にあわせて光るなんて聴いているほうの気分も盛り上がりますな)。
…そんな折りも折り、日本を代表するチェンバロ/クラヴィコード演奏家の渡辺順生氏の『チェンバロ・フォルテピアノ』なる大著をとなり町の図書館にてちょこっと読んでみたら、思いがけずこんな記述が出てきました。
「…また、音楽は、本来、演奏の現場において生成しその終了と共に一回限りの生命を終えるものであり、CDなどの録音物は本質的には生演奏を缶詰にしたものであるか、あるいはその記憶のよすがに過ぎない。しかし、これだけCDが世の中に溢れかえると、人々はその利便性に目を奪われて、ライヴの現場に足を運ぼうという意欲を減退させる。こうして、家庭では、本来、音楽家にとっては魂の表現であるはずの演奏が、主婦の台所仕事のBGMとして聴かれ、一流アーティストの演奏会に足を運ぶ人々は、そこにCDと寸分違わぬ演奏を期待する。このように本末転倒した情況を誰も不思議と思わず、いまや、自由な即興性に溢れた創造的精神など、刺身のつまほどにも求められない(p.762、下線強調は引用者)」
…ええっと、自分にかぎって言えば、生演奏にたいして「CDと寸分違わぬ」演奏を期待して聴きに行くことなんてありえません! それだったらわざわざ交通費やらなにやらはたいてまで、実演聴きに行くことなんかないですよ(どんなに安く抑えても行って帰って万札が飛ぶ)。CDとかが溢れかえっているから音楽本来の聴き方、つまり生演奏を聴きに行かなくなる…という理屈もおかしい。「家庭の主婦の台所仕事のBGM」なんて、むしろ最高じゃないですか。演奏家としては逆に喜ぶべきなんじゃないでしょうか? グールドが聞いたらニンマリすると思うけど。ビル・マッキベンの本(Deep Economy)では、いまCDの売り上げがきょくたんに落ちこんでいる米国では、昔みたいに人々が繰り出してはライヴに積極的に足を運ぶようになってきているそうですよ。CDより、悪質な違法ダウンロードとかのほうが音楽家にとってはもっとまずいことだと思いますけれども。なにしろ音楽CDはお金出して買うものだし、それはないでしょ、って思う。ほんとうに気に入った演奏家の演奏だったら、「生」を聴きたくなるもの(すくなくとも自分はそう)。逆にCDがきっかけでコンサートが実現したという例もいくらでもありますし。いまほど演奏家に「自由な即興性に溢れた創造的精神」が求められている時代はないとも思いますがどんなもんでしょうか。そういうことばっかり言っているから、いつまでたってもこの国にはこの手の音楽が根付かないんじゃないですか? 聴き手が演奏会場に行きたくなる気分になる、そういうふうに仕向けるというのもいまや演奏家にとっては喫緊の課題だと思うぞ(ただでさえ財布の紐は固くなってるし。それと苦言をもうひとつ言わせてもらえば日本での公演は総じて高い。もうすこしなんとかならないか)。というかこの本はチェンバロとフォルテピアノを中心に、歴史資料を縦横に駆使して書かれた本なので、この最終章のここの記述が「浮いて」見えたのも事実。「新即物主義」という落とし穴にはまったかつての演奏習慣はバッハや古典派時代の「即興精神」にそぐわない、という文脈的にはわからないでもないけれども、いささか恣意的かつ独善的書き方の感ありでした。
…CDついでに先日、書店にて立ち読みした『レコ芸』。鍵盤楽器のページを繰ったら、武久源造さんの新譜、「バッハ meets ジルバーマン・ピアノ」が特選盤に!! 評も読んでみましたが、これはmust buyだと直感。↑であげた本によると、バッハはフォルテピアノよりもクラヴィコードとチェンバロのほうを好んだという見解でしたが、ライプツィッヒ時代のバッハはすでにジルバーマンのピアノを何台か弾いているし、「あたらしい楽器の可能性にたいする興味」がまるでなかった、とも言えないように思う。AOI芸術監督の野平一郎氏による「平均律」録音は曲想にあわせてオルガンだったりチェンバロだったりピアノだったりと柔軟に切り替えて収録したおもしろいディスクですが、おなじことは最晩年の作品「フーガの技法」でも言えるように思う。たしかに語法的にはチェンバロもしくはクラヴィコードですが、全曲、その楽器で演奏しなければならないということはないと思う。オルガンやピアノのほうがよかったりする場合もある。武久さんのアルバムにもどると、有名な「シャコンヌ」もオリジナル編曲で弾いているらしいし、なんと言ってもバッハも弾いたジルバーマンピアノの忠実なレプリカで演奏しているという点だけでも聴いてみたくなりますね。
2009年08月30日
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真空管アンプの音、はじめてきかれたのですか。LPからでも、CDからでも、玉(真空管)の音は石(トランジスタ)の音と空気感がまったくちがいます。ただし、システムをうまく組み、メンテナンスをきちんとすれば、というのが条件ですが。条件が整えば、あんな玉から、驚くべきニュアンスがたちあがります。生演ともちがう響きで、とても酔わされますよ。
そうなんです、いわば「真空管デビュー」ですね。FM放送とはいえ、あの特有な響きにはすっかりしてやられました。ぜひとも本物の真空管アンプで再生した響きを聴いてみたいです。aeternitasさんは、真空管アンプシステムをおもちなんでしょうか? 以前地元紙記事で、愛好家の方たちご自慢の真空管アンプシステムをカラー写真つきで見たことがあるのですが、やはり部品の確保とか、メンテナンスがたいへんみたいですね。でも手のかかる子ほど…というやつでしょうか、愛好家の方がじつに生き生きしていたのも印象に残っています。とにかく自分にとっては、これはちょっとしたカルチャー・ショックでした(記事本文中、「フォルテピアノ」と表記すべきところを反対に表記していたので、訂正しました)。
それはそうと、aeternitasさんの記事が楽しみです。なんといってもヴァルヒャの全集をレギュラーに加えられたのですから。聴かれているのは二度目のステレオの音源ですね。6つの「トリオソナタ」ですが、ポリドールから出ていた国内盤でも1,6,2-5の順番になっています。録音順? とも思いましたが、収録時間にあわせた…というのも考えられますね。オリジナルのLP盤ではどうなってんだろう…ちなみに紙ジャケ超廉価盤で出ているモノラル録音での最初の「全集」は、基本的にはBWVの番号順に収録されています(トッカータ5曲とパッサカリア BWV.582は同一ディスクにまとめられています)。
玉のシステムもありますが、いま日常的にきいているのは石のものです。玉できくのは、17世紀前半までの声楽作品が中心ですね。
プレーヤーは、いまはもうアナログではありません。アナログは、カートリッジやアームやら、そのうえレコードの管理もたいへんでした。
それから、ヴァルヒャの情報ありがとうございます。ヴァルヒャの演奏、ほとんどきかなくなっていたので、こつこつとききなおしているところです。
やはり真空管は声楽との相性がよさそうですね。17世紀前半、ということは、たとえばダウランドの「あふれよ、わが涙」とか、リュート伴奏に乗って歌われる歌曲ともばっちり、という感じなのでしょうか。
ところで旧東独制作の「大バッハの生涯」なる伝記映画があったとは寡聞にして知りませんでした。m(_ _)m DVD化されているといいですけれども…。
「大バッハの生涯」ですが、たぶんDVDは(ビデオも)発売されてないと思います。BSで放送された以外は、CSでやっていたかもしれませんが……。NHKアーカイブスでも、残念ながら公開予定はないようです。わたしが見ているのは、BSを録画したビデオ(3倍モードなので低画質)です。