2009年10月04日

けっきょくは愛情の深さ

 以前、ちょこっと書いたことのある、浜松アクトシティ中ホールのオルガン「被水」事件。もうあれからかれこれ10年以上は経過しているけれども、オルガン好きにとってあの悲惨な事件はついきのうのことのように憶えている。もちろん、故意にやらかしたわけではないから、人間だれしもまちがいは犯すものですし、いまさらなんでスプリンクラーを誤作動させたのかとかは問いません。ただ、あの直後、フランスから飛んできた製造元のコアラン社長がひと言、地元紙記者に向かってじつに悲しげに言ったことばがひじょうに印象に残っています――「もっと楽器に愛情を注いでほしい」。しばらくして朝刊コラム欄にて、日本人はすぐ「被害額はいくらだ」とか、すぐ「お金の話」になってしまう、そのへんの意識を変えなくてはならないという趣旨のことが書かれていた。

 先日、図書館に自然もののDVDビデオを返しに行ったとき(ようやく「地デジ」対応TV受像機を導入したので、自分の撮ったデジカメ画像を昔の「スライド投影機」よろしく見たり、美しい自然風景のDVDを見ることが多くなった)、音楽のコーナーをぼんやり眺めていたら、なんと! 以前Kenさんがレヴューしていた「パイプオルガン誕生」というDVD作品が目の前にあるじゃない! これだいぶ前に、NHKがデジタルハイヴィジョン番組として放映していたもので、うちはそっちの契約はしてないから、いつか深夜帯に再放送するんじゃないかしら、と気長に待ちつづけて待ちくたびれていたものでした。もちろん迷わず借りました(笑)。西伊豆へ墓参りに行ったあとで、さっそく見てみました――オルガンという楽器は設置される空間にあわせて一台一台、手作りで文字どおりなにもないところから図面を引いて設計・建造される。今回、東京カテドラル新オルガン建造に白羽の矢が立ったのは、イタリア北部の美しい山里に工房を構えるマショーニ社。典型的な同族経営・家内工業的なマショーニ社は、欧州のオルガンビルダーのなかでもきわめて伝統を重んじる会社で、金属管(鈴と鉛の合金)もすべて自前で作る。DVDを眺めているうち、上記のコワラン社の社長さんの嘆きを不意に思い出してしまった。オルガンという楽器がいかにとほうもない時間と手間をかけて建造されてゆくものなのか、このDVD作品を見てはじめて理解できたような気がする。なにしろオルガンケースを設計し、3122本もあるパイプ一本一本を職人たちが手作りし、また人間で言えば「肺」にあたる「風箱(スライダーチェスト)」を組み立て、コンソール(演奏台)を作り…そうして精魂こめて完成させた部材を日本へ送り出し、こんどは現場で複雑なジグソーパズルよろしく組みあげる。組み立てが完了すればはいお疲れさん、とはいかなくて、ここから先はまたしても骨の折れる「調律」と「整音」作業が待っている。水銀灯の発する雑音も邪魔になるから、夜通し作業するときは真っ暗闇の中。木管・金属管一本一本について、納得いくまでひたすらミリ単位の微調整を繰り返す。この会社の場合は経営者マショーニ三兄弟のひとりが担当していました。

 このビデオを見て、なるほど! と思ったのがイタリアの有名な古オルガンが映ったときでした――あのボローニャの楽器! 以前図書館で借りたパレストリーナとかデ・マックとかのオルガン作品を弾いたタミンハのCDで使われていたオルガン好きにはわりと知られた1470年代に建造された古楽器でした(ダ・ヴィンチが生きていた時代の楽器ですよ)…東京カテドラルの楽器はミラノの古楽器の響きをモデルにしているそうですが、どうりでどっかで聴いたことあるような、たいへんやわらかくて暖か味のある音色だったんですね(あそこのオルガンについては「アーレントオルガン」ものを出しているギエルミさんが監修していたのですね。ギエルミさんが地元教会の楽器のストップを引き出してはこれはこんな音がします、とか言ってデモ演奏をしてくれたシーンはたいへんおもしろかった)。

 ふだんはお目にかかることさえない、オルガンの内部とか、トラッカーアクションにローラーボードといった昔の職人の創意工夫の成果もぞんぶんに紹介されてまして、とにかく感動しました。もっとも印象的だったのは、組み立て完了後、職人のひとりがはじめて自分たちの組み立てた楽器の「音出し」をする場面。はじめやや緊張気味にバッハの「トッカータ(、アダージョとフーガ ハ長調) BWV.564」冒頭部を弾きはじめたのですが、分厚い和音をフルストップで鳴らしたり、ヴィドールの「トッカータ(「オルガン交響曲 第5番」から)」を試奏するあたりになると、満面の笑顔。楽器の響きぐあいが自分たちの思い描いていたとおりだったのでしょう、職人たちの顔は子どもみたいに輝いていました。またオルガンの「肺」がふくらんだり縮んだり、生きた人間の呼吸そっくりな動きをするのもはじめて見た(風圧調整器の部分だと思う。「重し」が乗っていたから)。なるほど、だからバッハ先生は新造オルガン検査のとき、「この楽器がいい肺を持っているかどうか見ないとね」と言ってフルストップでばりばり弾いたんだな。

 とにかくこんなおもしろい音楽ものビデオ作品ははじめて見た。オルガンという楽器をよく知らない人にもこれはおすすめです。かくいう自分も「ブルドン Bourdon(木管)」とか「ヴォーチェ・ウマーナ(Voce Umana[伊]、「人間の声」の意。豆腐屋のラッパみたいな音を出すリード金属管)」というストップのパイプが、じっさいにはどんな響きなのか、またオルガンでもっとも重要な「プリンシパル principal(e)」列はどんな音色なのか、それぞれ単独で聴くことなどほとんどないから、これはひじょうに勉強になりました(→東京カテドラル公式サイト内のマショーニオルガンのページ。なお、こちらの画像のいちばん下に写っているストップが、「水笛」のストップ)。

 オルガンはたしかに「高い」買い物かもしれないけれども、職人たちが狭いオルガンケースの中で頭をぶつけながら一所懸命に組み立てているということを知れば、一見、とっつき悪そうな巨大な楽器もきわめて人間臭く見えてくるだろうし、楽器に注ぐ愛情も強く、深くなってくるように思われます(それにしてもあのトラッカーアクションってすごい仕掛けだ。素麺みたいなぺらぺらの細長い棒状の板がそれぞれの音鍵に連結されているのだから! そして、オルガニストの指の動きに瞬時に反応するさまも目の当たりにした。どうりで古い時代のイタリアのオルガン教本かなにかに、「トラッカーアクションはオルガニストの指をつくる」とか書いてあったわけだ)。

 「愛情」ということでは、先だって英国から届いた封書。中身はここの教会の修復されたオルガンのこけら落とし演奏会のリーフレット。ここのオルガンもまた、地元教区民の並々ならぬ愛情と思いがこめられていることを知って、ひとりで感動していた。ここにかいつまんで書きますと――『地殻の物理学』なる本まで書くような地理学者でもあったここの教区教会主任司祭が以前勤めていた教会に建造させたオルガンがなんらかの事情で使われなくなり、そのケースを譲ってもらったのが1865年のこと。その2年後、こんどは最愛の妻を若くして亡くしてしまい、1869年、亡き妻にささげるためにそれまでオルガンさえなかったこの教区教会に譲り受けたケースを使って4ストップのささやかなオルガンを設置させた、という(この人は96歳まで長生きした)。その後、ちょうど40年前に手動の「ふいご」から電動式送風機に切り替えられたりしたものの、長年の湿気にさらされつづけたためと寄る年波には勝てず、ついにこの19世紀の楽器は2004年に取り払われた。そのとき教区教会の音楽面を熱心に支えていた教区委員のひとりマンフレッド・ヘッブルスウェイトという方が亡くなり、故ヘッブルスウェイト氏の夫人が多額の寄付を申し出た。この寄付を元手にして、教会とつながりのあるケンブリッジ・ジーザスカレッジの当時の音楽監督やオルガンビルダーたちと教会側が協議して、あらたに修復されるオルガンを設置することに決まった。規模も拡張され、3つの手鍵盤と足鍵盤をもつ21ストップの堂々とした楽器へと「変身」。建造当時の音色を守るためにパイプはほとんどが旧楽器と近隣教会から譲渡された19世紀末に製作されたものを使用、ケースのプロスペクトも以前の楽器のものを修復した上でそのまま流用。音響面と設置上の考慮からいままで設置されていた北側入り口ではなく、西口にオルガンのためのバルコニー(オルガンロフト)をあらたに作り、そこへ修復した楽器を設置することに決まり、ついに今年6月、修復された新オルガンは完成した…。

 このような地方のちっぽけな教区教会の、これまた小型のオルガンではありますが、その背後にはこのようにじつに多くの人の「熱い思い」がこめられているのです。いまのご時世、あまりにも多くの場面ですぐ「カネ」のことが話題にのぼるのを見聞きしますが、そういう呪縛から逃れられるようになるのはいったいいつになることやら。

posted by Curragh at 21:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽関連
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