いまはたぶん絶版ではないかと思うけれども、漫画家の砂川しげひささんの『のぼりつめたら大バッハ』という大笑いすることうけあいの(?)「バッハ入門本」が手許にあります(個人的にたいへんウケたのは「御前試合Part2 バッハ vs. グールド」)。で、この中に「フーガの技法を聴く技法」なる項(pp.103-6)がありまして、砂川さんの友人の版元編集者は「フーガの技法」オタクだという。彼いわく、「未完で終わっているところが、じつに技法的である」。さらにつづけて言うには「したがってバッハはフーガの技法である。と同時にフーガは未完の技法でもある」と言ったとか(笑)。
つい最近、武蔵野市民文化会館小ホールにて、この「フーガの技法」全曲をオルガンで弾くというリサイタルがある、という情報をつかみまして、さっそくホールのサイトに行ってみたらなんと完売御礼(最新ページにはもうリンクさえなし)!!! …新型インフルエンザを警戒しつつもこれだけはぜひ聴きたかったなぁ、と口惜しさをにじませつつ、門外漢の下手の横好きを承知の上で、ガス抜きしたいと思いました(苦笑)。もしこの演奏会に行かれる方が「予習をしておこう」とググったりして万が一、この記事がひっかかっても当方は一切の責を負いません(笑)。それはそうと、行かれた方の感想とかはぜひぜひ読んでみたいものです。
バッハは晩年、器楽でも声楽でも大作・傑作と呼ぶにふさわしい作品をつぎつぎと作曲していきましたが、ことに器楽作品では「音楽の捧げもの BWV.1079」とか「『高き御空よりわれは来たれり』によるカノン風変奏曲 BWV.769」とか、たんに「聴くための音楽」というより音による幾何学と言ってもいいくらいの数学的構築性が前面に押し出された作品も目立つようになります。もっともバッハの音楽って、わりと親しみやすい「ゴルトベルク」だって厳格な構造のカノンがいくつも含まれているし、このような「数学的」な音楽は「平均律」にも「インヴェンションとシンフォニア」にも認められること。そんなバッハなので、最晩年になっていよいよ対位法という作曲技法の「奥義」をきわめようと思い立ったのも、むりからぬ話ではあります。
しかしながら…「フーガの技法」ほど、謎だらけの作品もほかにないと思う。解決済みの問題(どんな楽器で弾くか、とか)もあるけれども、たとえば「未完フーガ」はこの曲集に含まれるものなのかどうか、「2台のクラヴィーア用」に編曲された「鏡像フーガ(13番a/b)」は本来この曲集に入るべき作品なのか、初版楽譜と自筆譜にしたって食いちがいが多くて、どこまでがバッハ自身の息のかかった彫版なのか、などまだまだ多くの謎が残されてもいます。
ひさしぶりに、手許にある「フーガの技法」のCDをぜんぶ引っ張り出してみた(手許に11枚、あと図書館から借りて聴いたディスクとかもあります)。ディスクのなかには演奏者自身が解説を書いているものも多くて、それぞれになるほどと思わせるところもあるし、そんなわけなかろう、みたいな箇所もあったり(たとえば「4つのカノン」にそれぞれ水・空気・火・地をあてはめた仏人オルガニストとか。これはたぶんシュテークリヒの仮説をそのまま流用したんだと思う)。またつい最近、Naxosのライブラリー試聴のときに知って、ほしいと思っていたリチャード・トレーガーのクラヴィコードによる演奏盤も手に入れたので、エマール盤やタヘツィ盤など、あらためて聴きくらべてみました(あとできればヨハネス・エルンスト-ケーラーによるオルガン演奏盤もほしいところ)。
エマールの演奏と「フーガの技法」については過去記事にてかんたんに書いているので、ここでは重複しないていどにもう一度おさらいしておきます。
1. 作曲年代 最新の筆跡・透かし模様研究によれば、「平均律」および「ゴルトベルク」完成直後の1742年ごろから着手したのではないかという。…つまり以前よく言われていた、「音楽の捧げもの」の「王の主題」から着想を得て「フーガの技法」全曲を貫く「基本主題」をこさえた…というのはまちがい、ということになる(とはいえ両者はよく似ている。とくに「転回形」主題と「王の主題」の類似性は無視できない[マルセル・ビッチ著『フーガ』文庫クセジュ、白水社、pp.62-3])。
2. 楽曲配列について ここで問題にする「配列」とはじっさいの演奏会用ではなくて、あくまで作曲者が意図した「出版用の」配列。当時の慣習からして「全曲演奏」というのはおそらく想定していないと思う(「連作」をすべて演奏する、というのは19世紀以降の発想)。とにかくバッハはContrapuncs 11までは確実に彫版を監督していたらしいから、Contrapunctus 1-11までは「初版楽譜」どおり。その後は「初版」では混乱していて、あてにならない。また「4つのカノン」は本来どこに配置される予定だったのか」についても「全曲の掉尾」という意見(バトラーなど)もあれば、「クラヴィーア練習曲集 第三巻」の「4つのデュエット」のように、終結を飾る堂々たるフーガ(BWV.552、「聖アンのフーガ」と英国で呼ばれているもの)直前に配されるべきとして、「未完フーガ」の直前だったという意見もある(ヴィーマーなど)。また「初版」では3声と4声の「鏡像フーガ」二曲の順序があべこべになっている。自筆譜(「ベルリン自筆譜」SBB-PK P200)に書かれてある順序が本来の姿。また「鏡像フーガ」13番の「2台クラヴィーア用編曲」は、やはりこの曲集には含めないほうがよいように思う。これはよくある「編曲の必要に迫られて」作曲したものかもしれないけれども、自由な声部をひとつ追加したためにきちんとした「鏡像」にさえなっていないから、やはりこの曲集にはふさわしくない。
3. 「自筆譜」は印刷版下そのものの「清書譜」なのか? 「ベルリン自筆譜」と呼ばれているバッハ直筆の楽譜については「初版」といろいろな点で食いちがっている。音価が倍になったり、拍子が変更されていたり…そもそも自筆譜からしてあまりにも「訂正」ないし「推敲」箇所が多い。小林先生とかも書いているけれども、やっぱり自分も「ベルリン自筆譜」は「決定稿」ではない気がする。強いて言えば「決定稿」半歩手前のものかな?
4. 演奏楽器について すでに1920年代にリーチュという人が「これは鍵盤楽器、とくにチェンバロ独奏用として」作曲されたものだと結論づけている。「チェンバロ派」の代表はレオンハルトで、やはり独自に論文を発表して、この作品がチェンバロを想定して作曲されたものであると結論づけている。ただしレオンハルト説では「未完のフーガ」は本来、この曲集とは無関係のものと一蹴している。ひとつの根拠として、「未完フーガ」抜きで小節数を数えると「平均律 第一巻」とおなじ小節数になるとか…また「24」という数字にこだわって「フーガの技法」も本来、24曲のフーガとカノンからなる曲集になるはずだったとか主張している人もいるけれども、「数象徴」に走る研究者同様、恣意的かつ的外れかと思う。だいいち、「ひとつの主要楽句にもとづく、ありとあらゆる種類のコントラプンクトとカノン(『故人略伝』)」が目的の曲集と、方向性じたいがちがう「平均律」とおなじに作る必要はまったくないし、バッハほどクリエイティヴな天才が「二番煎じ」みたいな試みをするとも思えないし。語法的には当時のオルガン手鍵盤の音域を逸脱した箇所(「10度のカノン」)もあるし、あきらかにチェンバロとかクラヴィコードを想定していたと思うけれども、オルガンで弾いてはいけないわけでもないと思う。曲想によってはオルガンのほうが効果的だと思われるものも含まれている(「コントラプンクトゥス第7では、全4声部を経めぐってゆく拡大形の主題を、ペダルに移しかえ適切なレジストレーション[リード管がよい!]をほどこすことによって、聞こえやすくすることが可能」――タヘツィの解説から)。
5. 未完のフーガについて 「初版」では「3主題によるフーガ Fuga a 3 Soggetti」とあるが、19世紀末のノッテボームはじめ多くの研究者が指摘するように、やはり基本主題と組み合わせて終結する「四重フーガ」だったのではないかと思う。わからないのは、『故人略伝』にある、「…バッハは最後の病気に妨げられて、彼の構想からすると、最後から二番目のフーガを完成することも、4つの主題を含んでいて、後に4声部が全部、一音符残らず正確に転回されて現れるという最後のフーガを労作することもできなかった」という一文が真に意味するところ。「未完フーガ」のあとにもう一曲、つづくのか? それともこれは、3つの主題しか書かれていない「未完フーガ」とはまるで別物の話なのか? 第一主題がじつは「基本主題」の一変形、という主張もあり、やはりよくわからない。第一主題が提示される最初の部分はそれだけで自己完結した(「フーガの技法」では全曲がかならずしも厳格な古様式を意識して作曲されてはいないが、ここでは原形・転回形の組み合わされたストレッタの頻出する厳格な古様式に立ち返っている)フーガになっている。その後活発に走り出す第二の主題と有名なB-A-C-H主題が導入されるけれども、それぞれの新主題導入の「間隔」はどんどん短くなっている。ということは基本主題が導入される「間隔」はさらに短くなっていたかもしれない――つまり終結直前にちょこっと顔を出してあっけなく終わる、という構想だったかもしれない(バトラー)。
最後は独断と偏見に満ちた(?)各「コントラプンクト」について。
1. 「原形基本主題の4声単純フーガ」。厳格な古様式書法で書かれ、バッハのほかのフーガに見られるような明確な間奏エピソードは存在せず、教会旋法的で転調さえほとんどない。出だしの主題-応答提示は「十字架型」。最後でわりと「当世風な」書法の劇的な盛り上がりがある。
2. 「原形基本主題の4声単純フーガ」その2。前者がおごそかで中立、静的としたらこっちはせかせかとせわしなく動的。出だしはB-T-A-Sと「階段状」に主題が提示される。後半(69-70小節)ではじめて変形された主題が出てくる。自筆譜ではこの直後に終止していたが、「初版楽譜」ではバッハはこのあとにソプラノ主題提示を追加、数小節書き足している。
3. 「転回基本主題の4声単純フーガ」。フレスコバルディかフローベルガーを思わせるような半音階的な対位主題がまとわりつく。後半、変形された主題と原形主題の転回形が組み合わされる。
4. 「転回基本主題の4声単純フーガ」その2。「真正な」転回形主題ではじまる。この「単一主題グループ」最後のフーガは前3曲とがらりと変わって、自由な間奏部と提示部とが交互に交代する書法。最初のグループ中もっとも大規模なフーガ(138小節)。「コントラプンクトゥス4は室内楽だ(エマール)」
5. 「変形された基本主題とその転回形による反行フーガ」。ここでふたたび厳格な古様式に立ち返る。頻繁に複雑なストレッタが現れ、みじかいエピソードのかけあい部分も緊張感あるストレッタで書かれ、二番目は「鏡像」を暗示するかのようにたがいに声部を入れ替えて現れる。終結部は6声に達する。
6. 「変形主要主題とその縮小による反行フーガ」。「初版」で「フランス様式で」と書かれたフーガ。フランス風序曲を思わせる付点リズム音型が使われていることから、演奏家のなかにはここから「あらたな形式のフーガが開始される」という合図だと解釈する人もいる。三拍子系と四拍子系のリズムが混在しているが、当時の演奏習慣にしたがって複付点音符として弾いたほうが聴き手にとっても聴きやすい。変形された基本主題と転回主題とが交互に現れるが、たがいに半分の音価に縮小されたかたちと組み合わされる。
7. 「変形主要主題とその縮小・拡大による反行フーガ」。縮小形につづいて倍の音価に拡大された変形主要主題がからみあう。拡大された主題はまるでコラールの定旋律のように聴こえる。
8. 「2つの新主題と変形主要主題による三重フーガ」。ここではじめて3声部曲が現れる。ふたつ目の主題にはすでにB-A-C-H動機が含まれている(39-42小節)。
9. 「新主題と原形基本主題による二重フーガ」。ふたたび4声にもどる。ここでは12度でたがいにひっくり返って現れる転回対位という技法が使われている(8度の転回対位は基本的な技法ゆえに、独立した楽曲としては作曲しなかったと思われる)。全曲中、最大限に「躁状態な」、つまりハイなフーガになっている。文字どおりふたつの主題の「追いかけっこ」(↓演奏例。譜例つきなので、じつにわかりやすい)。
10. 「新主題と変形主要主題による二重フーガ」。「4声の二重フーガ」その2。こちらは変形された基本主題の転回形とやはりリズムの異なる新主題とが組み合わされ、両者は10度の転回対位の関係で声部を交代して提示される。3度と6度の甘美な響きが特徴。
11. 「2つの新主題と変形主要主題による三重フーガ」その2。こちらは8番目のフーガと共通の主題をもつ4声部の三重フーガ。やはりB-A-C-H動機が含まれている。「未完フーガ」をのぞいてもっとも完成度の高いフーガで、一部の演奏家や研究者が指摘するように、受難曲を思わせるような劇的な曲想になっている。
12a/b. 「変形主要主題による鏡像フーガ」。4声部で書かれているが、全曲中唯一の3拍子をとるフーガ。途中から主題じたいがさらに変形されて現れる。ピアノなどの鍵盤楽器で弾く場合、通常はひとりではむりで、もうひとり演奏者が必要になる。オルガンの場合は足鍵盤があるから、この問題はクリアできるけれども…いずれにせよみごとと言うほかなし。
13a/b. 「変形主要主題による鏡像フーガ」。こちらは3声の鏡像フーガ。前者が静的だったのにたいし、こちらはその反動(?)でひじょうに活発に走り回る。こういう対比関係、ないし緊張関係もバッハらしいところではある。
4つのカノン 順序については諸説紛々だが、ヴィーマー説をとりたいところ。つまり15,17,16,14(決定稿のほう)がいいような気がする。カノンのみ2声で書かれたのは、厳格なカノン技法を徹底的に極めようとする意図のためだと思われるけれども、ほんの一部、規則から逸脱した箇所もある。じっさいの演奏という点をけっして忘れなかった実務家バッハらしいと言えば、らしいかな。
14. 「未完の四重フーガ」。4声。↑で書いたように、「3つの主題によるフーガ」と解釈すべきかどうか、判断しがたいところではありますが、規模からすれば「四重フーガ」であってもぜんぜんおかしくないし、これら3つの主題と基本主題とは結合可能。239小節目でぷっつり途絶えたのは、病気の進行というよりむしろ「ロ短調ミサ」とか「音楽の捧げもの」のほうを優先させていたためだろうと思う(ちなみに中断箇所の小節数が2+3+9=14、BACHだ! と主張している人もいる)。「未完フーガ」についてはほかのフーガと大きく異なり、「4声の総譜」というかたちではなくて、なぜかふつうの上下二段の鍵盤譜になっていて、そこにこちゃこちゃと書きつけられ、また紙の「片面」しか使われていない。「紙の倹約」ということにかけては人一倍うるさかったバッハがどうしてこんな書き方をしたのか? バッハはいったいなにを意図していたのだろうか?
…かならずしも「全曲演奏」すべき作品とは思っていないけれども、やっぱり一度は実演に接して聴いてみたいものですねぇ(一部だけならコープマン・マトーの二台チェンバロ連奏で聴いたことはある)。
2009年10月05日
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