2007年02月10日

『アイルランド地誌』

 この前、地元の図書館にビル・マッキベンの本を借りに行ったとき、ついでにアイルランド関係はなにかないかなと探してみたら、なんとギラルドゥス・カンブレンシスの『アイルランド地誌』の邦訳があるではないですか。邦訳 … が出ていたことくらい知ってはいたのだけれど、和洋取り混ぜてあっちこっち読んでいるうちにそんなことはすっかり頭から消えてました。さっそくこっちも借りて読んでみました。

 英語読みでは「ウェールズのジェラルド」と呼ばれるギラルドゥス・カンブレンシスは12世紀後半の人(c.1145-1223) で、ときのイングランド王ヘンリー2世、つづいて「失地王」というありがたくないあだ名で呼ばれる末子ジョンに仕えていたカトリック司祭の人。1170年のアングロ・ノルマン連合軍によるアイルランド侵攻後、1185年にジョン王子とともにアイルランドにやってきたときに見聞した当地の珍しい風物をときに同情をこめて、ときに舌鋒鋭く批判し、ローマ・ギリシャの古典の知識も開陳して書き上げたのがこの有名な本、というのはいちおう知ってはいたけれども、これがじっさいに日本語として読めるとはなんてすばらしいことなんだろうと感慨もひとしお。邦訳書は10年前に刊行されていたので、読んだことのある人はなにをいまさら、というところでしょうけれども … 。この一中世人による、いわば貴重な証言とも言える『地誌』をギラルドゥスが完成させたのは1188年ごろのことらしい。有名な「パトリックの煉獄」なんかもしっかり出てくるし、もちろん聖ブレンダンも、かんたんながらちゃんと書かれてあります。邦訳を読んで、もっとも驚いたのはp.127の「西の島テューリー」について書かれた章。これはこれでまた後日、サイトのほうにもあらためて追記する予定ですが、ラテン語版『航海』6章冒頭、3人の「遅れて来た修道士」を乗船させてブレンダン一行の舟がアイルランドから船出したときの描写との関連で目を見張ったのです … 。'... contra solsticium estiuale(11世紀ごろの作とされるアランソン写本版では'... navigare contra solsticium esticunum')' とあり、直訳すれば「夏至にむかって(舟を進めはじめた)」。ここの部分どうもいまいちわからなかったのですが、たとえばこちらの本(p.236,n.58)を見ますと「これは、夏至がテューレの真上で起こるとするイシドールの説を直接引いている可能性がある(『語源論』XIV § 6:4)」との脚註があり、すくなくとも当時の西欧の人は「太陽が夏至を迎える場所 = 最北の島テューレの真上」と考えていたらしい。9世紀、シャルルマーニュ(カール)帝の宮廷に仕えていたアイルランド人地理学者ディクイルも『地球の計測』という本で、最北の島テューレでは夏至前後の期間は闇夜がまったくないことを述べている … ということは「北」へ向かったのかとセルマー校訂ラテン語版から邦訳された太古先生も推測しています…ちなみにオメイラ英訳版では '...they began to steer westward into the summer solstice.(p.9)' と「西」へ向かったと解釈。… ??? と思っていたら、『地誌』には「もっとも西にある島」なんて書かれてあるじゃないですか! 

 「 … ソリヌスはテューリーがブリタニア周辺に数多くある島のさい果てにあると述べている。そして夏至のときには夜が全然なく、冬至のときには昼がまったくない、と。
 テューリー島の向こうにはよどんだ凍った海がある、とソリヌスもイシドルスも言う。イシドルスはテューリーがブリタニアの向こうにある北および西の地でもっとも遠い島であると記している。そしてその名が太陽(ソル)に由来している ―― というのはそこで太陽が夏至を迎えたり、その向こうに昼がなくなったりするから ―― という。
 しかし西方の人はこの島について無知で、西や北にある島のうちどれがそうした特徴をもつのか、あるいはテューリーとよばれるのかも知らないほどである。」

 … ということは文字どおり解釈すると、ブレンダン一行は北西方向へ船出したんかな??? 

 というわけで、サイト管理人にとってはこの一点だけでも大きな収穫でありました。それと、そのすこし前には「モスケンの大渦巻」のことも書かれてあって、こちらもなんらかのつながりがあってのことだろうか … 。

 この本はあくまでもおとなりの島国からやってきた異邦人の目から見たアイルランド、という視点から読む必要がありますが、価値観もものの見方も異なるウェールズ人司祭の目にアイルランドという土地がどのように写ったのか、という点ではすこぶるおもしろい読み物です。もっとも著者ギラルドゥスの勘違いも散見されるとはいえ…それと革舟カラフを描写した章(p.229, 3-26)。国会図書館で複写したポール・ジョンストンの本にもここのところがそっくり引用されていたので、個人的にはけっこう惹かれるものがありました。

 「 … しばらくするとそこから小舟が漕ぎだされ、近づいてくるのが見えた。それは長円形で狭く、ヤナギを編んだ外側に動物の皮をはり合わせてできていた。」

 「狭く」という箇所は「細く」のほうが感覚的にしっくりきますが、原文のラテン語がこうなっているのでしょう、たぶん(ひょっとしたら原本じたいがWebの海のどこかにひっそりとあったりして)。

 また著者がローマカトリックの司祭だからか、アイルランド特有の修道院制度を批判しているあたりも興味深いですね。パトリックの来島とキリスト教への改宗、オストメン(東方人)と自称していたヴァイキングのアイルランド侵攻 … ヴァイキングが入植するまで、都市というものが存在しなかったアイルランドにはじめて都市を建設したのは彼らだということもしっかり書いてあります。

 そしてなぜか「アイルランドと音楽の関係」ついて、数章を割いて書いているところもたいへん興味を惹かれました … 「この民が熱心におこなうことでは楽器演奏だけが賞賛に値すると思う。これに関してはわれわれが知っている民の中で断然優れている。われわれに馴染み深いブリタニアの曲のように長くゆっくりしておらず、実に速く、旋律は甘く快い。」

 これはまるであのアイリッシュ特有の、目まぐるしくぐるぐるまわる溌剌としたフィドルやバグパイプの演奏のことを言っているようではないですか! 

 「彼らがひじょうにすばやく指をあやつるのに音楽的調和が乱れないのには驚かされる。またどの点にとっても完全な技法によって、複雑な形式の、ゆたかで複雑なポリフォニーの中、心地よい速度で、異なるものが一緒になり、不調和のものが調和して、旋律が共鳴し仕上げられることにも。」

 なるほど。これを額面どおり受け取るとアイルランドではすでにポリフォニー形式が発達していたらしい。手許の音楽関係の本をひっくり返してみると、たとえば「1300年ごろ、イギリスのレディングで作られた二重カノン『夏は来たりぬ Sumer is icumen in 』は、この型の最古の例として知られている」とあって、アイルランド→英国というのは当然あるよな…とか(対位法の起源については9世紀ごろのことらしい)。

 最後にアイルランド聖人について書かれたおもしろい一節を(p.184、「当地の聖人は復讐心が強く思われること」)。

 「さてこれははっきりしていると私には思えるのだが、この民がこの世にあるとき、他の民に増して短気ですぐ復讐に走る傾向があるように、永遠の生の中でどこの聖人にも増して功徳にすぐれる人々も復讐心が強いようだ。」

 これについてはティム・セヴェリンのBrendan Voyage にも似たような記述が出てきます(初版本のp.99-100)。

 「 … (アウター・ヘブリディーズの)タイリー島もまたアイルランド人修道士が庵を編んだ場所。聖ブレンダンの時代、ここにはアイオナの娘修道院があり、一説には聖ブレンダンその人が創設者だという。これらゲール語圏の島々に伝わるキリスト教聖人伝説の力は根強くて、島人はいまでも新しい港の一角にある岩を指差してこう言う ―― モラッハダグ、『呪われし小さな岩』。島人によれば、聖コルンバはタイリー島にやってきたとき、この岩に生えている海藻にカラフをつなぎとめた。ところが海藻は切れて舟は流されてしまった。そこで聖コルンバは、おまえには今後永久に海藻は生えないだろうとこの岩を呪った。港にあるほかの岩場には海藻がふさふさ生えているのに、モラッハダグだけは何十年もはげ岩のままで、つい最近になってようやく海藻がちょびちょび生えはじめてきたのだそうだ。」

 またツノガレイをふんづけてすってんとこけたコルンバが怒って、カレイの目をふたつとも上側につけてしまったとか、おもしろい地元の伝説も紹介しています。そのすぐあとにもアイルランド人船乗り修道士が「いかに短気か」について書かれてあり、アイルランド北部の村ではサケがまったくとれない入江があって、これも昔、舟でやってきた修道士が村人になにか魚を食べさせてほしいと頼んだがにべもなく断られた、それで罰としてサケをこの入江から追い出してしまった … と、じつに聖人らしくない、いかにもアイルランド人らしい逸話も報告しています。

 … そういえばギラルドゥスもアイルランド人の金銭面でのルースさを嘆いているけれど…金は「かならず返す ―― できるだけ早く」なんてジョークを思い出してしまった。

 … それと、p.290の註67、「ミーズのタラを本拠地とするウィ・ニール朝の創設者。… 五世紀以後この王朝がアイルランドの南半分を支配する」とありますが、北半分じゃないでしょうか? 

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