2009年11月07日

阿頼耶識にタルボット

1). けさの「ラジオ深夜便 こころの時代」は、阿修羅さんのいます奈良・興福寺貫首(かんす)の多川俊映氏のお話でして、寝ながらですがわりと神経を集中して聞いていました…阿修羅さんと「八部衆立像」のみなさんは、東京・九州と長旅の末、いまはお寺にもどって「仮金堂」にてご本尊を取り巻くように勢ぞろいしていますね(23日まで)。で、その立像群の前でのインタヴューでした。多川貫首の話にはもちろん阿修羅さんやその他「八部衆」さんたちのことも出てきましたが(迦楼羅[かるら]以外、みんな「童顔」に作ってあることとか)、もっとも興味を惹いたのは「阿頼耶識(あらやしき)」の話。梵語では『大辞林』によるとalaya-vijñanaと書くらしいけれど、貫首の話ではなんと、あの「ヒマラヤ」ともおおいに関係があるという! Himalaya(s)も分解すると「ヒーマ」+「アラヤ」で、「雪倉」くらいの意味(→語源については英語版Wikipedia記事該当箇所を)。万年雪を頂いているから――近年、急激な氷河溶解が気にはなるが――たしかにそのまんまなネーミングだ。問題はアラヤで、ここが「阿頼耶識」の三文字と重なる。多川貫首の話では、「アラヤ」とは心の奥底の「無意識」、いまふうに言い換えるとsubliminalの世界。つまりは人の思いというのは善なる思いも邪な思いもすべからく「阿頼耶識」から発する。興福寺は法相宗の大本山で、法相宗は別名「唯識宗」とも呼ばれるらしい。多川貫首ははじめ寺を継ぐつもりはなかったようで、大学では心理学(!)を専攻していたという。でも「人の心の奥底の想い」を重要視する仏教宗派と、心理学とはやはり通じ合うところがあったのでしょう。けっきょく寺を引き継ぐ決心をしたそうです。「阿頼耶識」とくると、三島由紀夫。晩年、さかんに「阿頼耶識」のことを話したものだから、あるとき、「そんなに言われちゃ皿屋敷になってしまいますわ」とか言われて、笑いながら話を収めたとか、三島に関する本で読んだおぼえがあります。また多川貫首は「いまの社会はあまりにも物事を『分けて』考えている」とも言ってました。たとえば「生と死」というのは対立する概念ではなくて、死があるがゆえの生、つまり表裏一体の関係なのに、いまの人はあまりにも「死」について考えようとしない。結果、「生きることが『薄味』になっている人が多いのではないか」とも言ってました。これを聞いていて、二、三年前に聞きに行った、「死生学」のアルフォンス・デーケン教授の講演会のこととか思い出した。言い方はちがうけれども、どっちもおんなじことを話しています。

2). 今日は立冬ですね…長泉町に「クレマチスの丘」という複合文化施設があるのですが、いまさっき地元紙夕刊を見たら、いつのまにか写真美術館ができていた。開館記念展では写真術の先駆者のひとり、英国人タルボットに焦点を当てたものということで、こちらもおおいに興味あり。写真術の祖とくると「ダゲレオタイプ」のルイ・ジャック・マンデ・ダゲールのほうがつとに有名ですが、紙ネガに直接焼き付ける「カロタイプ」の発明がその後の写真技術発展に与えた影響はやはり大きいように思う。ダゲレオタイプはシャープで鮮明な映像を残せたけれども、複製が作れなかった。対する「カロタイプ」は紙ネガを反転させて陽画(ポジ)を得ることでいくらでも複製を作ることができたけれども、紙に直接感光剤を塗ってあるのでどうしてもきめが粗くて、写真ならではの鮮明さに欠ける(輪郭線がぼんやりしている)。1851年に両者の欠点を相殺した「湿式コロジオン法」が発明されてからが、いまにつづく写真の歴史のはじまりだと言っていいでしょう(「湿式」というのは撮影直前に感光剤をガラス板に塗るのでそう呼ばれる。「湿式」では感光剤が乾かないうちに撮影と現像を完了しなくてはならず、この使い勝手の悪さを解消したのが「ガラス乾板」式[dry plate]。以前ここにも書いたジェイコブ・オーガスト・リースはこれを使ってニューヨークのスラム街を暴露した写真を撮って、「報道写真」の草分け的存在になった)。…って生年月日欄を見たら、リースって今年生誕160年だったんですね…。

3). …ところで20年前の11月9日(あしたですね)は、「ベルリンの壁」が崩壊した日ですね(→AFPBB関連記事)…。その年(平成元年)に生まれた子どもは晴れて成人というわけで、いまさらながら月日の過ぎ去ることの速さをしみじみ感じているところです…「ベルリンの壁」関連では、最近、地元紙に掲載された国際問題の専門家イニャシオ・ラモネ氏(もとLe Monde diplomatique紙総編集長)のコラムが印象的でした。とくに共産主義が内側から自滅したことを受けて、「資本主義の勝利」だと言い放ったインテリ連中を批判したくだりとか。ちょっと引用してみます。

 「…ここから 『歴史の終わり』を掲げる、知識人の酩酊が始まった。これが決定的な誤りだった。実は、資本主義にとり共産主義は好敵手で、力による対立の緊張が暴走を防ぎ、自己規制へ導く役割を果たしていた。(好敵手を失った)資本主義は最もひどい衝動に(未来を)かじ取りさせることになった。世界に『平和を配当する』役目を忘れ、米国は経済のグローバル化を、各国に押し付けていった」

 その結果が時代逆行とも思える労働・雇用環境の急激な悪化をもたらし、また『資本論』とかが亡霊のごとく復活してふたたび読まれるようになったんだな。

 当時の日本はどうだったかというと「プラザ合意」後の円高不況のあとにやってきたバブルに踊らされていた時期でもあり、「リクルート疑惑」その他いろいろあって国民が政治というものに関心を示さなくなり、また「若貴兄弟」活躍華やかなりしころだった。20年経って、この国はすこしは変わったんだろうか…惰眠をむさぼってきただけのような気もしないではないけれども。

 仏教では「目に映じるいっさいが空」だと多川貫首は言ってました。かたちあるものみな壊れる、すべては生々流転、すべてははかない。これをじつに端的に、ずばり書いた人が千年以上前の日本にいました。すくなくとも「この世の無常」というものをこれほど簡潔に表現した文章というのは、ほかの文学作品にはたして存在するのかどうか。

 ただ過ぎに過ぐるもの 帆かけたる舟 人の齢 春 夏 秋 冬(『枕草子』第245段)

posted by Curragh at 20:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 美術・写真関連
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