2007年02月19日

『人間の終焉』

 ビル・マッキベンの最新邦訳書(原題はEnough--Staying human in an engineered age)、ということで図書館から借りて読んでみましたが…はっきり言ってこわいです。ある意味オカルト・ホラーものを読むより背筋が寒くなる内容。

 俗に言うGNR、「遺伝子操作」、「ナノテクノロジー」、「ロボット工学」の三点セット。これらを著者が「テクノ熱狂者」と呼ぶ一部の研究者や製薬などの業界、野放図な市場原理に丸投げしたままでいると近いうちにとんでもなく恐ろしい事態に直面する危険性が高い、と警告している本です。

 遺伝子操作…そういえば近くにそんな関係の独立行政法人研究機関があって、春になると構内に植えられているいろんな桜がきれいだな…とかそのていどの認識でしかなかったのですが、double helixの発見者であるワトソンをはじめ、一部の研究者はすでに暴走をはじめているらしい――遺伝子操作にはふたとおりあって、ひとつは「体細胞遺伝子」のみをいじって遺伝由来の難病患者の治療に援用するというものと、「生殖系列遺伝子操作 germline engineering」というもの。前者は治療される側の患者一代かぎりでおしまいになるので、とくに問題にはならない。大問題なのは後者で、いわば「改造人間」を試験管から創り出すようなもの。いったんこれがなしくずし的に広まればそれこそ「霊長類ヒト科」という生物じたいが地球上から消滅してしまう恐れがある。生まれた子どもはすでに研究者/バイテク業界、そして親から「身長はこれくらいがいい」とか「快活な性格で」とかまるでカタログから商品でも選ぶかのようにあらかじめ「選択」されてしまう(designer babies と呼ぶらしい)…これがなんでまずいかと言えばたとえば両親から受け継ぐ遺伝子以外の遺伝情報まで、生まれる前、胚の状態のときに勝手に書きこまれてしまう。そうして生まれた子はもはやヒトとは言えない。またこの分野というのは日進月歩以上のものすごい速さでつぎつぎと改良――いや改悪――が進むのがつねなので、そうやって「改造された」子どもがそれこそPCのOSよろしくあっというまに「型落ち」して、さらなる「超人間」に置き換えられてしまう…となんかSF映画とかウィリアム・ギブソンのNeuromancer ばりのとんでもないことがまさに「現実」になりつつあるらしい…もっとも韓国で起きた例の胚性幹細胞(ES細胞、いじりようによってはなんにでもなる万能細胞…らしい)がらみのでっちあげの前に刊行された本ですので、「クローン人間」というのはまだまだ先かと…でも悠長に構えていたらいつのまにか得体の知れない、人間なのかサイボーグなのか区別のつかない新生物に取って代わられることはけっしてありえない話ではなくてげんに進行中だって言うのですからほんと恐ろしい話です。

 いままで孤立した点として開発が進んでいるかに思えていたロボットやナノテクノロジーについても、最初の「遺伝子操作」と面的に結びついたらいったいどうなるのか。…ロボットといえば、「アンドリューNDR114」という映画はいい話ではあったし、R2-D2も子どものときから好きなんだけれども…これらがひとつに結びついたときにはひょっとしたら、人類にとって古くて新しい問題でもある「不老不死」が実現するとか、電子レンジみたいな「分子生物学的に組み替えてしまう万能マシン」に干草でも突っこんでジャガイモが生産できれば非効率な畑作は必要なくなるとか…ドラえもんの「ひみつ道具」じゃあるまいに! もうこのへんにくると、ふつうの感覚の持ち主ならば精神科でも受診したらと勧めもしたくなるような話がそれこそごろごろ。

 自分も人間なので、目先にぶらさがったニンジンの誘惑には弱いし、この点はじつは著者自身も本音がのぞくところ(p.296-7)があるとはいえ、基本的には著者同様、「もうたくさん!」だと思う(原題のEnoughはびっくりマークつきだと強調されて「もうたくさんだ、いいかげんにしろ」くらいにまで強まります。おそらくこっちのほうが本音でしょう)。ダース・ヴェイダーのようなぶざまなかっこうに成り下がってまで「永遠の命」をほしいとも思わないし、地球が膨張した太陽に呑みこまれるまで生きようとも思わない(せいぜいがいまやりかけのライフワークと呼べるものが終わってから召されたいです)。これら「テクノロジー万能教」信者みたいな研究者は思考まで1と0に単純化されて、いざ実現したらどうなるかといったことにはあんまり思いがおよばないらしい…複雑怪奇な数式を解き、難解な理論をそらんじることのできる、言ってみれば「天才」と呼ばれる集団のくせして…「不老不死」について書かれたくだりを読んでいますと、素人としてまず頭に浮かぶのは推進派の言う「死ぬ恐怖から解放された」世界、ではなくて、いつまでも腹立たしい人間が死なない世界、もっと悪くすればそんな一部の手合いが独裁者パルパティーンとして永遠に支配するような暗黒面の「破滅(地獄)」を想像してしまいますがね…悲観論者? たしかにマッキベン以上にペシミストだっていうことは自他ともに認めるところですが、この本に引用され、散りばめられた彼らの言明をまじめに読めば読むほど…冗談ぬきに彼らのオツムのていどを疑いたくなります。いつまでも人生のつづく世界では、かえって命の尊さとかかけがけのなさなんてだれも考えなくなるんじゃないでしょうか。昔、認知症のおじいさんを写真家である孫が亡くなるまで撮りつづけた話をTVで見ましたが、最後の一枚、棺に納められ上半身だけ見えるおじいさんの亡骸と、棺台のそばで無邪気に遊ぶ曾孫のモノクロ写真を見たときは…ことばにならないほど感動して涙があふれた。遺伝子操作したがっている研究者の描く未来では、そんな感傷は過去の話。もう死ぬことはないのだから。でもそれはわれわれが認識するようなヒト科の生物ではない。

 遺伝子操作の話にもどると、本人のあずかり知らぬところで勝手に改造を施された子どもが、そんな両親を親として敬うと思いますか? …この本のあとがきを書いているのは訳者ではなくて、こちらの社会学者の先生なのですが、例として「養子縁組」を引き合いに出しています…当たり前のことですが、真実を「告知」されるだけでもさぞ、と思いますが、そんなときに「あなたが頭のいい子だから引き取った」とかなんらかの「条件つき」で告知したらどうなるか。その子は自分の存在を「無条件で」受け入れられていないことに深く傷つくでしょう。子どもが事実を事実として受け入れ、成熟するにはまずもって「無条件で」里親に受け入れてもらうことしかない。人間の「感情」は、大脳生理学以上に不可思議で奥が深く、きわめて複雑なんです! 遺伝子操作された子は最初から選択肢も奪われた状態で生まれてくるので、ただでさえ親殺しがはびこっているのに、これではいったいどうなることか。ところが当の推進派(と「改造人間の子ども」の親)の言うには「よりよい子どもにするため」、「よりよい能力をもたせるのはその子のためになる」、「自分たちよりすぐれた能力をもたせるため…」などなど…その「よりよい」って判断基準はなんなの、と逆に問いたくなります。そんなことよけいなお世話じゃないですか。そうやってじゃんじゃん改造され増強された――こうしてバイテク企業は金もうけに励む――「超人間」の行き着く先は、たぶん昔のSF映画に出てくるような、頭ばかり異常に発達して手足は退化した、例のタコみたいな火星人もどきでしょう。そうなったらだれが責任を取るんですか。ミケランジェロの彫刻とか、古代ギリシャ・ローマのみごとな彫像を見たことがないんだな。人間はいまのままでもじゅうぶん「美しい」…自分の場合、見かけはあまり美しくはないとはいえ…。「遺伝子改造→解放」にはけっしてならないことぐらい、わかるはず。けっきょくは一攫千金狙いですか。いかにも市場原理最優先の資本主義らしいですな。

 そして笑えるのが、遺伝子操作推進派やロボット工学の研究所にはなんと「専属の伝道師」までいるという! 「神は、人間が神とともにある者になることを意図した。クローニングやDNAの再設計は、神とともにある者になる、最初の本格的なステップ(p.279)」ですと。つまるところ、彼らは――なんたる皮肉――自分たちが嫌悪しているはずのアルカイダなどの原理主義者とコインの裏表の関係でしかない。やっていることはたいして変わりません

 彼らの言う「バラ色の未来」なんてたんなる妄想の所産、というかインチキ商品を押し売りするセールストークとなんら変わりません。遺伝子レヴェルではたしかにハエ? だったっけ、それよりちょっと多いくらいの存在にせよ、人間はそんなに単純じゃない。人間はハエとはちがいます。「ハエ男」の映画じゃあるまいに。ようするに生殖系列遺伝子操作推進派の人たちは、遺伝子をいじることにかけては天才でしょうけれど、未来を見通す目はふつうの人以上に曇っているらしい(p.243-4)。

 …という感じで、いまならまだ引き返せる、と歴史上の例として引き合いに出されているのが、うれしいことに江戸時代の日本(…条件づきではありますが)。当時最新のテクノロジー、鉄砲(火縄銃)を――その気になれば大量生産してアジア大陸を侵略することもできただろうに、そうはしなかった。鉄砲を捨てた日本はその後鎖国政策を取り、世界史上まれに見る長い間、曲がりなりにも平和を享受してきたことを取り上げています。米国からはAmishの生活スタイルが参考になると書いています…それとおお、鄭和まで出てきます…そういえば昨年、NHKでも取り上げていたかな、鄭和の巨船艦隊の偉業は…引用されている文献として『中国が海を支配したとき』もあります…これもってる! …でもまたしても書棚のどっかに突っ込んだまま、ろくに読んでないorz。もっともマッキベンは、鄭和艦隊のあとの中国のことに力点を置いているのですけれども…。

 ようは、「もうたくさん、これ以上はいらん」という選択肢、切り札がまだあるということ。環境問題ではずいぶんとalternativeという生活態度が選択されてきたように思いますが(有機農法とかフロンガス全廃、風力発電とかスローフードとか)、このGNRにもおんなじ選択肢がまだ残されているということに希望を託して結論としています…音楽だったら、最近はMIDI音源の組み込まれたサイトもずいぶん増えて、それはそれでおもしろいとは思うけれども、たとえばこれも昔TVで見た、「息子がピアノでバッハを弾いた。ミスタッチもあるけれど、心をこめて。それを聴いた父親が一言、『感動したよ』」という黒人家族の話。自分もおんなじですね。楽器を流暢にだが機械的にただ弾いているだけのロボット演奏家より、人間の子どもの演奏のほうがよっぽどいい――技術的にはロボットのほうが上であったとしても。

 …いまさっきやってた「青春アドベンチャー」の「不思議屋料理店/ママの得意料理」も、これらと似たような話でした…息子を「幼稚園受験」に合格させるため、自分の手料理のレシピをつぎつぎと不思議屋料理店へ差し出してゆく若い母親。大切な手料理の作り方と引き換えにしてまで息子の受験を成功させようと奮闘するも、息子は落ちてしまった。料理店に話がちがうと夫ともに抗議に行ったら、「ちゃんといつもどおりのレシピで作りましたか?」――夫と息子の大好物であるオムレツは作らなかった。夫は、でもまだオムレツが残ってる! と妻を励ます…と、まるで『プチ・ファウスト』みたいな内容でした。なんだかマッキベンが書いていることとどこか共鳴していると思いませんか? 大切なのは、誘惑に負けずに「ほんとうに大切なもの」とそうでないものとを天秤にかけて、引き換えにしないことです。それだけの「知恵」にかけては、「テクノユートピアン」たちより、われわれふつうの人間のほうがはるかに勝っているはずです。

posted by Curragh at 23:25| Comment(3) | TrackBack(0) | 最近読んだ本
この記事へのコメント
私も商売柄、遺伝子工学について読み書きする量が多いのですが、おっしゃっている「体細胞遺伝子のみをいじる」研究のほうで、再生医療などあくまで治療目的のものです。でもその辺は線引きが難しいというか、実際に研究室の中で何が行われているか、素人にはわからないところがあるのでしょうね。
Posted by Keiko at 2007年02月24日 06:52
Keikoさま

そうでした、このへんのことはKeikoさまのほうが断然詳しいですよね!

実験している研究者にとっては、しっかり意識していないとむしろあっさり「一線を越えて」しまうほどあやういものなのかもしれません。

最近では、スーパーで買い物していても、「遺伝子組み換えではない」という表示を当たり前のように見かけます(JAS法かなにか、わからないけれども義務付けられているのかもしれません)。地元紙日曜版にも、食のグローバリズムの功罪を問う本の邦訳が紹介されていましたが、遺伝子組み換えいかんにかかわらず、「一品種大量生産の害」についても、マッキベンはみずから赴いたバングラデシュの寒村で聞いた話を上記の本に書いていまして、こちらの話にも強い共感をおぼえました。
Posted by Curragh at 2007年02月26日 02:12
あっ、詳しいといっても、技術的詳細について日々格闘しているだけですし(どういう実験をしてどういうデータを得てそれをどう解析するかとか・・)、特許としての新規性という観点でしか考えないので、恥ずかしながら、遺伝子工学の社会的な功罪についてまでは考える余裕がないのが正直なところです。こういうふうに高い視点から問題提起していただくと、あらためていろいろかんがえさせられますね。。。
Posted by Keiko at 2007年03月02日 21:40
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