2010年01月31日

Happy for No Reason

 この手の本はまるで縁のない人ながら、原本も邦訳本も売れに売れて、携わった関係者はさぞ笑いがとまらないのだろう(とくに邦訳本訳者は)と以前から思っていたところ、訳者先生の「申告漏れ」騒動とかありまして、ついその気になって――先に読むべき本を押しのけて――とりあえず原本のほうだけ手に入れてみた(訳本のほうは買う気もしないので、図書館でいつものように順番待ちして借りました)。いったいどんなおもしろいことが書かれてあるんだろうか、とすこしは期待して。

 …著者はいわゆる「自己啓発」もののひじょうに名の知られた講演家・カウンセラーらしくて、この手の「産業(?)」の本場、米国ではつとに有名な人らしい(↓の動画参照)。『チキンスープ』シリーズの共著もあり、また邦訳も出ているThe Secretという本と映画にも出てくる人みたい。なので書き方もたいへんくだけた講演調で、手練れた感じ。



 でも300ページ近いこの本を読み終えても、どうにも腑に落ちない点が多いというか、全体的にパッとしないというか…ひとことで言えばたいして目新しいことはほとんどなにも書かれていないと思う。もっとも'The Happy100'と著者が呼ぶ、「心からの幸福感に満たされた」100人から21人の体験談が引用されていて、なかにはとても感動的な話もあったりする。しかしながら個人的な印象としては「玉石混交」という感じ。フセイン政権下のイラクで過酷な体験をした過去を持つ女性が、世界各地の紛争地で心身ともに深く傷ついた女性たちを助ける運動を起こし、運動をつづける過程で自分自身の辛い過去に向きあい、その体験を書くにいたるという話はたしかに感動的だし、またヘミングウェイの孫娘である女優の「容姿にかんする自己嫌悪との闘い」の話とかも興味を惹かれた(ヘミングウェイが毎日、体重計に乗ってはこまめに測定値をトイレの壁に書いていた、なんて話はちょっとおどろいた)。でもたとえば、見ず知らずの人をパッと見て「この人はわたしの家族」なんていう話とかは、もうついてゆけない(苦笑)。で、この「ハッピーな21人」の体験談のうち、半数近くがなにやらあやしげな(?)宗教関係者もしくはおんなじ自己啓発ビジネスの同業者っぽい人のもの。どんな基準で選んでるの?? 

 著者がこの本で書いているのはひとことで言えばタイトルどおり「理由もないのに幸せ」という状態になるにはいかにすればよいか、その方法をご教示しましょう、というもの。著者はこの「至福」の状態へといたる過程を家づくりにたとえて、土台から頭、心、体、魂の各柱を建て、「ほんとうの使命感をもって打ちこめるもの」を「屋根」にして、「自分にとってプラスになる人間関係」という「庭」をつくり、「とくに理由はないのに幸せ」という名の「心の平安・充足感」をあなたも手にしましょう、その目的達成のために毎日のエクササイズの指針もついてます、どうです、さあいまからでも遅くはないからはじめませんか! みたいな内容。でも米国人の著者には悪いが、この本に書かれてあることってよくよく見てみると日本人にはすでにおなじみの諺に出てくる事例が多い――「足るを知る」、「病は気から」、「笑う門には福来たる」、「隗(かい)より始めよ」……「人間万事塞翁(さいおう)が馬」にいたっては、なんとごていねいなことにこの故事がそっくり引用されてもいます(p.69)。

 著者はどうもこのような「幸福感」は脳の活動や心臓の鼓動、体内の化学反応によって特徴づけられる計測可能な特定の生理学的状態ととらえているふしがある。それを裏づけるためなのか、スタンフォード大学とかMIT、WHOとかの統計や調査結果などをさかんに引用していますが、なかにはひじょうにdubiousなものまでありまして、たとえばこちらで解説されているような「エセ科学」までなんでもござれ(pp.126-7, p.196。波動エネルギーですって? 祈っただけで水道水に美しい結晶ができる、なんてどう考えてもこれは奇説珍説)。それと自分はこの本読んではじめて知ったけれども、巷では「引き寄せの法則」関連本がいろいろと売れているようですね。先日、そっち系の本も立ち読みしたのですが、この本もみごとに「便乗」してますね。なるほど、だからそっち系の作家だか講演家だかが入れ替わり立ち代り、「友だち」として登場してくるんだな。これを日本では「類は友を呼ぶ」と申します(もっともこれ暴論に近い。通り魔に襲撃されたり自爆テロに巻き込まれたりした人にたいしても、「あなたが引き寄せた結果だ」なんて言う気なんだろうか??)。

 最初のほうで著者はこの「引き寄せの法則」も含めた三つの「生きるよすがとしての道しるべ」を提示して説明しているんですが、だいいち「真の幸福状態」を獲得したという人100人に取材した結果の共通項にすぎないくせに「普遍的な法則」とはこれいかに。たかだか100人、その基準もかなーり恣意的と言わざるをえない。せっかく「(加工食品ではなくて自然食品を摂取することは)高くつくけれども、体が健康になったぶん医者通いは減るから結果的にはもとがとれるどころか、お釣りがくるくらい」とか、「幸せだから感謝するのではありません。感謝するから幸せなんです」とか、あるいは――「チャロ」にも出てきた――ハンフリー・ボガードの名科白、「美しい友情のはじまり(the beginning of a beautiful friendship)」なんて引用や詩人エリオットの「回転する世界の静止する一点」と呼ぶものが決定的に重要とか書いてあっても、この「玉石混交」状態で台なし、という感じ(加工食品について言えば、著者が十代だったときはまさにジャンクフード漬けだったらしくて、大学に入ってから菜食主義に切り替えたんだとか。いちおう毎朝しっかり「ごはん」を食べていた身としては育ち盛りの食事に気を遣わないむこうの親の神経を疑いたくなる)。

 また取材した「100人」に共通する意識として、たとえなにがあっても「宇宙は助けてくれる」。アインシュタインが、「この宇宙はfriendlyなのか?」なる問いを発した、なんて話は初耳だったが、とにかく「宇宙はfriendly」説をとる…でもたとえばハイチの震災もそうだけど日本も地震大国で、いつどうなるかわかったものじゃない、そんな毎日を送っている身としてはなんて能天気な話だとつい思ってしまう。スマトラ地震の大津波の直前、逃げもしないでただ眺めていた白人観光客がいましたが、あのときさるMLにて「神はどうしてこのような仕打ちをされるのか」とたいそうお怒りの方がいた(発生したのが折悪しくクリスマスのつぎの日だった)。申し訳ないが、津波で避難しない観光客のほうが当方には信じられない。またこの本の冒頭、著者がヒマラヤ奥地の寒村支援のヴォランティアとして参加した時のことが書かれてあるけれども、西洋人より貧しい暮らしをしているこの村人たちがどうしてこんなに屈託ない笑顔を見せてくれるのかと衝撃を受けた…らしい。なにが起ころうとも助けてくれるという宇宙観、また同業者にして師匠(?)ジャック・キャンフィールドのこさえたという奇妙な数式、「出来事+それにたいする反応=結果」という単純すぎる発想…このへん溢れ返るモノ(と一部の人はお金)にどっぷり浸かった資本主義西洋人の傲慢さを感じるのは、自分だけかな…。引用といえばシュヴァイツァー博士にマザー・テレサ、マイスター・エックハルトにアビラの聖テレジアにジョーゼフ・キャンベル(「至福を追い求めよ、そうすれば思いがけないところで扉が開く…」)やら、こちらもなんでもござれの感あり。また内なる「霊的存在」の声に耳を傾けよというのは、いささか危険な気もしないわけではない。キャンベルはこんなことも書いてますよ。「被造物たる己の内側をのぞいたところで、ただ己の姿が見えるのみ」って(たしかThe Masks of Godの一節だったと思う)。また人間関係について述べたくだりでは「自分に害のある人は避け、自分を成長させる人を選べ」というのも、取りようによってはかえって人間関係を悪化させないだろうか…それにこの本は基本的に「あんたが変われば、世界は変わる」みたいな論調に終始している。「他人様を変えよう、などと思ってはならない」。ごもっとも。でもそこまでして「わたし」を変えようとすることもないんじゃ…ないですか?? もちろん、「よりよい世界に変えるため」に大なり小なり、各人の能力を活かしてそういった活動に積極的に関わることはいいことだ。身近な例ではたとえばこんな活動をしている方たちがいて、ほんと頭の下がる思いです。そうそう、「アイバンク運動」もそうでした(まだ登録してない…今年中に、がとり急ぎの目標)。

 著者は、もっとも身近な「理由はなくてもハッピー」な人として、開業歯科医だった父上をあげていて、随所に心なごむエピソードが散りばめられている(ダンナさんのセルジオ氏なるイタリア男の話はややうっとうしい気はするが…)。父上は、なんでほかの人がもっと幸せになりたい! と汲々とするのかさっぱり理解できなかった、という。父上は苦労人で、大恐慌を体験した人。キャンベルとおない年くらいなのかな…かつてNHK教育で放映された番組で、キャンベルが「あのころはよかった。みんな親切で、助けあっていた」と回想していたのがひじょうに印象的でした。このすてきな父上は91歳という天寿をまっとうして亡くなったのですが、その父上に娘、つまり著者シャイモフ嬢が19のときに、生きていく上でなにか助言してほしいと言ったら、返ってきた返事が

 「ハッピーでいなさい!」

だったそうです(p.28)。で、「わかったわ。でもどうすればいいの?」と著者が訊き返したら、父上は黙してしまったというのです。著者としてはおそらくそのこたえをついに見つけた、というわけでこの本を亡き父上に捧げたのかもしれないが、父上のほうが正しい、と思う。著者自身、「十人十色('different strokes for different folks')」なんて言っているくせに、なんかこうひとつの方向へ向かわせようという意図が感じられてしようがない。おまけに巻末では関連グッズの商売までしちゃってるし(笑)…ふたつの慈善団体に「本の売上げの一部」を寄付していると書いているけれども、世界的に売れているのだからどうせなら半分くらい差し上げればいいのに、ケチくさいなぁ(はじめて知ったのですが、「スピリチュアリティ」と身体の関係についての関心の高まりを受けて、米国ではなんと医学部の25%がそういうものと身体とのかかわりを扱う課程を設置しているという!)。

 父上がだまってしまったわけは――考えれば当然のことだけど――「どうやって」はそれぞれが山あり谷ありの体験を通して苦労して獲得するしかないから。つまり「どうすればいいのか」についてはだれにもわからない。道を開拓して進路を見いだすのも当事者しだいだし、また「他人を殺すところで自分を殺す(キャンベル)」か、あるいはその逆になるのか、あるいは突然にして人生の道が絶たれてしまうのか、自然災害に巻きこまれるのか…そんなことわかりっこない。なにがあっても動じない心、というのはたしかに理想ですが、本に掲載されている21人の話を読んだところでそれがそのまま、何千何万という読者ひとりひとりに「適用」できるはずもない。そんなのはただの幻想にすぎない。この手の本を書く人は、見方によっては現代の「柱頭隠者聖シメオン」みたいな人生の達人、カウンセラーなのかもしれないが、この手の業界がしっかりあることからして、はっきり言ってこれは商売。安易にこういうものに頼ろうとする人が米国にかぎらず、ひじょうに多いということでしょうね。マーケットがあるから、ビジネスになるんだし。だいいち「Mパワーマーチ」なる体操(?)をしたところで、深く嘆き悲しむ人の心がいきなり晴れるとはとうてい思えない。もっともマスター・リンの「気功」は、効果があるかもしれませんがね。真剣に悩んでいるのであれば、自分だったらデーケン先生の一連の『死生学』ものとか、キャンベルの比較神話学入門書とかのほうがおすすめ(古今東西の「古典」と呼ばれる文学作品でもいい。『山月記』なんかけっこう好きですね)。またこの本読んでいて思ったのは、いくら個々人がそれぞれ「ハッピー」になったって、自然環境に多大な負荷を強いる現在の経済活動を「持続可能な」方向へ変えることなくして真の幸福安寧なんてありえない、ということ。この点、おなじ「自己啓発」系だったら、『ニュー・アース』という本のほうがまだましかと思う(ぶくぶくにふくれあがった「エゴ」を捨てよ、と説いている)。

 この本ではネットや携帯電話と同類の扱いをされちゃってる「音楽」も、「心の安らぎ」を得る方法としてはすごくおすすめ(p.187、著者によれば地球上の6人にひとりが携帯電話をもっているという)。個人的なことで恐縮ながら、自分の場合はバッハの音楽はじめ、音楽なくしては生きてゆけない。べつに一般の人が瞑想するのにぜったいなにもしてはいけない、身も心も空っぽにしろ、なんてことはないでしょ? バッハのオルガンコラールなんか、瞑想するにはぴったりですよ(ジャンル的には「絶対音楽」なので、なおいい)。というわけで、稿を改めてつづく。

評価:るんるんるんるん

posted by Curragh at 23:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 最近読んだ本
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/35045881
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック