2010年02月01日

...And he calls this a translation.

 …というわけで、きのうのつづきです。というより、ここからが本題かも(苦笑)。Happy for no reasonの邦訳本、『「脳にいいこと」だけをやりなさい!』を取り上げてみましょう。まず結論を先に言いますと、「なんだコリャ、これでも翻訳か?」。原本によっては日本人読者には不要と思われる箇所を大幅にカットして、「全訳」ではなく「抄訳」として出版することがあります。たとえば手許にある『中世キリスト教の典礼と音楽』なんかがそう。それでもこれほど大胆不敵に「改変」された訳書というのははじめてお目にかかりました…とりあえず原本の「まえがき('Welcome to a happier life!')」の出だしを拙訳とならべてみます。

[試訳]

 大きな石がごろごろ転がる泥道をガタゴト走る年代物の平台トラック。わたしはほかの西洋人30人とともに荷台にすし詰めにされ、ヒマラヤ奥地の丘陵地帯にあるちいさな村を目指していました。もうもうと舞い上がる土埃で息が詰まらないよう、皆バンダナですっぽりと鼻と口を覆っています。山を登りきったところにあるその村で、わたしたちは村人の教育や医療、住宅建設などの人道支援を提供することになっていました。わたしは疲れてイライラし、おまけに全身痛くてたまりません。こんな苦行を6時間も強いられたあげく、運転手はトラックを停車させて出てきました。そしてみんなの荷物をぞんざいに泥道へ放り出しはじめたのです。
 「こっから先は歩いてくれ。村まであと1マイルだ。この先は道が急な登りでしかも狭すぎて、わしのトラックじゃ通れない」
 トラックはわたしたちを置いてガタゴトともと来た道を走り去り、わたしは40キロはあるスーツケースを見て、その場にへたりこんでしまいました――なんでこんなに要らないものばかり詰めこんできたのよ? バッカみたい。険しい山道で二、三メートルほどこのとてつもない代物を引きずって歩こうとしましたが、力がなくて、どうすることもできません。日が暮れてだんだん暗くなってきます。どうすればいい? ほかの仲間はめいめいの手荷物と格闘するのに精一杯、他人の面倒なんか見ている余裕なんかありません。仲間が手荷物を引きずってどうにかこうにか山道を登り、ほどなくしてその姿も見えなくなってしまいました。わたしはその場に座りこみ、二、三分のあいだ、募ってくるパニックを抑えこもうと必死でした。このへんはトラが出たりするのかしら? 
 するとそのとき、小柄なかわいらしいおばあさんが森から現れ、わたしのほうに向かって裸足で道を登ってきました。しわだらけの顔ににっこりと笑顔を浮かべて近づいてきたおばあさん、わたしの荷物をつかむと、なんとおどろいたことにいともたやすく、果物かごよろしくヒョイと頭にかつぎ上げて、急な山道を登りはじめ、早くついてきなさいとわたしを手招きしたのです! 
 わたしはこのおばあさんとふたりして山道を登りはじめました。ことばは通じません。でもおばあさんの瞳の輝きと、おばあさんの放つシンプルな幸福感にすっかり心を打たれてしまいました。わたしたちがやっと山のてっぺんにある村に到着すると、おばあさんの仲間たちは熱烈な歓呼の声をあげ、はち切れんばかりの笑顔でわたしを出迎えてくれたのです。…(pp.3-4)

 …で、↓が邦訳本の出だし。

 以前、著者の私はヒマラヤの山奥で二週間暮らすという経験をしたことがあります。
 村の人々とともに、子どもたちの世話、食事の支度、医療活動の手伝いをし、彼らと同じように地面で眠り、川で身体を洗い、しぼりたての牛乳を飲むような生活です。


 …この書き出しを見てもわかるとおり、ようするにこの邦訳本はハナからまじめに翻訳しようなんて気はさらさらなし。たんなる「要約」とおんなじです(上記訳の二番目の段落は、原書では拙試訳のつぎにつづくくだりになっている)。

 訳者先生の職業柄なのか、てっきり「脳科学関連本」みたいな印象をあたえますが、拙記事にも書いたように、原本はどうひっくり返ったってそれをテーマにした本じゃありません、ぜったいに(裏表紙にもしっかり'SELF-HELP'と印刷してある)。たしかにセロトニンがどうのこうのとか、「脳内では毎秒10万回以上もの化学反応が起きている」とか、「最新の研究によれば、大脳新皮質の左前頭前野に幸福感が宿り、幸福感の強い人はここの活動が活発で、そうでない人は右前頭前野の活動が活発だ」とかいう記述も散見されるけれども、あくまでも「とことん幸福でいられるようにすること」が目的で書かれた本。たとえば上記引用文の終わりに、「…そしてどうやらその答えは、私たちの『脳と心』にあるようです」なんて書いているけれども、原本にはそんなこと書いてない。完全な作文

 この訳書のすごいところ(?)は原本の構成まで変え、あることないことつき混ぜて、また原文を大胆に端折り、強引なまでに「脳科学本」だという印象をあたえようとしていること。さっきも言ったけれどもものによっては「部分訳」でもかまわないと思う。もし自分がこの手の本を訳出するとしたら、やっぱり不要と思われる章ないし箇所は訳さないだろうと思う(この内容の本文だけで287ページなんて多すぎる)。でもこの訳書の場合、「翻訳」という「制約」をはるかにトビこえちゃっている。なんというか、doing at large、やりたい放題し放題、という感じ。各章の見出しもぜんぶ脳がらみの言い方に変え、'Happiness Habit for...'というキーワードにもいちいち「幸せを呼ぶ『脳の使い方』」なんて書いてあるし。このキーワードとて原書と逐一符号していないし、章構成じたいがほぼ原形をとどめないほど変えられているので、なんと「テキトーな」翻訳かと思う。

 というわけでどれがどれの訳なんだかさっぱり、というところばっかなので、シッポがつかみにくいけれども、いちおうキチンと訳出してあるところでもヘンな箇所がないわけでもない。たとえば「急に笑い出しそうになる。いかにも七十年代風だわ。花に囲まれて、今話題の瞑想法を試すなんて(p.173)」という一文。原文は'...What a cliché I am, sitting here in this room, in the seventies, with flower power at its peak, ...(p.190)'。ちなみにこの語り手は「プライベート・ベンジャミン」で主演した女優さんで、はじめての「瞑想体験」を回想している場面。70年代でフラワー、とくるとflower childrenのほうじゃないかと思わないのがある意味不思議ではある(部屋にはバラの花びらが撒かれているだけで、こういうのを「花に囲まれた」とは言わないです)。またけったいな表現(?)もちらほらあって、「とにかく誰に対しても目をハートにして会うこと(p.126)」。この箇所の原文は'You can restart your heart's flow by sending lovingkindness to anyone and everyone you see.(p.141)'。邦訳の言い回しは、まるでマンガですわ。またp.133の図中の4の舌足らずな書き方では、ワタシみたいにそそっかしい読者には「家族か友人を思い浮かべて」祈るという意味にはとれないような気が…。

 また訳書にはやたらと「朱書き太字印刷」された文が目につくけれど、これももちろん、原本を忠実に反映したものではない(原文のゴシック体印刷箇所と対応しているのはほんの一部だけ)。
 
 オビには「60万部突破!!」とかあり、「これはこれでいいんじゃないの」と言う向きもあるかもしれない。でも翻訳という制約をはるかに逸脱した翻訳本として出す必要が本当にあったのだろうか。これで翻訳ですと言って売りに出せるなんて、訳者も編集者も版元もなんてお気楽なんだろう。売れりゃいいのか。なるほど、だから先生はいつも「楽しそうに」見えるんだな(笑)。ここまで完膚なきまでに「別物」に改変しておきながら、その旨いっさいの説明がないというのはどういうこと? せめて「抄訳です」くらいは断るべきでは? 「原書は脳科学の観点から見てもたいへんおもしろい。なので、生活に役立つ脳の使い方、という視点に立って再構成してみました」くらいのことは書くべきでしょう。いかにもシャイモフ女史が書いたように思わせるのはフェアじゃないでしょ(日本では「実売部数」ではなくて、「印刷した部数」で表記するのが慣例。なので60万部突破、と言ってもきっちり60万部売り上げたという意味にはならない。いまや書籍の寿命はひじょうに短く、返本率も50%[!]にものぼるそうです)?。以上、「申告漏れ」騒動で腹が立ったしがない一読者が検証してみました。キャンティでも飲むか。

タグ:翻訳 抄訳
posted by Curragh at 23:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 最近読んだ本
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